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《続・「真説古代史」拾遺篇》(66)



「倭人伝」中の倭語の読み方(9)
奴国(ぬこく)・不弥国(ふみこく)


東南奴國に至ること、百里。
東行不彌國に至ること、百里。


 水野氏は奴国と不弥国については次のように述べている。

 伊都国より北九州沿岸を東へ行くと奴国と不弥国とがあり、それよりもさらに東については魏の使者は知見を有せず、また女王国の支配は東方に対してはこの二国のみにとどまり、それより東にはおよんでいなかった。このため『三国志』は伊都国を中心としてそれから東の記載は前の二国に終り、ここで筆を転じてさらに南へと記述を進めていく。そして南方については、もはや魏人は直接的な知見を有せず、すべて魏使の女王国などより派遣された使者の伝聞に基づいた知見であることに注意しなければならない。

 奴国は『後漢書』にいう「倭奴國」の後身である。奴国がわが国の古典にいう「儺縣」、那津官家の地域であり、那珂郡博多、今日の福岡市を中心とする地域にあたることはほぼ異論はない所である(倭奴国については拙稿「倭奴国考」、に詳説してあるので、ここでは略す)。

 「女王国の支配は東方に対してはこの二国のみにとどまり、それより東にはおよんでいなかった。」という断定は〈第二グループ〉の21国への配慮を欠いたための独断にすぎない。21国の中に不弥国より東方の国が含まれている可能性大である。また、「伊都国より北九州沿岸を東へ行くと奴国」というくだりでは「東南奴國」の「東南」を無視して「東」としている。次のように奴国を那珂郡博多に比定したいためである。

 「井の中」でも不弥国を「ふみこく」と読むことに異論は全くないようだ。奴国の方は「ぬ」「な」の二説がある。「井の中」のほとんどの学者は「なこく」あるいは「なのくに」と読んでいる。しかし、「奴」には「な」という読みはない。奴国を那珂郡博多に持っていきたいがために「なこく」というあり得ない読みを創作したのだ。結論が先にあって、その結論に都合のよい解釈をする。「井の中」での得意の手法である。ちなみに、〈筑摩版〉は「ぬこく」と正しく読んでいる。

 「東南」を「東」と原文改定をしているので、「伊都国 東へ100里→奴国 東へ100里→不弥国」と考えているようだ。すると、ここでは「伊都国を基点とする放射状行路」という榎説を捨てていることになる。……と考えたが、さにあらず、だった。不弥国については次のように述べている。

 伊都国より正東の方角に不弥国があることをいった句で、奴国の東にあったというのではない。ゆえに不弥国は奴国からすれば、その北方、もしくは北東に境を接して存在していたことになる。

(中略)

 私はさらに日本の古典にみえる宗像神社の関係を考慮に入れて、宗像神社の所在をもって不弥国を考えたい。すなわち神湊から宗像附近一帯の地をそれに比定する。

 今度は不弥国を伊都国の東ではなく北東に移している。結論先行手法のオンパレードである。

 地図で確認してみた。確かに宗像は糸島の北東にある。距離は糸島・博多間の3倍ぐらいである。倭人伝の記録では伊都国・奴国間も伊都国・不弥国間もともに100里なのにこれを全く無視している。つまり、方角だけでなく、距離も改定していることになる。何というご都合主義か!!

 水野氏は巻末に305冊に及ぶ参考文献を挙げている。その中に古田さんの『「邪馬台国」はなかった』が入っている。しかし、評釈を進める上ではまったく無視しているようだ。
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この記事へのコメント
「使者の伝聞に基づいた知見」という「論証抜きの断定」と、「ほぼ異論はない」即ち「みんな言ってるから正しい」という姿勢は、もはや学問ではありませんね。だんだん腹が立ってきました。
2012/04/12(木) 09:03 | URL | 愛読者 #KUmnAu4w[ 編集]
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