2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《続・「真説古代史」拾遺篇》(35)



番外編
『「邪馬台国」はなかった』は「カルト本」?


 ネット検索をすると「松岡正剛の千夜千冊・・・」というサイトがヒットすることがある。一度、『大日本帝国の痼疾(21)』で、利用させていただいた。山本七平著『現人神の創作者たち』の書評中の一文だった。

 30年ほど前に『遊』という雑誌で松岡正剛氏と吉本隆明氏の「昭和が終わっちまう前に」という対談を読んだことがある。また松岡氏監修の工学研究所刊『情報の歴史』を所有している。私は松岡氏をその程度しか知らない。しかし、「千夜千冊」を見ると、氏の読書量たるや驚異的である。量もさることながら、その種類も半端じゃない。あらゆるジャンルに及んでいる。その知識量においては右に出るものはないのではないかと思っている。しかし、知性とは量の問題ではないという、当たり前と言えば当たり前の事実に遭遇した。

 1ヶ月ほど前のこと、そこに到達した経緯は忘れてしまったが、「千夜千冊『謎の神代文字』佐治芳彦」(第294夜・2001年5月17日)に出会って読んでみた。次のように書き出されていた。

こういう本を採り上げるについて、先に一言書いておいたほうがいいだろう。

 こういう本とは、ぼくが仮に「アダムスキー本」とよんでいるもので、超古代史もの、UFOもの、偽史伝もの、予言ものなどをいう。巷間ではしばしば「カルト本」などともいわれる。だいたい見当はつくだろう。

 私は「アダムスキー」という人物を知らなかったので、これもネット検索してみた。113万件もヒットした。疑似科学者だった。このような本は松岡氏が言うように「カルト本」ともいわれる。私は「トンデモ本」と言ってきた。改めて「トンデモ」の定義をウィキペディアで確認したら
「飛躍した論理で、論証もされていない仮説、考証のずさんなフィクションなどを含む」
とあった。私は「トンデモ本」をこのような意味で使っている。

 松岡氏の文章は次のように続く。

 ぼくの知っているかぎり、このような本、たとえばヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』、チャチワードの『失われたムー大陸』、デニケンの古代遺跡をめぐる一連著作、日本でいうなら吾郷清彦の『古事記以前の書』や古田武彦の『邪馬台国はなかった』、最近よく売れた本の例でいえばグラハム・ハンコックの『神々の指紋』といった本を、これまでまったく読んだことも覗いたこともない読書人やメディア関係者というのは、まずいない。誰もが一度や二度は手にとっている。本棚の片隅に眠っているばあいも多いことだろう。

 それにもかかわらず、このような本が一般的なメディアで書評の対象になるということは、ほとんどない。書評どころか、知識人たちのエッセイに登場することもない。理由はただひとつ、「いかがわしい」からである。

 しかし、「いかがわしい」というだけなら、世界の全刊行書籍のうちのおそらく半分以上はいかがわしい。

 私は「読書人やメディア関係者」の範疇に入らないから、上の「カルト本」のうち読んだ本は『邪馬台国はなかった』だけである。その程度の私が言うべき事ではないかも知れないが、
『「いかがわしい」というだけなら、世界の全刊行書籍のうちのおそらく半分以上はいかがわしい。』
という判断はたぶん正しいと思う。

 ここまで書いて気が付いたことがある。
 ここまで私は、松岡氏の読書量にもかかわらず、古田さんの著作を「カルト本」に入れてしまう松岡氏の論理・論証についての理解度を疑っていた。しかし、これほどの読書家が論理や論証の質を見誤るだろうか。もしかすると氏は、本を読んでいないのに、表題だけで「カルト本」というレッテルを貼ったのではないだろうか、と思った。そのように推測をした根拠は次の通りである。

 松岡氏は古田さんの著書を『邪馬台国はなかった』と表記しているが、正しい表題は『「邪馬台国」はなかった』である。古田さんは定説になっている「邪馬台国」を否定している。括弧(「」)がないと「邪馬台国」そのものの存在を否定していることになる。松岡氏はそのように誤解したのではないか。

 もし、氏が本を実際に読まずに「カルト本」というレッテルを貼ったとしたならしたのなら、それは知識人あるいは書評家として礼節を欠いた所業である。誤読は誰にもままあることだが、こちらは自らをも貶める所業と言わなければなるまい。

 また、松岡氏は
「書評どころか、知識人たちのエッセイに登場することもない。」
と断じているが、少なくとも『「邪馬台国」はなかった』に関してはその見識を疑う。

 私は古田さんの著作に初めて接した時の驚きを次のように書いた。

「実際に読んでみてびっくりした。今までの諸仮説がはらんでいる問題点・矛盾点を克明に批判しながら、堅固な論証の上に自説を展開している。私はこれまで知ったどの学説よりも正しいと思った。同時に、学者たちがこの古田さんの一連の論文をほとんど無視しているらしいことを、いぶかしく思った。」

 今は、全ての学者が無視していたのではないことを知っている。たまたまいま読んでいる草野善彦著『二世紀の卑弥呼 「前方後円墳」真の構築者』でその一例に出会った。「日本古代史研究に投じた一石――『「邪馬台国」はなかった』」(1973年「朝日ジャーナル vol15 NO.50」所収)と題した家永三郎氏の論説である。抜粋文だが孫引きする。

確定した結論よりも、方法が科学的であるか否かが、学問にとって死活の問題なのだ。そのような観点から、古田武彦が『「邪馬台国」はなかった』の一著において提示された学説の意義は、この説が成立すれば、『魏志』所伝の「邪馬台国」が畿内か九州かという一世紀以上にわたる論争史が根底から吹き飛ばされてしまうという、結論の重大性いかんにあるというよりは、これまでのすべての 『邪馬台国』論者の史料の取り扱い方に根本的反省を求める、方法論上の創見のほうにある、と私は考える。

 私のような、この問題についての非専門家は、結論の当否を判定する能力はないけれど、古田氏の提出した方法論上の問題の意義の重大性はよく理解でき、従来の研究の根本的な再検討の必要のあることに同感するのだが、『魏志』の文字を意改したうえで自分の説が根底から崩れることになるので、古田説にたいする学界の反応は、大勢として冷たいように見受ける。

 とくに『読売新聞』5月29日から6月16日(1973年)まで、15回にわたり連載された榎一雄氏の古田学説攻撃の熱気はすさまじかった。それはご自身の日本国家成立説を防衛するための純学問上の情熱の現れなのか、それだけでなく教科書裁判控訴審に文部省の主張を支持する証拠として提出されている榎鑑定書の権威を防衛する必要も加わっているのか、私にはしるすべもないが……

 この論説は松岡氏が「カルト本」というレッテルをはった年(2001年5月17日)より23年も前に書かれている。(「新・古代の扉」で調べたら、『新・古代学の扉』第7集に再録されているという。いずれ全文読んでみよう。)

 もう一つ、つい最近の例を挙げておこう。産経新聞の読書欄に掲載された杉田敬三氏(ミネルヴァ房代表取締役社長兼編集部部長)の書評である。(ネットで紹介されていたものを記録した。うっかり日付の記録を忘れました。)

論理的かつ実証的な結論

 読まない人にとっては、うさん臭くみえ、読んだ人には「目からウロコ」が落ちる本である(私自身、その驚嘆すべき結論(邪馬台国の所在地)に衝撃を受けた。

 これほどスリリングな本にそう滅多に出合えるものではない。30年以上、編集者として専門書をつくってきたが、これほど見事に論理的かつ実証的な論を進める著者は皆無である。網野善彦や阿部謹也の社会史のおもしろさとは全く異質のものである

 本書を読んだのは30年前のこと、丁度「邪馬台国」論争が今よりももっと盛んなりし頃である。玄人も素人も、近畿説であれ九州説であれ、我田引水の本が満ちあふれ、史料の少なさをいいことに、みな女王国のありかを好き勝手に設定し、「論争」にかこつけて、何でもありがまかり通っていた。

 そんな古代史に辟易していた。だから、書名を見て、まゆつばものがまた出たかとしばらく読まずに放っておいた。

 たまたま読み始めるや、著者の文献解読の手堅さや論理展開の精緻さに舌を巻きつつ、400㌻を超える大著を3日で読了した。

「これで勝負あった」

 それ以降、次々と刊行される古田武彦の本を読み漁ったが、最初の読後感は変わらず、ほんものだと確信した。

 書店に並ばなくなって久しい本書を、埋もれさせてはならない、という一念で、〈古田武彦・古代史コレクション〉の一冊として刊行した次第である。

 松岡氏も「まゆつばもの」と思い込み、読まなかったのかも知れない。
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1725-f34a129a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック