2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《続・「真説古代史」拾遺篇》(78)



「倭人伝」中の倭語の読み方(21)
倭語音韻の基本法則(2)の補足


 全くの門外漢が今まで考えたこともない事柄を取り上げている。私の考えが正しいのかどうか、はなはだ心許ないが、乗りかかった船、もう少し続ける。

 『地名学…』(2002年)を読んでいて、楠原氏が溝手理太郎という方と共編で『地名用語語源辞典』(1983年)を出版していることを知った。参考にしようと思い、さっそく図書館から借りてきた。その辞典に「た」という項目が設けられていて、「タ」接尾語説が説かれている。次のようである。

た〔田、太、多、大、駄、丹、手、埵〕

①接尾語。「方向」、「場所」、「部分」、「位置」などを示す。カナタ(彼方)、コナタ(此方)、アナタ(彼方)、シタ(下)、ハタ(端)、ヘタ(辺)などのタ。「方向」を示すテ(手)と同義(『岩波古語辞典』)といわれるが、むしろ地名での用例からすると「場所」を示すト(処)に近い。
②耕作地。水田。ト(処)の転〔松岡静雄〕か。
③接頭語。テ(手)の意か。単に語調をととのえるものもあるか。
④タ(咫)で、上代の長さをはかる単位に由来するものもあるか。
⑤「多」、「太」などの字音による地名もあるか。

〔解説〕日本の地名(とくに集落名)中には、語尾に「田」のつくものがきわめて多い。このことは水田耕作に依拠する民族性を示すことはその通りであろうが、しかしこれらの地名の「田」すべてを「水田」の意と解しては明らかな語義矛盾に陥るものも少なくない。むしろ、①の「処」の意のタで、「田」という用字は瑞祥的・願望的好字として使用されたものと理解したほうが、ほとんどの地名の解釈においては有効有益であろう。

 前回書いたように、③の接頭語はどの辞典にも載っている。例として前回は現代語を挙げたが、古語辞典では「たやすし」「たばかる」「たばしる」などの例が挙げられている。

 ①の接尾語を再論する。前回、カナタ(彼方)、コナタ(此方)、アナタ(彼方)の「タ」を接尾語とするのは誤りだということを述べたが、ここではシタ(下)、ハタ(端)、ヘタ(辺)もその例としてあげられているので、これを検討してみよう。

 「ハ(端)」「ヘ(辺)」はその一音だけで、それぞれ「はし」「ほとり・あたり・へん」という意味をもつ「部分」を表す語である。従って「ハタ(端、半)」「ヘタ(辺、端)」はそれぞれ「ハ(ヘ)」と「タ」の合成語」と考えられる。

 これに対して「シタ」の場合、「シ」一音で「部分(部分)」を表すのだろうか。どの辞典にもない。この場合は「シタ」を「シ」と「タ」の合成語とは考えがたい。「キタ(北)」は「方向」をあらわす語だが、これも「キ」と「タ」の合成語だと言うわけにはいかないだろう。

 「語根」という概念がある。この概念を用いれば、「ハ」「ヘ」「タ」はそれぞれ語根であり、「ハタ」「ヘタ」は二つの語根の合成語である。また、「シタ」「キタ」はそれ自身が語根である。このように考えるのが穏当ではないだろうか。

 もちろん、「タ」を接尾語と定義したければ定義してもよいが、それでは接尾語だらけになってしまう。この伝で行くと、例えば「カタ(肩)」「シタ(舌)」「マタ(股)」から「タ」は身体の部分を表す接尾語である、などという説もまかり通ってしまう。例えば「サ」という状態・程度を示す接尾語がある。「寒さ」「暑さ」「薄さ」「厚さ」「深さ」「浅さ」「美しさ」「醜さ」「愛しさ」「憎さ」……。接尾語にはこのような普遍性がある。上・下や東・西・南・北を示す語が全て「…タ」と表音されるぐらいの普遍性がなければ、「タ」を接尾語などと言うわけにはいかないのではないか。

 上で「語根」という概念を取り上げたが、古田さんの「言素」はこれと同じ概念ではないだろうか。その言素に関連して、古田さんは『俾弥呼』で接頭語・接尾語という用語を用いている。例えば
『「マ」は、日本語に最も多い接尾語。「やま(山)」「たま(玉)」などの「マ」である。』
というように用いている。楠原氏の場合と同様、不適切な使い方である。二つの言素(語根)の合成語と言うべきだろう。
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1749-f156f508
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック