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《続・「真説古代史」拾遺篇》(86)



「倭人伝」中の倭語の読み方(29)
「21国」の比定:(9)斯馬国


 この国名の訓みは全員「シマ」で一致している。比定地は次のようである。

大家たちの諸説

「邪馬台国」九州説者
筑前国志摩郡(新井白石・橋本増吉・牧建二)

「邪馬台国」大和説者
志摩国(内藤虎次郎)
周防国木島郡(米倉二郎)

 楠原説と古田説については、気付いたことや批判点が出てきたところで区切りながら、原文を丹念に読んでいくことにする。

楠原説

 この国名は、今でも使われる地名用語のシマ(島)にほかならないだろう。想定される比定地の一つは長崎県北松浦郡小値賀(おぢか)町の小値賀島とその周辺の島々である。

 小値賀島には神社の境内二ヵ所に弥生遺跡があり、壷形土器などが発見されている。興味深いのは、発掘地点は不明だが、この島には戦前に国宝に指定された中国・春秋時代の蜀の作という環頭(かんとう)太刀があったらしい。ところが、敗戦後アメリカ軍に接収され行方不明となっていまだ返還されていないという。

 えっ! 春秋時代に「蜀」なんて国があったの? 私の知識は結構いい加減なところがある。私の方の記憶違いかと、念のため調べてみた。『春秋左氏伝』(筑摩書房版「世界古典文学全集」)の巻末年表で使われている国名は
周・魯・斉・晋・泰・楚・宋・衛・陳・蔡・曹・鄭・燕・呉・越
で、「蜀」などない。


訂正(6月14日)
昨日、「古田史学の会」の西村秀己さんから
『始皇帝の統一前に「蜀」という国が存在したことは間違いない』
というモメントを頂きました。手許の資料で確認しました。その通りでした。魯国の北方にありました。
 私の生半可な知識による間違いで、楠原氏にあらぬ冤罪を押しつけるところでした。申し訳ありません。削除します。


 楠原氏は、魏時代の長里を「26里がほほ現在の1里=約3.9㎞」と書いていたのもその一例だが、このような出所不明の知識を時々披露する。

 どうやら氏は「島」か「島」を地名に含む土地を探しているらしい。その際、考古学的な遺跡・遺物の有無をその根拠にしているようだ。

 また、小島ながら古墳も二基発掘されているほか、畑の中の巨石の下から須恵器など数点が発見されている。

 小値賀島は「斯馬国」の比定候補地として興味深い対象ではあるが、本書はもう一つの候補地の佐賀県杵島(きしま)郡北方町(管理人注:2006年に武雄市・山内町・北方町が合併して現在は「武雄市」)のほうをとる。位置的に見て小値賀島は「投馬国」の領域内と思われるからである。

 『「投馬国」の領域内』というような間違った比定地(投馬国)を論拠にする議論は無視する。それとは関係なしに、小値賀島を「国」の候補地とすることは初めから無理なのだ。小値賀島は壱岐島の約五分の一ほどの大きさの島。この事実だけで、この小島を「国」とするわけにはいかないだろう。では、佐賀県杵島郡北方町が選ばれた理由は何だろうか。

 『肥前国風土記』杵島郡の項には以下のような物語が記される。

 昔、纏向(まきむく)の日代(ひしろ)宮に天下をお治めなった天皇(景行天皇)が巡幸されたとき、この郡の盤田杵の村に停泊した。そのとき船牂[哥戈](かし)の穴から冷水が自然に湧き出た。またはこうもいう。船が泊まった処はひとりでに一つの島となった。天皇はご覧になって群臣たちに仰せられるには、「この郡は牂[哥戈]島(かししま)の郡と呼ぶがよい」と。いま杵島の郡と呼ぶのは訛(なま)ったのである。……


 この郡名起源伝承に続いて嬢子(おみな)山の項があり、ここには土蜘蛛八十女(やそめ)がいて天皇に反抗したので滅ぼされた、と記す。嬢子山は現在の杵島郡江北町と多久市の境界にある両子(ふたご)山の南峰の女山に比定されている。

 一体何を言いたいのか。楠原氏は記紀や風土記に登場する土蜘蛛は大和王権によって滅ぼされた「女王国首長たちの伝承」と考えているのだ。そのようなわけで氏は、考古学的遺跡・出土物のほかに、「土蜘蛛伝承」を「21国」比定の重要な根拠としてしている。いま私には土蜘蛛について詳論する用意がないが(面白い問題なので、そのうち取り上げようかと思っている)、少なくとも「景行紀」「神功紀」の九州征討記事は九州王朝草創期の「前つ君」や「橿日宮の女王」による征討記事の盗用であり、大和王権とは関わりはない(詳しくは「九州王朝の形成」を参照してください)。


 杵島という郡名の起源は女山の南西約12㎞、六角(ろっかく)川南岸に南北約9㎞にわたって連なる杵島山塊であろう。角川『日本地名大辞典41佐賀県』によれば、この山塊は今から5000~6000年前の縄文中期には海中の島だったと推定される、という。

 杵島郡北方町の椛鳥山(かばしまやま)遺跡は弥生中期から後期にかけての埋葬遺跡群で、箱式棺や甕棺・壷棺が集中しており、前漢(ぜんかん)~後漢(ごかん)代の鏡面や素環頭刀子ほかの副葬品が多数発見されている。

 また、杵島山塊の山麓一帯は弥生期から古墳時代にかけての遺跡の一大密集地帯で、鉄製武具や装身具などの遺物が発掘されている。

 遺跡ではないが、杵島地方は「肥前国風土記逸文」ほかに記された春秋の歌垣行事も注目される。その「杵島曲(きじまぶり)」の名は遠く『常陸国風土記』にも載っている。

 氏の説だと、3世紀頃の倭人は「杵島(キシマ)」を「シマ」と呼んでいたということになるが、これは何ら根拠のない推量に過ぎない。どのように遺跡や出土物を並べてみてもそれは論拠にならない。

 もう一つ、楠原氏は「旁国」に注目していたが、私は「遠絶」に注目したい。

其の余の旁国は遠絶にして、得て詳かにすべからず。

 これは素直に読めば「遠く離れている」という意にしかならない。斯馬国はほとんど「邪馬台国」の隣国である。しかし、「邪馬壹国」からなら「遠絶」と言ってもよいだろう。「邪馬壹国」から「遠絶」の地という点だけが問題なら、杵島を候補地にすることができる。

 前回提示した地図でも分かる通り、楠原氏はこの「遠絶」を全く考慮していない。氏の「邪馬台国」から見て、はっきりと「遠絶」と言える「国」は伊邪国・郡支国・弥奴国・烏奴国・奴国ぐらいだ。

 もっとも、「遠」には「うとい・親密でない」という意もあるから、「(実際に見聞していないので)うとい」という解釈もできるかも知れない。その解釈ならどこに比定しても候補地になる。私は「遠く離れている」という意にとって考えていくことにする。

(訂正 7月28日 )  その後「(実際に見聞していないので)うとい」という解釈の方を採ることにしました。

 次ぎに古田説を読んでみよう。

古田説

 次いで、「二十一国」の順を追ってのべてみよう。まず「斯馬(シマ)国」。日本列島は島国であり、列島であるから、各地に「~島」の部類の地名は数多い。

 しかし、福岡県の志摩郡の「志摩(シマ)」の場合、「一大率、常駐」(後述)の「伊都(イト)国」の隣である上、全くの「同音」であるから、もっとも可能性が高い。そう言って過言ではないであろう。

 逆に、「伊都国」の三方(西南の「末廬(マツロ)国」、東南の「奴(ヌ)国」、東の「不弥(フミ)国」)を記しながら、北の「志摩国」のみ欠如しているとすれば、かえって不自然であろう。

 もう一つ、この「斯馬国」の事例から見ても、「一つの、まとまった島」の意義ではないことが注意される。だから「対海国」の場合も、「対馬の全島、丸ごと」を指す、という〝必然性″は、必ずしもないこととなろう。

 私は、「遠絶」という点から、この古田説にも賛成できない。

 伊都国の東南百里に戸数2万の大国・奴国がある。伊都国の領域は北の方に広がっていたと考えられる。つまり糸島半島の志摩は伊都国の一部だったのではないだろうか。「倭人伝」は「女王国より以北、其の戸数・道里、得て略載す可し」とも言っている。

 もしも上の推定が正しいとすると、斯馬国は三重県の志摩しか考えられない。志摩のおとなりの伊勢はヤマト王権(邪馬国)とは関係浅からぬ地。志摩は邪馬国と同調して「親魏倭国」の一つであったのではないだろうか。もしかすると3世紀頃には、伊勢をも含めて、そのあたりを「志摩」と呼んでいたのかもしれない。すべて単なる推量なので、この辺でやめておこう。

(訂正 7月28日)
 古田説を採用します。その理由については「不呼国(その二)」をご覧下さい。
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 コメント
この記事へのコメント
「蜀」に関してコメントさせて戴きます。
「史記」には下記文章があります。「表」には記載されてはいませんが、始皇帝の統一前に「蜀」という国が存在したことは間違いないと思われます。
秦本紀第五 厲共公二年,蜀人來賂。・・惠公・・十三年,伐蜀,取南鄭。
2012/06/13(水) 10:53 | URL | 西村秀己 #-[ 編集]
Re: ご指摘、ありがとうございます。
> 「蜀」に関してコメントさせて戴きます。
> 「史記」には下記文章があります。「表」には記載されてはいませんが、始皇帝の統一前に「蜀」という国が存在したことは間違いないと思われます。
> 秦本紀第五 厲共公二年,蜀人來賂。・・惠公・・十三年,伐蜀,取南鄭。

 さっそく手許にある『春秋左氏伝』と『史記列伝』(ともに筑摩書房「世界古典文学全集)で確認しました。ご指摘の通りでした。
 ありがとうございます。私の生半可な知識で、楠原氏にあらぬ冤罪を押しつけるところでした。該当部分には訂正文を書き加えました。
2012/06/14(木) 07:41 | URL | たっちゃん #-[ 編集]
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