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《続・「真説古代史」拾遺篇》(39)



「倭人伝」中の倭語の読み方(2)
読み方のルール(2)


 「倭人伝」中の倭語については、「使譯」(使者・通訳)を通して知った知識を元に魏の吏官が漢字で音表記したものが原史料になっている、と従来は誰もがそのように考えて疑わなかった。もちろん私もそう思っていた。ところが古田さんは
「倭人伝の中の国名や官職名表記等は、倭人側か倭語の上に立って漢字表記したものである。」
と言う。しかも「音訓併用」だったと言うのだ。特に「音訓併用」という点は私にとって晴天の霹靂だった。にわかには信じられなかった。古田さんの論考をたどってみよう。

 前回確認した事柄を「ルール・その一」とすると、三つのルールに分けられる。

ルール・その一
 漢字の音は「南朝音(呉音)」である。
ルール・その二
 倭語は倭人による表記である。
ルール・その三
 倭人は音訓を併用していた。

 「ルール・その二」の探求は
「壱岐のような〝ちっぽけな″島を、中国側が『一大国』などと表記するはずはない。」
という一読者(故倉田卓次氏)からの指摘がきっかけで始まったと言う。古田さんはこれを「倉田命題」と呼んでいる。

 「井の中」では「一大国」を、「大」は「支」の誤記であるとし、「一支国」という表記を用いている。その論拠を『評釈 倭人伝』は次のように述べている。

「唐の姚思廉(?-637)の『梁書』巻57「東夷伝」倭の条に、「始度一海。濶千餘里。名瀚海。至一支國。」とあり、李延寿の『北史』もまたこれを襲用しているが、それによって一大国は「大」が「支」の誤記で、一支国であることは確かであろう。」

 後代の吏官(姚思廉・李延寿)にとっては「一大国」は意味不明の異様な国名に見えたのだろう。これを「一支国」と改編した。しかしあくまでも原史料「倭人伝」の表記に従うべきだ。後代の史料を用いて「誤記」と論難するのは不当だ。そもそも後代の吏官にとって意味不明と思われたことが、「一大国」が倭人による表記であることを示しているととらえるべきなのだ。

 もう一件身勝手な改訂問題がある。「井の中」では(A)「対海国」(紹熙本)ではなく、(B)「対馬国」(紹興本)の方を用いている。これについては古田さんの解説があるので、それを読んでみよう。

紹興(1131~62)
紹熙(1190~94)

 上の年代のしめすように、「紹興本」の方が「紹熙本」より古い。しかし、「紹熙本」は実は北宋年間の咸平6年(1003)の「牒(ちょう)」が付されているように、「北宋本の復刊本」なのである。すなわち、その実質においては「紹熙本」の方が「紹興本」より古いのである。

 もちろん、その文面のほとんどは、両者同一である。「邪馬壹国」なども、両者の間に変わるところはない。

 ただ一つの〝ちがい″、それが、
(A)対海国 - 紹熙本
(B)対馬国 - 紹興本
の一点なのである。では、どちらが「本来の形」か。

 今までの史料批判からも明らかなように(A)の方が本来形であり、(B)の方は現在(21世紀)も使用されている「現地名」によって「改定」したものである。

 そして岩波文庫も、(B)の形を「正当」としているため、漫然とこれに従っている論者が多い。不当である。この点、第一書以来、くりかえし記してきたところ、改めて念を押しておきたい。

 さて、それでは倭人はどうして「一大国」・「対海国」という表記をしたのだろうか。古田さんは私などには思いも及ばない発想をする。『古事記』の「大八島国の生成」説話の「亦の名」を取り上げている。

…次に伊伎(いき)島を生みき。亦の名を(1)天比登都柱(あめひとつはしら)と謂ふ。次に津(つ)島を生みき。亦の名を(2)天之狭手依比賣(あめのさでよりひめ)と謂ふ。

 〈大系〉の頭注は(1)について「天一つ柱で孤島の擬人化」と解説している。つまり、「孤島」を「柱」に見立てて、一般名称のように解釈している。壱岐島は「天族」にとっては単なる「孤島」ではなく、祭祀の中心の一つをなす重要な島である。(1)にはそれに見合った意味があるはずだ。なお、(2)については「名義未詳」としている。

 (1)・(2)に対する古田さんの解読を読んでみよう。

(1)天比登都柱
 古事記の「国生み神話」に「亦の名」がある。〝古い用例″である。これを考えてみよう。

 この「一大国」はむろん壱岐だ。その壱岐は「亦の名」では、 「天比登都柱(アマヒトツハシラ)」
である。

 「天」は「海士(アマ)族」の「アマ」を、「天」という〝美しい文字″で表記したものである。「アマミオオシマ」(鹿児島県)や「アマ(海士)町」(島根県)のように、対馬海流上の島々にこの名前が残されている。この対馬海流上に活躍した部族、それが「海士(アマ)族」なのである。

 「比」は「日」。「登」は「戸」。「都」は「津」。「ヒトツ」は〝太陽の神の神殿の戸口にある港″の意である。

 これに対して「柱」は「ハシラ」。「ハ」は「葉」。根や茎に対して〝広い場所″の意味だ。「シ」は〝人の生き死にするところ″。わたしの言素論の基本語の一つだ(後述)。「ラ」は接尾語。「ウラ(浦)」「ムラ(村)」「ソラ(空)」など、日本語にもっとも多い接尾語の一つである。だから「ハシラ」とは〝広い、人の生き死にするところ″の意なのである。

 以上を要すれば、これは「原の辻」を指している。壱岐島の中の「弥生遺跡の中心地」である。その東側に湾があり、入江になっている。ここが「ヒトツ」に当る場所である。その西に短い間道を通って、原の辻が存在する。すなわち、「海士族のための、太陽の神殿の戸口のある港に臨む、人の生き死にする広い場所」これが「原の辻」の古称なのである。

 わたしはかつて〝岩や山が柱状になっているところ″を求めてこの島を何回も歩き廻ったことがある。しかし(後代に達成された記念物は別として)一切「~の柱」なるものを見出すことはできなかったのである。

 「ハシラ」は漢字表記の「柱」そのものを指しているのではないと言う。そして「アマヒトツハシラ」から「一大国」という表記が生まれたと言いたいようだが、その説明がない。私なりの補充をしておこう。

 「ヒトツ」は「ヒトツ・フタツ…」の「ヒトツ」と音が同じなので「一」と表記した。これは分りやすい。では「大」の方は何だろうか。「ハシラ=広い、人の生き死にするところ」の「広い(広大な)」から「大」という表記を選んだ。あるいは対馬・沖ノ島など「天族」の領域内にはたくさんの島があるが、その中で一番「大きい」島という意味も込めているのかも知れない。

 次に(2)の解読を読んでみよう。

(2)天之狭手依比賣
 決定的だったのは、「対海国」である。この方は「一大国」とは異なり、一見すれば〝穏当″に見える。対馬は四面、海に対しているからである。だが、よく考えれば「否(ノウ)」だ。なぜなら、もしそのような意味なら、日本列島の中の大部分、この表記に〝当たって″しまう。阿蘇山や信州など、一部の例外を除いて。だから〝不当″なのである。

 しかし、「古い用語」では、ちがった。例の古事記の「亦の名」では、
「天之狭手依比売(アメノサデヨリヒメ)」
である。

 「天」は、例の「海士(アマ)族」である。「狭手」は〝熊手″。砂浜で貝などを〝たぐり寄せる″器具だ。「依(ヨリ)」は〝よりしろ″。神の降臨したまうところである。「比売」は当然〝太陽の女神″だ。つまり、「海士族にとって、狭手を〝よりしろ″として降臨したまう、太陽の女神」の意味である。

 一方の「対海」。漢字面である。「対」は〝こたえる″の意。「海」は〝水の大神″である。

對(こたヘる) - 「言を聽く、則ち對」(詩、大雅、桑柔)「對、答也」(箋)

海(水の神)-「海之鹽蜃。」(左氏、昭、二十)「海、是水之大神」(疏)

 「対海」とは〝海の大神の「アマノサデヨリヒメ」にお答えする祭りを行う国″の意なのである。

 海には海のルールがある。漁師たちは、それを守る。海の大神の定めたまうたルールと考えている。それを破るとき、災害がおとずれる。破らない一年は〝無事″だったのである。 - それを報告する、お祭りなのである。

今も、対馬(北部)には「アマノサデヨリヒメ」を祭神とする神社が少なくない。そういう倭人側の「目」で、倭人によってつくられた国名、それが「対海国」だったのである。

 この(2)「対海国」の解読については、私は「間然する所なし」と思う。ただし、語義説明の引用文(青字部分)に分らないことがある(特に出典が「左伝」の部分)。「諸橋大辞典」からの引用だろうか。どなたか分る方おりましたら、教えてください。(自分でも図書館に行って調べてみます。なにか発見があったら報告します。)

 以上の(1)・(2)の解読から、私は「ルール・その二」の正当性を疑がわない。
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この記事へのコメント
諸橋大漢和四巻の三九Pに「對」こたへる・・[詩、大雅、桑柔]聴言則對。[箋]對、答也。
諸橋六巻一一六〇Pに「海」・・水の神[左氏、昭、二十]海之鹽蜃。[疏]海、是水之大神。とあります。
 ただ個人的には倭語の島名は津島(ツシマ)、国名は半島(馬韓?)に対峙する上県が「対馬国」、玄海(対馬海峡東水道)に対峙する下県が「対海国」だと思っています。何故なら古田さんの倭人伝の里程解析上有名な「島廻り読法」では、上県は通過せず」下県を半周しているわけで、これから見ると倭人伝の大海国は下県になるからです。
 上下で県が分かれているということは別国であった名残ではないでしょうか。
2012/03/25(日) 01:08 | URL | 愛読者 #KUmnAu4w[ 編集]
(追加)玄海(対馬海峡東水道)などといわなくとも「始度一海。濶千餘里。名瀚海。至一支國。」ですから「瀚海に対峙する国」としての名でよかったですね(倭語で対馬と壱岐の海峡をどう呼んでいたか不明ですが・・)
2012/03/25(日) 09:26 | URL | 愛読者 #KUmnAu4w[ 編集]
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