2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《続・「真説古代史」拾遺篇》(37)



番外編
問題の焦点は「狗奴国」


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 吉本隆明さんが亡くなられた。
 「唯物論哲学 対 観念論哲学(2):番外編・私の師匠」で書いたように、私は吉本さんからたくさんのことを学んだ。その主要な著書はほとんど揃えている。このブログの記事作成でもその著書を資料として度々利用している。
 吉本さん、ありがとうございました。

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 前々回の続編です。

 松岡氏は「第294夜」以外に、「第1011夜」と「第1157夜」で古田さんに言及している。前回取り上げた「第294夜」から4・5年後のことになる。古田さんに対する評価に変化が見られる。

第1011夜「『日本史の誕生』岡田英弘」(2005年3月8日)
 東洋史というのはもともとそういう視野をもつ学問だから、このような視点をもった試みは内藤湖南や白鳥庫吉このかた、なかったわけではない。中国神話や朝鮮神話、さらには東アジア神話と日本神話を比較して古代日本の王権確立構造に光をあてようとした試みも、古くは三品彰英から70年代の大林太良まで、少なくはなかった。なかでも鳥越憲三郎や吉田光男による東アジアを睨んだ倭人研究、あるいは福永光司の道教研究による天皇像のルーツの追跡、萩原秀三郎の稲と鳥に視点をしぼった比較などは興味深かった。数々の話題をさらった古田武彦の大胆な古代史仮説もずいぶん読ませてもらった。

 しかし、歴史学として中国史やアジア史のなかに古代日本史がちゃんと確立されたことはなかったのである。宮崎市定さんもそこは確立しないままに研究を終えられた。いっときは江上波夫の騎馬民族説も話題になったが、さきごろ亡くなった佐原真さんの決定的な批判をはじめ、これはいまでは認められていない。

 ここでは実際に「ずいぶん読」んだと明言している。そして「大胆な古代史仮説」と評価している。しかし、「大胆な」という評言に私は違和感がある。松岡氏は、意図的に「大胆」を目論んだ、という意味で使っているわけではないだろうが、そのようなニュアンスが付いてくる言葉だ。古田さんの仮説は「確かな方法論に依拠した論理的思考の結果の仮説」なのだ。そして、その仮説は通説と著しく異なるものになった。随って通説から見れば、結果的に「大胆な仮説」になったのだ。ここは松岡氏の見識を問うことが主題ではないので深入りはしないが、古田さんの著作をずいぶん読んだはずなのに「歴史学として中国史やアジア史のなかに古代日本史がちゃんと確立されたことはなかった」という評言が出てくる。大知識人に対して口幅ったいもの言いになるが、「論語読みの論語知らず」ということわざが頭に浮かんだ。まさに古田さんの著作の中にその「確立」が読み取れるはずなのだ。次の「第1157夜」でも同じ感想を持った。ともあれ、松岡さんは「カルト本」というレッテルは破棄したようだ。

 なお、岡田英弘著『日本史の誕生』に少し触れておきたい。松岡氏はこの著書の内容をかなり詳しく紹介している。それを読むと「広開土王碑」のあたりまでの叙述には多元史観の立場からも興味深いし納得できる議論になっている。しかし、それ以後になるととたんに「ヤマト王権一元主義」の虚妄説にのめり込んでしまう。例えば、次のようになる。

 謎の4世紀はおわって、時代は5世紀になっている。ここから先はどちらかというと東アジア史的な日本史像はそれほどぶれなくなってくる。言ってみれば、東アジアのグローバリズムと日本列島のローカリズムが、政治上は重なってきたわけである。たとえば、倭王讃と倭王珍が誰であるかはまだ議論が分かれるが、倭王済が允恭、倭王興が安康、そして倭王武が雄略天皇ことオオハツセワカタケルだということまではわかっているし、稲荷山鉄剣もワカタケルを大王と称したことを証かした。

 「倭の五王」や「稲荷山鉄剣のワカタケル」だけではなく、すでに古田さんによって論破されている「井の中」の定説が次々と出てくる。

第1157夜「『九州水軍国家の興亡』武光誠」(2006年9月27日)

 次の引用文にあるように松岡氏は「北九州は古代日本のすべての原点」と、私(たち)と同じ認識を示している。そして、『九州水軍国家の興亡』の内容紹介も大変興味深い。直接読んでみようかという気持ちが起こってくる。しかし、次のようなくだり(赤字部分)になると、とたんに「?」が頭をもたげてくるのだった。

 このうち、肥前北部・筑前・筑後の集団は朝鮮半島との交易で拡張していった。また豊前・豊後の集団は瀬戸内海航路を活用して西日本各地との交易に向かっていった。これらはすべて弥生時代の開始とともに水田耕作にもとりくんでいる。  それに対して、肥前南部・肥後・日向・薩摩・大隅の地域には縄文社会の伝統を引く狩猟民が残存した。稲作も遅れ、3世紀になって菊地彦の領土を中心に「狗奴国」となり、また西都原(さいとばる)遺跡に代表される小国家群となっていった。

 これで九州の九天すべてが定着したわけではないが、おおむねこのように弥生後期の九州が「海の民」の渡来と定住と移動によってしだいに割り振りされていったことになる。

 今夜のぼくは、たまたま柳川の水郷から古代九州水軍国家の夢の跡をふと思いめぐらしたのだけれど、あえて勇猛果敢にその足跡を追っていきたいという気分の者も少なくないはずだ。そこは本書ほか、古代九州ものをあれこれ渉猟されたい。かつて一世を風靡した古田武彦のもの、水野祐のもの、さかのぼっては鳥居龍蔵のものや内藤湖南のものなど、猛者の推理が手ぐすねひいて待っている。なにしろ北九州は古代日本のすべての原点なのである。

 ただし、そういうものを渉猟する前に、一言。本書のなかの一枚の分布マップを頭に入れておかれるといいだろう。245ページの「伊都国連合から邪馬台国連合へ」という図だ(図版参照)。

 これでわかるように、玄界灘を懐に抱いた伊都国連合と邪馬台国連合と、ここではふれなかった宇佐国連合や狗奴国連合が、一挙に九天の九州に散っていったのである。この一枚のマップを見ていれば、そのような九天の構図が一目で瞭然になる。

渉猟すべき「古代九州もの」の一つとして古田さんの著作を加えている。古田さんの著作を「古代日本の原点」を探る上での重要な研究成果一つだとの認識を示している。

 ところで、(図版参照)と付記されているが、その図版は次の地図である。

北九州勢力図

 「?」マーク付きながら「狗奴国」を、「井の中」での定説通り、熊本県菊池市辺りに比定している。この地図では「狗奴国連合」の南をどう扱っているのか不明だが、上の赤字部分から推定すると、薩摩まで「狗奴国連合」に入れているらしい。「投馬国=薩摩」という比定は「井の中」だけでなく、ほとんどの論者が一致している比定である。上の図ではその「投馬国」が、なんと、吉野ヶ里の東に比定されている。このような地図が出来上がる論拠を知りたいものと、日頃利用している図書館の蔵書を検索して見た。武光誠という学者さんを今まで存じ上げていなかった、すごい、138件もヒットした。しかし残念なことに『九州水軍国家の興亡』はなかった。

 ところで、「九州王朝の領域」で論じたように、「狗奴国=熊本県近辺」という定説を否定する議論の発端は、北(邪馬壹国 戸数七万)と南(投馬国 戸数五万)を強力な敵対二国はさまれている「狗奴国」が女王国の脅威になるはずがない、という論点であった。もしも「投馬国」が吉野ヶ里の東に位置していたのなら、その論点そのものが無意味になる。

 また上図より「邪馬台国=山門」説であることが分る。「…次ぎに奴国あり。これ女王の境界の尽くる所なり。その南に狗奴国あり。」を「女王の境界の尽くる所の南」ではなく、「女王国の南」と誤解釈した論だと推定できる。典型的な「井の中」論である。

 武光氏の上記の著書では「狗奴国」の運命まで書いているのかどうか分らないが、水野祐氏の「三王朝交替説」では「狗奴国」が「邪馬台国」を滅ぼした上、東進すると言う筋書きになっている。「騎馬民族征服説」は「井の中」でも否定されているようだが、その修正説は後を絶たない。「三王朝交替説」とその修正説は意気軒昂である。

 いま菊池秀夫著『邪馬台国と狗奴国と鉄』という本を図書館から借りている。「鉄」を正面に据えているのに注目した故だった。まだざっと目を通したばかりだが、九州内の勢力図は武光氏の図版とほぼ同じである。そして、
「女王国連合、もしくは狗奴国がどちらかを滅ぼした後、畿内へと移動し、大和王権を成立した」
という東遷説を説いている。また、生き残ったのは「狗奴国」としている。いわば水野東遷修正説になっている。菊池氏の著書は2010年の出版なので最も新しい東遷説と言えよう。この菊池説では鉄の出土状況を論拠に一つに据えているところが新しい。この問題は検討しようと考えている。

 まとまりのない叙述になってしまったが、問題の焦点は相変わらず「狗奴国」であることを言いたかった。三世紀を終えて四世紀・五世紀……と時代をくだりながら学習し残した問題を取り上げていこうと思っていたが、いましばらく三世紀に止まることにする。
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