2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《続・「真説古代史」拾遺篇》(39)



狗奴国の滅亡(20)
崇神記をめぐって(10)
崇神の狗奴国攻め(1)


 現在、考古学による古代の時代区分は縄文―弥生―古墳と命名されている。土器による命名と権力者の墳墓による命名が混在しているのだ。

 縄文時代は氏族的な共同体の指導者を権力者と呼ぶのは当たっていないように思うが、一応権力者とすると、縄文時代の墓には権力者と一般民衆とに大した差はなかったと考えてよいだろう。権力者の墓の形式も「墳墓」ではなく地中に埋める普通の埋葬墓だったろう。従って「縄文」に代えて、時代区分名を権力者の墳墓による命名にすることは意味がない。それぞれの時代の特徴を土器の形式に求める「縄文―弥生」という時代区分はそれなりに有意義だと思う。(「縄文」が土器の特徴をとらえた命名であり、「弥生」が土器初出地・東京都文京区弥生町からの命名であるというチグハグさがあるが、その問題は今は置く。)

 しかし、「弥生―古墳」という時代区分には誰しもが違和を感じるだろう。これを権力者の墳墓の特徴によった命名に統一するとしたらどう命名したらよいだろうか。

卑弥呼以て死す。大いに冢(ちょう)を作る。〈魏志倭人伝〉

 そう、弥生時代の権力者の墳墓は「冢」だった。ついでなのでちょっと寄り道。『漢語林』によると

【冢】
①つか。大きい墓。
②おか(丘)。
③やしろ(社)。もり土をして神をまつる場所。 ④大きい。 ⑤長子。嫡子。
 《異体》〔塚()〕は俗字

 「冢」という私(たち)にとってはなじみのない言葉ではなく「塚」を用いて「大いに塚(つか)を作る」と言い換えれば、この文字の意味からだけでもあの巨大な箸墓を俾弥呼の墓に比定する説がいかに見当外れな愚説であるかが分る。

 本道に戻る。

 「弥生」に代わる最も適切な時代区分名として、古田さんは「古冢」を提案している。(『ここに古代王朝ありき』)

物事を歴史的に順序立てて考えてゆこうとするなら、土器は土器だけで、墓は墓だけで、それぞれ編年し、体系づけるのが妥当だということ、このことに関しては、およそ考古学者であろうとなかろうと、反対する人はないであろう。

 では、今の問題、いわゆる「弥生時代」は、権力者の墓の形式から言うと、どう呼んだらいいか。 ― わたしはこれを「古冢(こちょう)時代(=古塚時代)」と名づけたい、と思う(塚は冢の俗字)。

 その理由はすでにのべたところで明瞭だ。この時代には、まだ次の「古墳時代」のような、大がかりな「墳墓丘陵」の造成には至らないものの、かなりの副葬品をもつ棺(甕棺など)が地中に埋納され、その上に小規模な「封土」がおかれていた。すなわち「冢」である。したがって「古墳時代」に準じて、これを「古冢時代」と呼ぶのである。

 約100年にもわたって流布されてきた「弥生―古墳」に代って「古冢―古墳」が定着するのは容易なことではないだろうが、多くの場面で使われることが肝要だと思う。私は以後は「弥生」代えて「古冢」を用いることにする。

 さて、古冢時代の最大の政治勢力は北九州にあったことは私(たち)にとっては周知の事柄だが、その証拠を鉄器の出土数で再確認しておこう。

(次の図表は『日本古代新史』より転載しました。)

古冢期の出土鉄器分布表

 ここで用いている図表の数値は、その後の発掘調査などの進展により現在明らかになっている数値とは多少の違いがあるかも知れない。しかし、その基本的な傾向には変わりはない。どの出土品も岡が圧倒的に多い。権力の中心が北九州にあったことが一目瞭然である。

 上の表の武具数を地図上に記入したものが次の図である。(『「邪馬台国」論争は終わっている。(7)』で掲載したもの。)

鉄器出土全分布図
鉄器分布図

 さらにその武具数中の大型鉄器数(上の表にはない)を記入したものが次の図である。

大型鉄器(武具)出土分布図
大型鉄器出土分布図
大型鉄器分布図

 上の二つの図で特に注目すべきは奈良からの出土がゼロであることだ。さらにもう一つ、近畿では兵庫・大阪に集中している。そこは銅鐸文化圏の中枢地区だ。近畿において圧倒的軍事力を誇っている。ここ銅鐸文化圏の中心になっている国が狗奴国である。

 以上の状況は古冢時代のヤマト王権には単独ではとても狗奴国に太刀打ちできないことを如実に物語っている。そのヤマト王権が古墳期に入って、狗奴国を滅亡に追いやるほどの力を手に入れた。その秘密は崇神が任那の防御施設(城塞)の将軍に任命されたことにある。その職を完遂するためには、本国(九州王朝)からの武器の援助があっただろう。また、任那の近隣には良質の鉄を産する国々があった。その国々との交易で武器を入手した可能性もある。この点からも崇神の和風諡号の「みまき=任那の要害」という解読が有意義であることが分る。

 期は熟した。本国からのゴーサインも得た上でのことだったろう。崇神の狗奴国攻めが始まる。
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