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《続・「真説古代史」拾遺篇》(96)



「倭人伝」中の倭語の読み方(39)
「21国」の比定:(14)好古都国(その三)


(「伊都」を表意表記と考えた場合、古田氏はどういう意義があると考えているのか、という問題を残していますが、この問題は「好古都国」が終わった後に表題を変えて取り上げようと考えています。)

 水原氏は「好古都」の訓みとして「コウコト」「コウコツ」の二種類を挙げていた。私は呉音という原則に従い「好古都」「コウコツ」を採用しておく。では「好古都国」を従来の諸説はどう扱っているのか、見てみよう。

大家たちの諸説

「邪馬台国」九州説者
牧建二・橋本増吉
 「ココツ」と訓じ、肥後国の菊池郡に比定。
宮崎康平
 「コオコト」と訓み、「コオ」-「コ」は「河」、口の古い音「ク」-「コ」で、「ト」は「津」の義、したがって、コオコトの国は、河口のデルタとその突出部にある津の国の義とし、肥後国宇土(うと)郡の一部と、八代郡の一部の地で、現在の熊本県宇土市附近から、氷川流域にかけて、不知火潟の海岸に沿って広がった地域の国に比定し、球磨川や氷川などの河口に形成されたデルタの国であるという。ちなみに氷川は「ココリ」より転訛たものだという。

「邪馬台国」大和説者
米倉二郎
 内藤虎次郎説を採用して、備前和気郡香止郷(かかとのさと)の地だとしている。

 四人ともに「好古都」を表音文字と考えた比定を行っている。牧・橋本・米倉の三氏は類似音の地名で比定している。宮﨑氏は楠原氏の地名学による方法と同じ手法を用いている。この方法が孕んでいるネックの一つは「河口のデルタとその突出部にある津」に該当する地域は一つに限れないことである。もっとも宮﨑氏の場合は「21国」は「邪馬台国」の周りにあり、かつ地理上の順に従って書かれているという大前提の元で比定を試みているので、その限りでは比定地を特定することが可能になる。

 水野氏は「諸大家」の説の中では宮﨑説を一番買っているようだ(水野氏にならって「宮崎」と書いてきたが、正しくは「宮﨑」でした)。不十分ながら宮﨑説にだけ論拠の紹介もしている。一度、宮﨑説の論拠に直接当ってみたいと思っていた。図書館から『まぼろしの邪馬臺国』(講談社文庫)を借りきて拾い読みしている。それによると宮﨑説には訓みの上で大きな錯誤があることがはっきりした。氏は倭語は「漢音で読まなければならない」ということを繰り返し強調している。例えば
「中には大学教授でありながら、漢音で読むべき国名を平気で呉音で読んだり、漢音と呉音を混合して読まれるのには開いた口がふさがらない。」
とまで言っている。氏は、陳寿は倭人の発音を何度も確かめながら倭語の表音表記を決定したと考えている。どうやら漢音が「漢の正統を受け継ぐ」と誤解しているようだ。また、
「わが国の古事記をはじめ多くの上代文献が漢字を呉音で読ませているように、韓国の新羅時代の文字も、おおむね呉音で読むようになっている。」
とも述べているので、倭国・新羅には五世紀頃に呉音が伝わったと考えているようだ。

 氏は各国比定の表題では漢音と呉音による訓みを併記して議論を始めている。ちなみに「好古都」の呉音訓みは「コウクツ」になっている。手元の漢和辞典では「古」の音「コ・ク」は共に漢音・呉音の区別はないので「コウコツ」も呉音訓みと考えてよいだろう。つまり呉音訓みでは「コウコツ」か「コウクツ」ということにある。

楠原説
 福岡市博多区に比定している。その論拠は次の通りである。

 「倭人伝」が「好古都」と表記する国名は、上古音でhog kag tag'洛陽古音で中古音でhau-ko-tuで、これらを總合して判断すると倭語はハカタという地名であったろう。まさに、後世の「博多」そのものである。

 ここで用いられている発音記号はピンインでもウエード式でもないようだ。IPAだろうか。洛陽古音での訓みは発案者・長田氏はカタカナで「クカタ」と表記している。他もあえてカタカナ表記をすると、上古音は「ホカタ」、中古音は「ハウコツ」だろうか。

 そして氏は、ここでは地名学を捨てていて、氏が批判してやまない類似音探しを行っている。しかも、時代の違う発音と怪しげな洛陽古音を「総合して」後世の「博多」だとは、なんとも杜撰な理論だ。

 「好古都国=博多」説には前例があった。井沢元彦氏である。中国人は「好古都」を「ハカタ」と読むというのがその論拠だったようだ。現代中国人の訓みと三世紀の表音表記を結び付けるのは乱暴だ。また実際に中国人がそのように訓むかどうかは実際に聞くにしかないが、知り合いがいないのでそれは叶わない。中日辞典でピンインを調べたが「hao-gu-dou(またはdu)」となる(hao・guの中のa・uの上には第三声を示すˇ〈キャロンと呼ぶらしい〉が付いている)。これをウエード式で表記すると「hao-ku-tu(tou)」である。もちろん私は正しく発音することができないが、「ハカタ」にならないことは確かだと思う。

古田説
 氏は「コウコト」と訓んでいる。そして『これは「出雲(島根県)」だ。』といきなり思いがけない結論を提示する。その理由は次の通りである。

 「えっ?」と、驚かれるかもしれない。だが、筋道を通してみれば、三世紀の邪馬壹国、女王の都は、いわば「新規の都」の地である。

 その「目」から、〝好ましき古き都″と称することのできるのは、出雲しかない。そうだ。例の「国ゆずり」神話である。筑紫の倭国側の「目」では、「出雲の王朝は、みずからの『都』を、筑紫へと(平和裏に)〝ゆずった″好ましい国」なのだ。もちろん「好ましい」というのは、筑紫側の立場、いうなれば「自己コマーシャル」の視点以外の何物でもないのであるけれど。倭人伝は「筑紫の倭人」の立場から書かれたもの、それが陳寿によって〝採用″されているのである。

 「では、そのような『表意』だけで、『発音』は関係ないのか。」と問われれば、"yes"だ。「関係あり」なのである。

 「関係あり」とする根拠の一つとして例の「弟→矛」という本居宣長の〝書き直し″を取り上げている。私はこの「弟→矛」という本居宣長による原文改訂説を『「矛」か「弟」か?』で五回にわたって否定的に論評している。(中心的な論点は「「矛」か「弟」か?(3)」で述べています。)

 私が納得できない説なので、古田氏の議論のこのくだりは省略する。「弟→矛」説を除外しても、古田氏の論旨は出雲にとって「銅鐸」が重要な存在だったということにあるから、その根拠としては「荒神谷や加茂岩倉などから大量に出土した小銅鐸の存在」で十分だろう。私としてはそれで納得できる。

 かつてわたしは「出雲神話に、銅鐸なし」という認識だった。本居宣長の〝訓んだ″古事記伝に従って「古事記」を〝訓んで″いたからである。

 だが、ちがっていた。宣長は、自在に、「自分の美学」に従って「原文」(真福寺本、古事記)を自在に〝書き直し″ていたのである。ストレートな事例としては、「弟(オト)」(=音)の文字を「矛(ホコ)」と書き直していたのである。

(中略)

 このわたしの理解の正当なこと、それは出雲の荒神谷や加茂岩倉などから大量に出土した小銅鐸の存在が何物にもまして、雄弁に「立証」しているのではなかろうか。

 以上のように観察してくると、今問題の「好古都」の三文字が「ココト」であることに驚く。「コト」は、平安時代風の「琴」などではなく、楽器としての「銅鐸」だった。もちろん、中国の例がそうであるように「音階」を変えて(釣り紐の長さを変え)楽器として用いるとき、文字通りの「古代琴」の性能を発揮していたのである。「ココト」の「コ」が「小」であること、言うまでもないであろう。

 「表意」のみならず、「表音」においてもまた、この表記は「正確」だったのである(右の「小銅鐸」以前の、「陶塤(トウケン)」、いわゆる「弥生の土笛」のテーマについては、『古代史を疑う』の「日本の生きた歴史(八)」に詳述する)。

 以上の諸説の中で論理に破綻がないのは古田説だけである。しかし、「コウコト」あるいは「ココト」という地名の痕跡が『古事記』『日本書紀』『風土記』『万葉集』『和名抄』などのどこにも残されていないことに、やはり、疑問が残る。

 ここで、もしかして「コウコツ」あるいは「ココツ」の痕跡が残る地名はないだろうかと、『日本古代地名辞典』を調べてみた。一つあった。前回、「都」を含む地名を抜き出したが、一番下の段の右端にあったため見落としていたものだった。

こつ[居都] 『和名抄』備前国上道郡に「居都郷」で見え、岡山市古都の地をいう。「こつ(木津)」の意で、木材の集荷地であったとみられる。

 経緯は分らないが、なんと、現在では「古都」と表記している。そこから13・4㎞離れているが吉備津彦神社がある。吉備国は古くから出雲国と並ぶほどの勢力を持った地域である。イワレヒコも東征のみぎり吉備国に滞在している。そのころはまだ九州王朝とは独立した国ではなかったか。吉備国にも「都(みやこ)」と呼べる地があったと考えてもよいのではないだろうか。

 吉備国の中心地がどの辺だったのか、私には分らないが、もしかしたら「居都」だったのではないだろうか。この表記が表意表記だとすると、「居」には「置く・すえる」「いどころ・すまい」といった意味もあるので、「都(みやこ)を置いたところ」という意味になる。九州王朝の傘下に入った吉備国が女王国のころ、「いにしえのよき都があった」という意味を込めて自ら「好古都(コウコツ)国」と名乗ったのではないだろうか。

 私の案はすべて推測の域を出ない。また、図書館に出かけて詳しく調べたいことが何点かあるので、調査の結果、また加筆・訂正事項が出るかも知れないが、取りあえず一案として出しておこう。
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 コメント
この記事へのコメント
なるほど!調べてみたら居(古)都は、国生み神話で「吉備の子州(国)」に比定されている古い時代の児島湾に接する地で、付近には浦間茶臼山古墳をはじめとする有力古墳群もあるようですね。「こつ」と読むなら「吉備の子津国」とか「古子津」かもしれないと、ちょっと思いました。
2012/07/18(水) 00:55 | URL | 愛読者 #KUmnAu4w[ 編集]
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