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《続・「真説古代史」拾遺篇》(71)



「倭人伝」中の倭語の読み方(14)
投馬国(5):古田説の検討(3)


 投馬国の所在地比定とかかわるので、ここで「東南」問題を取り上げよう。どのような問題なのか、簡単に復習しておく。

 「末廬国―伊都国」の行路記事
「東南陸行、五百里、伊都国に到る。」
は伊都国は末廬国の東南と記録している。しかし、実際には伊都国は末廬国の東北にある。この矛盾を「東南」問題と呼んできた。

 この問題に対する古田さんの解読は次の通りである。

 『三国志』は、実地の地形に即した、実際的な正確性を目標とした記述法をとっている。その実例を二、三あげよう。(管理人注:傍点が付されている語句を斜体文字にした。)

(1)八月、帝、遂に舟師を以て、衙(しょう)より渦に循(したが)ひ淮(わい)に入り、陸道より徐に幸す。〈魏志二〉
(2)先主、陽平より、南、沔水(ベんすい)を渡り、山に縁りて前(すす)む。(蜀志七)
(3)臣初めて之を嫌ひ、水陸倶に進み、今反りで船を舎て歩に就き、処処に営を結ぶ。(呉志十三)


 右は魏・蜀・呉の各志より随時一例ずつひろった。いずれによってみても、きわめて実地の地形を重視し、それをまざまざと眼前に描出しようとする。そういった記述法をとっていることが知られよう。

 先に「島めぐり」読法のところであげた「周旋」表記も、実は、このよう『三国志』全体を通じて一貫した記述方式の一例をなすものであった。

 「島めぐり」読法の「周旋」については『「邪馬台国」論争は終わっている。(5)』で、簡単に触れておいた。参照してください。

 こうしてみると、倭人伝における「東南陸行」についても、あくまで「実地に立った実際的な表記」として理解せねばならぬ。

 今、わたしたちは、唐津の一地点に立ったとして、考えてみよう。

そこからは、つぎのような各他方向へのルートが存在する。

西北陸行 ― 呼子に至る。
南陸行  ― (a)途中、西南行して伊万里に至る。
       (b)途中、東南行して佐賀に至る。
北水行  ― 途中、西北行に転じて壱岐に至る。
東北水行 ― 伊都国に至る。


 これらが今、一個の「道しるべ」(道標)に記されているとしよう。

(管理人注:上の「道しるべ」を確認する資料として地図を掲載しておく。)
倭国中枢部地図

 伊都国に至る陸のルートは、当然、右の中には存在しない。「伊都国に至る、水行」ともちがうのである。いったん、「東南陸行」して、虹の松原付近へのルートをとり、そこからさらに浜崎に至る。そうすると、あとは「北上・東北行」などを海岸線にそってたどり、「周旋」しつつ、迷うことなく、必然的に、伊都国に至るほかないのである。この場合、おおよそ山と海岸にはさまれたあるいはそれに近い行路であるから、右の「南陸行」の場合のように、途中に岐路はない。つまり、この「東南陸行」という「始発」方向さえあやまらねばいいのだ。実地の行路を指示するための、実際的な行路のしるされた「道しるべ」には、当然、その「始発方向」が記せられている。

 こうしてみると、『三国志』全体の表記法と同じく、これがこの行路にとって、もっとも実際的な表記法なのである。

 古田さんはこれを「道しるべ」読法と呼んでいる。不弥国への行路記事も「道しるべ」読法で読まれるべきである。つまり、
「東行不弥国に至ること、百里」
の「東」も「始発方向」を示している。「東方向に出発して百里」である。

 これに対して次の傍線行路
「東南、奴国に至ること、百里。」
「南、投馬国に至ること、水行二十日。」

の場合「東南陸行」や「東行」とは異なる記述である。「行」の字がない。「行」の字がない場合の方向は、「始発方向」を示しているのではなく、「直線方向」を示していることになる。このことをふまえて、投馬国の所在地は次のように推測することができる。

 投馬国は不弥国から「直線方向」が南に当っている。その方向で「水行」して到着する地点としては
①有明海岸(例えば熊本平野)
②八代海岸(例えば八代平野)
③鹿児島湾岸
が候補地となる。その水行の行路は、博多湾を出て「北上→東行(または西行)→南下→…等々」東海岸(または西海岸)を「周旋」する「迂回航路」となる。

 次ぎに「水行二十日」を検討する。前回計算したように「水行一日」の里程は「450里=34.5㎞」だった。すると「水行二十日」では690㎞の行程である。地図上で糸を使って おおよその距離を調べたが①360㎞・②370㎞で、①と②は近すぎる。

   ③は鹿児島湾の一番深いところにある鹿児島県姶良市を選んで糸測定をしてみた。西海岸周旋の場合はおおよそ540㎞、東海岸周旋の場合はおおよそ720㎞だった。かなり大雑把な測定だから一割ほどの誤差を見込むと
西海岸周旋490㎞~590㎞
東海岸周旋650㎞~790㎞
である。東海岸周旋が「水行二十日(720㎞)」に当てはまる。行程の長い方の東海岸周旋が選ばれたのは潮流の具合や途中停泊地の選定の利便さが理由だったのではないだろうか。

 以上により、投馬国は鹿児島湾内の北岸近辺と考えてよいだろう。
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