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《続・「真説古代史」拾遺篇》(77)



「倭人伝」中の倭語の読み方(20)
倭語音韻の基本法則(2)


 前回、④・⑤の先頭音の濁音化を「後世における音韻変化」と書いたが、そうではなく、「漢字の読み方の変化」と言った方が適切かも知れない。例えば⑤「造果郷」について『和名抄』には「サウカ」という訓注があるという。倭音「サウ」に「造」という漢字を割り当てていることになるが、念のため漢和辞典を調べると、「造」には確かに「ソウ(サウ)」という音がある。この「造(サウ)」が、後に「造(ゾウ)」がより一般的な読みとなり、「造果」という地名にまで波及したと考えられる。

 このような漢字の読み方の変化ではなく、倭語そのものの音韻変化がある。通韻(同韻相通、段訛り)・通音(五音相通、行訛り)・「連濁」である。

通韻(同韻相通、段訛り)

 五十音の同じ段の音に変わる音韻変化である。例を挙げると
「けむり」→「けぶり」
 マ行ウ段の「む」がバ行ウ段の「ぶ」に変化している。
「のく(退)」→「どく」
 ナ行オ段の「の」がダ行オ段の「ど」に変化している。

通音(五音相通、行訛り)

 五十音の同じ行の別の段の音に変わる音韻変化である。例を挙げると
「ありく(歩)」→「あるく」
 ラ行イ段からラ行ウ段に変化している。
すめらぎ(皇)」→「すめろぎ」
 ラ行ア段からラ行オ段に変化している。

連濁

 広辞苑では
「2語が複合して1語をつくるとき、下に来る語の初めの清音が濁音に変わること。」
と説明して、次のような例を挙げている。
「みか(三日)」+「つき(月)→「みかづき(三日月)」
「じ(地)」+「ひき(引)」→「じびき(地引)」

 少し身近な例を挙げてみよう。
げたばこ・はりばこ
ざぶとん・かけぶとん・しきぶとん
ほんだな・かみだな
かなづち・きづち
 動詞にもある。
さきばしる・ねぎる・てまどる

 「連濁」の起こり方のルールは相当複雑である。面白い問題だが、今は深入りしない。



 『「21国」の読み:準備編』で楠原氏の「邪馬臺国」の読みを紹介したが、実はそのとき一つ疑問に思ったことがある。それが倭語の音韻変化を改めて学習しようと決めたきっかけだった。その疑問を取り上げておこう。

 楠原氏は「邪馬臺」を「ヤマダ」と読み、
(1)
『「山田」という言葉の語構成は、ヤマ・ダという形で、ダはタの連濁であろう。』
と述べている。そして、この「タ」は「アナタ」「コナタ」の「タ」であり、これは

(2)
『「方向・場所」を示す接尾語のタではないか。』
と言ってる。

 (1)では「ヤマダ」は「ヤマ+タ」という複合語で、連濁で「ヤマダ」となったと主張している。この部分には問題はない。

 (2)では「?」付きながら「タ」を接尾語だと言っている。初耳だ。手許にあるどの国語辞典・古語辞典にもそのような接尾語はない。接頭語ならある。「名詞・動詞・形容詞の上に副えて、語調を整え強める」接頭語で、例としては「たやすい」「たばかる」「た靡く」が挙げられている。(広辞苑)

 「アナタ」「コナタ」は複合語だが、「アナ+タ」「コナ+タ」ではあるまい。

 「この道・その道・あの道・どの道・かの道」と言うように「こ・そ・あ・ど・か」は代名詞である。これらの代名詞と「なた」という方向を意味する抽象名詞との複合語が「此方(こなた)・其方(そなた)・彼方(あなた)・何方(どなた)・彼方(かなた)」である。「なた」は「このかた・そのかた・かのかた・どのかた」の「のかた」が語源だろう。とすると、「これ・それ・あれ・どれ・かれ」なども、代名詞「こ・そ・あ・ど・か」と事物を意味する抽象名詞「れ」との複合語ということになる。

 楠原氏は「邪馬臺=ヤマダ」説に30ページほどを費やしているが、「ヤマダ(タ)」は「ヤマ」と「アナタ・コナタ」の「タ」との複合語という謬論のところで既に破綻している。全ての「邪馬台(タイ)国」説と同じく、楠原氏の「邪馬臺(ダ)国」説も謬論の積み重ねで論旨を取り繕うほか、議論を保つことができない。氏は「序章」で従来の「邪馬台(タイ)国」論者を次のように手厳しく批判している。

 文献史学なり考古学なりの専門研究者の大勢は、地名論としては新井白石・本居宣長以来のレベルからほとんど一歩も出ていない。否、むしろ新井白石や本居宣長は彼らなりに地名の持つ意味を真剣に究明しようとしていたのに、後世の論者は彼らの研究態度や成果に何ら学ぼうとしていないし、その欠陥を検証することもなかった。邪馬台国論争の停滞は、まさに日本における地名研究、とりわけでその語源研究の停滞と軌を一にするといっても過言ではない。

 地名の意味もわからずに、音の類似だけを頼りに後世の地名に当てはめようとすれば、それは必然的に〝当て物・判じ物″、挙げ句は〝当るも八卦″のレベルに陥るほかない。

 そんな程度の知識では、ブームを呼んだ古田武彦氏の「邪馬壱国」論の奇妙さを指摘し、その論理を真っ向から批判することもできるわけがなかった。さらに、「邪馬台国東遷」論が唱える「ヤマトほか筑紫平野周辺の地名多くが、邪馬台国の東遷に伴って畿内に移植された」などという、地名の常識から見ても、民族と文化の伝播・展開という面からしても、奇怪きわまる論の跳梁を許すことにもなったのである。

 すさまじいまでの自信である。氏は果して従来の〝当て物・判じ物″的論理を越えただろうか。それは論理的に無理なのだ。何度でも言うが、「邪馬壹国」ではなく「邪馬台(臺)国」を公理として選んだスタートの時点でその後の論理展開は〝当て物・判じ物″的に成らざるを得ないのだ。誤謬の公理からは真理を導き出せないのは当然のことである。

 また、氏は『古田武彦氏の「邪馬壱国」論の奇妙さ』を「真っ向から批判」出来ているだろうか。これも「否」と言わざるを得ない。『「21国」の読み:準備編』で指摘したように、氏が言う「奇妙さ」は古田説に対する全くの曲解に基づいている。曲解からは有効な批判が成し得ないのも当然なことである。なお、『地名学…』にはこれ以外に古田氏への批判は見あたらない。
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