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《続・「真説古代史」拾遺篇》(79)
「倭人伝」中の倭語の読み方(22)
「洛陽古音」って何?
もう一回、面倒な寄り道に付き合ってください。
楠原氏は『地名学…』の執筆に当たって『「倭人伝」が書かれた時代の洛陽で使用されたという長田氏の「洛陽古音」説が大いに参考にできた。』と述べている。長田氏の「洛陽古音」というのを随所で取り上げている。例えば「邪馬臺」を「ヤマダ」と読む根拠に用いている。その地名読みの概略を紹介しよう。
まず、「臺」「台」の字について、漢和辞典(藤堂明保『学研漢和大辞典』)の各時代の字音と「洛陽古音」とを並べた表を提出している。

これから、臺も台も「タイ」と読むようになったのは中世以降であることを確認し、「ヤマタイコク」と読んできた従来の読みを否定する。次ぎに、「洛陽古音」では「邪馬臺」はiɒ-mɒ-dǝĭという発音になると言う。「洛陽古音」提唱者の長田氏自身はこれを「ヤマド」または「ヨモド」とカナ表記している。楠原氏はこのカナ表記退ける。落陽古音の「臺」の発音記号をカタカナ表記するなら、「ド」よりもむしろ「ダ」ではないか、と主張している。
ここで用いられている発音記号は何だろう。手許の中日辞典の「中国語音節表」を調べたが、それではないようだ。ネットで調べてみた。「国際音声記号」のようだ。一般に英和英語などもこの記号を用いているらしい。ならば私の貧しい知識でもある程度は読めるだろう。うん、私にも「ド」ではなく「ダ」としか読めない。楠原氏は
「多くの邪馬台国論者と同じく長田説の場合も、誰でもが周知のヤマト(大和)という後世の巨大で著名な地名が先入主となって、ほかの地名の可能性を検討することなく、早々に結論を導き出したのではないか。」
と長田氏の誤解の原因を推定している。
何度も言うように「邪馬臺(台〉国」という表記を選んだのが間違いなのだから、こういう議論を追うのは無駄なことなのだが、楠原の地名読みの方法を確認するために付き合ってみた。
「洛陽古語」とは何なのか。『「倭人伝」が書かれた時代の洛陽で使用された』言語というのなら、その音韻は、なんのことはない、呉音ではないか。と考えたが、そうではないらしい。念のため長田夏樹著『邪馬台国の言語』を借りて来た。「洛陽古語」と称している音韻を独自に創り上げているのだった。その手法は次のようである。
まず、倭人伝の次の固有名詞を取り上げている。
多模・伊都・卑奴母離・卑弥呼・未廬
これらは従来
トモ・イト・ヒナモリ・ヒミコ・マツラ
と訓まれでいたと言い、これを次のように批判している。
すぐ次のような疑問が出てくる。
「唐時代に作られた『韻鏡』を用いて読む音韻を3世紀の洛陽での音韻としてよいのだろうか。」
長田氏は図2(内転第十二開合の写し)に次のような注を付けている。
「『韻鏡』自体は中古音の体系を示した韻図であるが,この図に関するかぎり上古音の体系としても用いられる。」
内転第十二開合だけは「上古音の体系としても用いられる」と言っているが、その根拠は何も示されていない。しかも内転第十二開合だけで、「倭人伝」の倭語に用いられている漢字の音が全て分るという点も不可解だ。私の疑問は深まるばかりである。
『韻鏡』をウィキペディアでにわか勉強してみた。私には理解出来なかった。副産物がありました。「韻鏡十年」ということわざがあるんですねぇ。その意味は「理解することが、きわめて難しいこと(韻鏡の理解には十年かかる)」でした。
分らないのに「韻鏡」を根拠にした議論を読んでも仕方がないのだが、ついでなので、興味がある人あるいは分る人のために続きを紹介しておこう。
筑摩書房版『三国志』で確認してみた。「倭人伝」の直後(つまり「魏書」の最後の記事)に長い注釈がある。その中の一節だった。ちなみに、筑摩版では「浮屠・屑頭邪・莫邪」を「「フト・セットウヤ・マヤ」と読んでいる。
疑問
(理解出来ていない者が口をだすのはおこがましいが、内転第十二開合一等の母音は「オ」じゃないの? 第一列の漢字が「韻母」だとすると、「模」の音は「モ・ボ」しかないものなぁ。)
氏は「他の文字についても、こうした手続きをふんで音価を比定すると表3のごとくなる。」と続けて、「倭人伝」に登場する固有名詞の「洛陽古音」とやらによる読みの一覧表を提示している。「洛陽古音」は私には疑問だらけの音韻だが、「洛陽古音」による長田氏の倭語の読みは必要に応じて紹介していこう。
「倭人伝」中の倭語の読み方(22)
「洛陽古音」って何?
もう一回、面倒な寄り道に付き合ってください。
楠原氏は『地名学…』の執筆に当たって『「倭人伝」が書かれた時代の洛陽で使用されたという長田氏の「洛陽古音」説が大いに参考にできた。』と述べている。長田氏の「洛陽古音」というのを随所で取り上げている。例えば「邪馬臺」を「ヤマダ」と読む根拠に用いている。その地名読みの概略を紹介しよう。
まず、「臺」「台」の字について、漢和辞典(藤堂明保『学研漢和大辞典』)の各時代の字音と「洛陽古音」とを並べた表を提出している。


これから、臺も台も「タイ」と読むようになったのは中世以降であることを確認し、「ヤマタイコク」と読んできた従来の読みを否定する。次ぎに、「洛陽古音」では「邪馬臺」はiɒ-mɒ-dǝĭという発音になると言う。「洛陽古音」提唱者の長田氏自身はこれを「ヤマド」または「ヨモド」とカナ表記している。楠原氏はこのカナ表記退ける。落陽古音の「臺」の発音記号をカタカナ表記するなら、「ド」よりもむしろ「ダ」ではないか、と主張している。
ここで用いられている発音記号は何だろう。手許の中日辞典の「中国語音節表」を調べたが、それではないようだ。ネットで調べてみた。「国際音声記号」のようだ。一般に英和英語などもこの記号を用いているらしい。ならば私の貧しい知識でもある程度は読めるだろう。うん、私にも「ド」ではなく「ダ」としか読めない。楠原氏は
「多くの邪馬台国論者と同じく長田説の場合も、誰でもが周知のヤマト(大和)という後世の巨大で著名な地名が先入主となって、ほかの地名の可能性を検討することなく、早々に結論を導き出したのではないか。」
と長田氏の誤解の原因を推定している。
何度も言うように「邪馬臺(台〉国」という表記を選んだのが間違いなのだから、こういう議論を追うのは無駄なことなのだが、楠原の地名読みの方法を確認するために付き合ってみた。
「洛陽古語」とは何なのか。『「倭人伝」が書かれた時代の洛陽で使用された』言語というのなら、その音韻は、なんのことはない、呉音ではないか。と考えたが、そうではないらしい。念のため長田夏樹著『邪馬台国の言語』を借りて来た。「洛陽古語」と称している音韻を独自に創り上げているのだった。その手法は次のようである。
まず、倭人伝の次の固有名詞を取り上げている。
多模・伊都・卑奴母離・卑弥呼・未廬
これらは従来
トモ・イト・ヒナモリ・ヒミコ・マツラ
と訓まれでいたと言い、これを次のように批判している。
しかし中国の唐未、五代に成ったと考えられる漢字を日本の五十音図のように配列して、その字音の帰属を表示した『韻鏡』(図2)によれば、〈模〉〈都〉〈奴〉〈呼〉〈廬〉 はいずれも内転第十二開合の平声一等に属していて、母音を等しくする文字であるから、これらの訓み方がいかに恣意的なものであるかがわかるであろう。
すぐ次のような疑問が出てくる。
「唐時代に作られた『韻鏡』を用いて読む音韻を3世紀の洛陽での音韻としてよいのだろうか。」
長田氏は図2(内転第十二開合の写し)に次のような注を付けている。
「『韻鏡』自体は中古音の体系を示した韻図であるが,この図に関するかぎり上古音の体系としても用いられる。」
内転第十二開合だけは「上古音の体系としても用いられる」と言っているが、その根拠は何も示されていない。しかも内転第十二開合だけで、「倭人伝」の倭語に用いられている漢字の音が全て分るという点も不可解だ。私の疑問は深まるばかりである。
『韻鏡』をウィキペディアでにわか勉強してみた。私には理解出来なかった。副産物がありました。「韻鏡十年」ということわざがあるんですねぇ。その意味は「理解することが、きわめて難しいこと(韻鏡の理解には十年かかる)」でした。
分らないのに「韻鏡」を根拠にした議論を読んでも仕方がないのだが、ついでなので、興味がある人あるいは分る人のために続きを紹介しておこう。
では内転第十二開合一等の示す具体的な洛陽音の音価はどのようであったか。『魏志』巻30に引用しである『魏略』の「西戎伝・臨児国」の条には、仏陀に関する簡単な記載がある。
「浮屠経」に云く。其の国の王、浮屠を生む。浮屠は太子なり。父は屑頭邪と曰い、母は莫邪と云う。
筑摩書房版『三国志』で確認してみた。「倭人伝」の直後(つまり「魏書」の最後の記事)に長い注釈がある。その中の一節だった。ちなみに、筑摩版では「浮屠・屑頭邪・莫邪」を「「フト・セットウヤ・マヤ」と読んでいる。
ここにいう浮屠とはもちろん釈迦牟尼その人であり、サンスクリットのbuddhaの音訳である。とすればシヤカの両親である〈屑頭邪〉と〈莫邪〉は浄飯王のśuddho-danaおよび摩耶夫人のmāyāの訳音であることが明らかであろう。
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このdha,māの音を表記した〈屠〉〈莫〉〈この場合〈暮〉と同音〉を『韻鏡』にあてはめれば、内転第十二開合一等に属しているから、その母音は〔ɑ〕を表わしていることとなり、さきの字はそれぞれ〈模〉mwɑ〈都〉tɑ〈奴〉nɑ〈呼〉χɑ〈廬〉lɑとなる。
疑問
(理解出来ていない者が口をだすのはおこがましいが、内転第十二開合一等の母音は「オ」じゃないの? 第一列の漢字が「韻母」だとすると、「模」の音は「モ・ボ」しかないものなぁ。)
氏は「他の文字についても、こうした手続きをふんで音価を比定すると表3のごとくなる。」と続けて、「倭人伝」に登場する固有名詞の「洛陽古音」とやらによる読みの一覧表を提示している。「洛陽古音」は私には疑問だらけの音韻だが、「洛陽古音」による長田氏の倭語の読みは必要に応じて紹介していこう。
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