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《続・「真説古代史」拾遺篇》(53)



狗奴国の滅亡(34)
「崇神大和侵入」説の再検討(3)
三王朝交替説(水野説)の崇神(2)


 水野氏による崇神の和風諡号解釈の続きを読もう。

 したがって「入彦」と「御間城」の言葉の組み合わせは、聖樹・真木の樹林の中に自ら入っていって神霊を体得した、そして覡になったという意味になり、「御間城入彦」は「神聖な真木の樹林において神霊を受けた神聖なる存在体」と解せます。

 さらに最後に出てくる「五十瓊殖」という言葉ですが、「い」は「厳」のことで、神聖性を帯びたものの尊称であり、「にえ」は「苞苴担子(にえもつのこ)」というときの「にえ」、あるいはいろいろな捧げ物の「御贄」で、食べ物のことです。そこで「いにえ」は「神聖なる贄」を意味する言葉となり、そこから「神霊の祀りに捧げる神饌を主宰する」という意味が出てきます。

 この「いにゑ」の解釈もこじつけに過ぎると思う。なぜ「イ=厳」となるのか、私にはさっぱり分らない。「厳」には「いず・いつ・いつき・いわ」などの訓があるので、その「い」をとったのだろうか。また「ゑ」と「え」の区別は置くとしても、「贄」は古語では「にえ」ではなく「にへ」なのではないだろうか。

 さらにもう一つ、「苞苴担子」などという(私にとっては)意味不明の言葉を持ち出す意図が分らない。出典を明らかにしていないが、『日本書紀』の「神武天皇即位前紀戊午年八月」条にあった。

亦梁(やな)を作(う)ちて取魚(すなどり)する者有り。天皇問ひたまふ。對へて曰さく、「臣は是苞苴擔(にへもつ)が子なり」とまうす。

「苞苴(ほうしょ)」の意味は

①つつみと、しきもの。増答品。物を贈るとき、わらに包むのを苞といい、わらを下にしくのを苴という。②わいろ。まいない。(大修館書店版「新漢和辞典」)

 「苞苴擔之子」(原文)をなぜ「にへもつのこ」と訓じるのか。『古事記』では「贄持之子」なのですね。あの「尾生(あ)る人」の直前に出てくる「国つ神」である。これならまごうことなく「にへもちのこ」である。この訓を転用したのだった。

 以上、なにがなんでも崇神を「覡」としたい意図が読み取れる。

 まとめると、崇神天皇の御名は、「神霊を帯した霊的で、覡的な存在体である」ことを意味する御名であり、この天皇が初代の天皇とするに相応しい、神聖な呪的司祭的王という資質をもち、カリスマ的な王として君臨した天皇だということが、はっきりと御名の上から明らかになります。

 俾弥呼やタリシホコの例に見るように、宗教と政治が未分化だった古代では司祭的王と政治的王を兄弟姉妹で分担した例があるが、一人の王が権力を掌握している場合は、一般的に王は司祭的要素を併せ持つのは当然だろう。ただし王自身が「覡」であることはまれなのではないか。崇神の場合も、あの「神々の祭祀」説話では実際に「覡」の役割を演じているのは「意富多多泥古命」だった。

即ち意富多多泥古命を以ちて主(かむぬし)と爲(し)て、御諸(みもろ)山に意富美和(おほみわ)の大の前を拝(いつ)き祭りたまひき。

 『古事記』では「神主」という言葉が使われているのはここだけである。この「神主」は「巫覡」と同意に用いられていると思う。『日本書紀』では「功紀」に3例、「天武紀」に一例ある。初出は「神功皇后摂政前紀三月」条で次のようである。

三月の壬申の朔に、皇后、吉日を選びて、齊宮に入りて、親(みずか)ら神主と爲りたまいふ。……

 ここでは功自らが「巫女」になっている。

 以上のように、水野氏による崇神の和風諡号解釈は、「真木=槇」という点にはそれなりの可能性があるが、「入彦」と「五十瓊殖」の解釈には難点がある。やはり受け入れ難い。

 「崇神の狗奴国攻め(1)」で取り上げたように、奈良盆地における古冢期鉄器の貧弱な出土状況と崇神の目覚ましい軍事活動との落差を説明できる点から、「ミマキ=任那の要害」説に賛同した。今のところこの考えは変える必要はないと判断する。

 ところで、「愛読者」さんの「イリ=西」説や『現代のアイヌ語でも……名詞の上につけられた「i」は「神聖であること、タブーであること」をしめして用いられているというのである』という古田さんの指摘に触発されて、時にはアイヌ語や琉球・琉球語に目を向けるのも有効だな、と思った。それで二つ思い出したことがあって調べてみた。それを紹介しよう。

 一つは、司祭的王と政治的王を兄弟姉妹で分担した例が琉球にあったことを思い出した。「聞得大君(きこえおおきみ)」である。草野善彦著『二世紀の卑弥呼 「前方後円墳」真の構築者』に「沖縄と九州の類似性」という項に『伊波普猷全集』(平凡社)からの引用文がある。それを孫引きする。

 この聞得大君は王の姉妹が任命されるのであったが、彼女はすなわち国王を守護する生御魂(現人神(あらひとがみ))であった。オモロ(古代沖縄の歌を集めたいわば沖縄の万葉集)の中には、彼女を歌ったものが沢山あるが、彼女をやはり『おなり神』といっている。そしてその同義語は『くせせりきよ』になっているが、このくせはあや(美)の対語で奇しきの義があり、せりは宣りの義だから、『くせせりきよ』には、神意を宣べる奇しき人の義がある。琉球の政祭一致時代に、政治家が巫女の託宣によって政をおこなっていた……

 草野氏はこの引用文を受けて
『中国人がいう「鬼道」とはこの神がかりの「御託宣」であろう。』
と推測している。

 上の引用文中で「聞得大君」は「おなり神」とも呼ばれているとあるが、古くから「おなり信仰」というのがあって、聞得大君はその信仰を踏襲したもののようだ。「おなり信仰」については吉本隆明他著『琉球弧の喚起力と南島論』(河出書房新社 シンポジウムの記録)中の註記コラム(筆者:比嘉政夫)から引用する。

 沖縄をはじめ琉球列島の言語では姉妹を「をなり」(wunai)兄弟を「ゑけり」 (wikii)とよぶ。そして姉妹は兄弟に対して優位に立つという信仰があり、その観念は兄弟の危機などに際して姉妹が庇護する能力を持つというものであり、具体的には兄弟の旅立ちに際して姉妹がその安全を祈り「御守り」を与え、あるいは兄弟の家の豊穣を姉妹が予祝するという習俗に示される。したがって女性は他家に嫁いだ後も生家の兄弟に対して「をなり神」としての役割を実行するために、主要な農耕儀礼に際して生家に戻る義務を負う。呪術宗教的な側面からみれば兄弟姉妹の結び付きは夫婦関係に優先することもあるのである。

をなり神信仰の儀礼は稲作の衰微など生活様式の変化によって今日姿を消しつつあるが、稲の収穫後兄弟が嫁出した姉妹に新米を捧げる慣行は戦後の都市周辺の農村部でも行なわれていたようである。(以下略)

 このおなり信仰の反映だろうか、どの方言にも女性に対する卑称(卑しいものと辱めていう表現)があるが、琉球列島には一つもないそうだ。

 もう一つ、アイヌ語と倭語の共通点を論じている梅原猛氏の論考を思い出した。梅原猛・吉本隆明共著『対話 日本の原像』(中央公論社)所収の梅原氏の論文「遙かなる世界からの眼を」である。調べてみたら、その論文に「イリヒコ」を論じている部分があった。次のようである。(読みやすいように原文にない段落を入れた。)

 たとえば「iri」という言葉がある。それは一家族の単位をあらわすものである。「イリ」というのは、「一緒に」「ともに」、という副詞にもなる。

 アイヌ語でこの「イリ」を語幹としていろいろな言葉ができる。例えば、「iritak」というのは、親族兄弟を示す。「itak」すなわち「言葉」を「ともにする」という意味であろう。あるいは、親戚のことを「イリワクネグル」というが、「イリ」は家族、「ワク」は日本語の「ワケ」に通じる。「ネ」は日本語の「ネ」と同じく、「アル」という意味。「グル」は先の「クル」と同じ意味で、「人」を意味する。とすると「イリワクネグル」は「家族を分けたものである人間」という意味になる。これはアイヌ語なのであろうか、日本語なのであろうか。

 ところが日本古代においては、アイヌ語以上に、この「イリ」という言葉は、たくさんの変化形をもつのである。日本古代語において、アイヌ語の「イリ」にあたるのは「イロ」である。「イロ」は同じように親族を示すが、母系の親族関係を示すものである。それゆえ、「イロハ」というのは同母の母である。「イロセ」が同母の兄弟、「イロエ」が同母の兄、「イロネ」が同母の姉、「イロモ」が同母の妹。この「イロモ」がつまって「イモ」となるのである。この「イロ」はまた「イラツメ」の「イラ」とも「イリヒコ」の「イリ」とも関係するに違いないのである。

 このようにみると、日本古代語のほうが、むしろ「イリ」あるいは「イロ」の派生語がより多いように思われるが、その語源はやはりアイヌ語の「イリ」、一家族のものという意味によって、より明確に理解されるのである。

(中略)

 また「イロモ」の「モ」は、アイヌ語では小さいものを意味するところを見ると、イロモは同母集団の中の小さい可愛い人間を意味するとみてよいであろう。「イラツメ」は「イリの女」、すなわち同母集団の女を意味するのであろうが、アイヌ語で女は「マツ」である。この「マツ」は日本語の「メ」と関係があろう。

 また「イリヒコ」の「ヒコ」は、霊力のある人を意味する古代語であるが、「ヒコ」はアイヌ語の「ピト」と関係があると見られる。アイヌ語の「ピト」というのは、けっして人間一般をさす言葉ではなく、霊力ある人間をさす言葉であり、よく「カムイ」か「ピト」かというふうに使われる。神か、それとも霊力ある人物かという意味であるが、沖縄語でも「ネガミ」と「ネビト」という形で使われる。「ネガミ」は女、「ネビト」は男であるが、いずれも霊力ある人間という意味であろう。

 ところがこの「ピト」が先の上田万年のいう音韻の法則(管理人注:古代日本語のF音はかってP音だった)で「ヒト」になると共に、意味を広め人間一般をさすようになったので、新しく霊力ある人間をさす言葉として、「ヒコ」が登場したのであろう。「イリヒコ」というのは同母家族の中に入婿した霊力ある人間という意味であろう。

 こんな考察を続けるときりがない。全くきりがないほど、アイヌ語と日本語、特に古代日本語はよく似ているのである。そして『おもろ』の沖縄語も十分アイヌ語及び古代日本語の面影を止めているのである。

 倭語でも「ヒト」はアイヌ語と同じ「ピト」(霊力ある人間をさす言葉)と同じ意であったが「人」一般を指す言葉となったので、それに変わる語として「ヒコ」が使われるようになった、と説いている。念のため図書館に行って「アイヌ語辞典(『萱野茂のアイヌ語辞典』)を調べてみた。

ピト【pito】
 ①神に対する敬称,神.
 ②人間に対する敬称,者.

 例えば宮廷の「女房」がやがては一般庶民の「妻」の意味で使われるようになったように、たぶん①→②という変遷があったのだろう。倭語の場合もそのような変化があったかも知れない。しかし、②から「霊力ある人間」という意は、私にはくみ取れない。あくまでも一般的な敬称だろう。「ピト=ヒト」→「ヒコ」という理路には釈然としない。

 「記紀」には神話にも「ヒコ」がたくさん現れる。神話で使われている「ヒコ」は、梅原氏が説くように「霊力ある人間」をさす言葉だったのかも知れないが、「倭人伝」が証言しているように古冢時代後期には長官というような意味で使われている。これと「イリ=同母族」とを結合すると、「イリヒコ」は「同母族の長」というような意味になる。これは一つの仮説になり得るが、崇神の系譜につながるものたち十数名もがそれを踏襲している称号としてはしっくりしない。

 また、「イリヒコ」と「イリヒメ」は対になっている称号である。梅原氏は「イラツメ」を「イリの女」、つまり「同母族の女」と解釈している。「イラツメ」→「イリヒメ」という変化があったと言っているようだ。また、ここでは「ヒメ」の語義が語られていないが、「ヒコ」と同じく「霊力ある女性」と考えているようだ。このあたりの論理も私には不満が残る。

 もとに戻って、「イリ=西」という「愛読者」説は、倭語の中に「西」という意味で「イリ」が使われている例が他にもあれば、有力な仮説と思われるが、そのような例は「記紀」にも「風土記」にもないようだ。もしかして「イリ=西」という言葉が方言として九州や近畿に残っていないだろうかと調べてみた。方言辞典を三種類調べてみたが、沖縄県以外にはないようだ。

 今のところどの「イリ」説についてもこれといった決め手がない。とりあえず
『「ミマキイリヒコ」は「ミマキ(任那の城)」という「神聖な拠点」を統率する「将軍」という意』
ということにしておこう。和風諡号から見えてくる崇神の素顔の核心は「ミマキ」と「ヒコ」である。「イリ」と「イニヱ」の意味がどのようになっても、その崇神の素顔に変化は起きないだろう。
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