2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《続・「真説古代史」拾遺篇》(34)
狗奴国の滅亡(15)
崇神記をめぐって(6)
ヤマト王権初期10代の和風諡号
(今回から『俾弥呼』を教科書とします。)
『「倭」と「日本」』というシリーズで「倭」は本来「ちくし」と読むことを論じた。そのとき決定的な論拠の一つを取りこぼしていた。それを補充したい。
『古事記』での「倭」の初出は「須勢理毘賣の嫉妬」の段である。あの八千矛神と沼河比賣の説話(「沼河比賣求婚」の段)の続きの記事だ。
又其の神の嫡后(おほきさき)須勢理毘賣命、甚(いた)く嫉妬(うはなりねたみ)爲(し)たまひき。故、其の日子遲(ひこぢ)の神和備弖(わびて)〈三字は音を以ゐよ。〉出雲國より倭國に上り坐(ま)さむとして、束裝(よそひ)立たす時に、片御手(かたみて)は御馬(みま)の鞍に繋け、片御足(かたみあし)は其の御鐙(みあぶみ)に蹈み入れて、歌ひたまひく、…
〈大系〉は「倭國」を「やまとのくに」と訓じている。これはおかしい。続きを見てみよう。
八千矛の神(大国主)と須勢理毘賣との歌の遣り取りがあって、さて、八千矛の神はどこに行ったのか。
故、此の大國主神、胸形の奧津宮(おきつみや)に坐す神、多紀理毘賣命を娶して生める子は…
胸形(宗像)の奧津宮である。多紀理毘賣(天照大神の三女)の「亦の名」は奧津嶋比賣(「天安河の誓約」の段)である。奧津嶋は沖ノ島のことだ。ここへ行くのにどうして大和に行くの? 「倭國」は「ちくしのくに」でなくては辻褄が合わない。
さて、『「倭」と「日本」』の最終回『まとめ・再び「和風諡号」』 で「神武~開化」10代の中で和風諡号に「倭」を含むものを選んで、「倭」を「ちくし」と読んで列記した。ここでは10代全員の和風諡号を列記しておこう(漢字表記も付した)。
① 神武(じんむ)
かむちくしいわれびこ(神倭伊波禮毘古)
② 綏靖(すいぜい)
かむぬなかわみみ(神沼河耳)
③ 安寧(あんねい)
しきつひこたまてみ(師木津日子玉手見)
④ 懿徳(いとく)
おほちくしひこすきとも(大倭日子鉏友)
⑤ 孝昭(こうしょう)
みまつひこかゑしね(御真津日子訶惠志泥)
⑥ 孝安(こうあん)
おほちくしたらしひこくにおしひと(大倭帯日子国押人)
⑦ 孝霊(こうれい)
おほちくしねこひこふとに(大倭根子日子賦斗邇)
⑧ 孝元(こうげん)
おほちくしねこひこくにくる(大倭根子日子国玖琉)
⑨ 開化(かいか)
わかちくしねこひこおほひひ(若倭根子日子大毘毘)
まず、①の「神倭」について古田さんは次のように解釈している。
②はその「神 カム」だけを引き継いでいるが、「ミミ」を用いているのが目に付く。ヤマトにおける地歩が固まり以後の方針が確定したからだろうか、③から⑨までは「日子 ヒコ」が引き継がれている。この「ミミ」や「ヒコ」は倭人伝に出てくる官職名「彌彌」「卑狗」であろう。実際にその官職に就いていたいう事ではなく、権威を象徴する称号だったのだろう。
次ぎに目に付くのが「大倭」である。シリーズ『「倭」と「日本」』の最終回『まとめ・再び「和風諡号」』 を書いていた頃、私はこれを、神武の場合と同じ意味で用いられたもので、「倭 チクシ」の美称と解していた。特に⑦⑧⑨が「根子 ネコ」を伴っているので、「チクシ(根=源)から分かれて生まれた国(子)」つまり「由緒正しい倭国の分流」と周囲に知らしめるための命名と考えていた。
この説に対しては次のような批判が考えられる。なぜ全員に「大倭」を用いないで、「大倭」を付けたり付けなかったりしたのは単なる気まぐれだろうか。
古田さんは『俾弥呼』では「大倭」を次のように解釈している。
「魏志」倭人伝に次の一節(岩波文庫版)がある。
租賦を収む、邸閣あり、国国市あり。有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。
「大倭をしてこれを監せしむ。」の原文は「使大倭監之」であり、これを古田さんは「使大倭、之を監す。」と訓じている。いずれにしても
「倭国に属する国々には大倭(おほちくし)と呼ばれる役人が派遣されていて市での交易を監督していた。」
ということが記録されている。大倭はかなりの権限を持っていた事が窺われる。
古田さんは④⑥⑦⑧の「大倭」はこの職能を持つ人物であることを示す称号だとする。つまり、本家(チクシ)から「大倭」を任命され、その称号を授与されたのだと言う。⑨の「若倭」については、古田さんは「大倭に準ずる存在、その資格をしめすものであろう。」と推測している。
この古田説が正しいとすれば、「大倭」という称号は勝手に付けられるものではないことになる。「大倭」のない②③⑤は特に称号を与えられなかった、と解釈することになろう。
以上、私の説と同様、古田説の場合でも①~⑨の和風諡号が、ヤマト王権が「由緒正しい倭国の分流」であることの示す証左であることに変わりはない。
狗奴国の滅亡(15)
崇神記をめぐって(6)
ヤマト王権初期10代の和風諡号
(今回から『俾弥呼』を教科書とします。)
『「倭」と「日本」』というシリーズで「倭」は本来「ちくし」と読むことを論じた。そのとき決定的な論拠の一つを取りこぼしていた。それを補充したい。
『古事記』での「倭」の初出は「須勢理毘賣の嫉妬」の段である。あの八千矛神と沼河比賣の説話(「沼河比賣求婚」の段)の続きの記事だ。
又其の神の嫡后(おほきさき)須勢理毘賣命、甚(いた)く嫉妬(うはなりねたみ)爲(し)たまひき。故、其の日子遲(ひこぢ)の神和備弖(わびて)〈三字は音を以ゐよ。〉出雲國より倭國に上り坐(ま)さむとして、束裝(よそひ)立たす時に、片御手(かたみて)は御馬(みま)の鞍に繋け、片御足(かたみあし)は其の御鐙(みあぶみ)に蹈み入れて、歌ひたまひく、…
〈大系〉は「倭國」を「やまとのくに」と訓じている。これはおかしい。続きを見てみよう。
八千矛の神(大国主)と須勢理毘賣との歌の遣り取りがあって、さて、八千矛の神はどこに行ったのか。
故、此の大國主神、胸形の奧津宮(おきつみや)に坐す神、多紀理毘賣命を娶して生める子は…
胸形(宗像)の奧津宮である。多紀理毘賣(天照大神の三女)の「亦の名」は奧津嶋比賣(「天安河の誓約」の段)である。奧津嶋は沖ノ島のことだ。ここへ行くのにどうして大和に行くの? 「倭國」は「ちくしのくに」でなくては辻褄が合わない。
さて、『「倭」と「日本」』の最終回
① 神武(じんむ)
かむちくしいわれびこ(神倭伊波禮毘古)
② 綏靖(すいぜい)
かむぬなかわみみ(神沼河耳)
③ 安寧(あんねい)
しきつひこたまてみ(師木津日子玉手見)
④ 懿徳(いとく)
おほちくしひこすきとも(大倭日子鉏友)
⑤ 孝昭(こうしょう)
みまつひこかゑしね(御真津日子訶惠志泥)
⑥ 孝安(こうあん)
おほちくしたらしひこくにおしひと(大倭帯日子国押人)
⑦ 孝霊(こうれい)
おほちくしねこひこふとに(大倭根子日子賦斗邇)
⑧ 孝元(こうげん)
おほちくしねこひこくにくる(大倭根子日子国玖琉)
⑨ 開化(かいか)
わかちくしねこひこおほひひ(若倭根子日子大毘毘)
まず、①の「神倭」について古田さんは次のように解釈している。
神武天皇は筑紫(福岡県)から、大和(奈良県) に侵入し、この地を支配した。現在は「大和」にいる。しかし、自分が「筑紫から来た」ことを〝誇り″としている。それが「倭(筑紫)」を冠して〝名乗る″こと、そこに表現されているのである。
冒頭の「神(カム)」は、神在(かむあり)(伊勢田)・瀬戸(福岡県糸島市)を「出身地」とすることの表現かもしれない。
②はその「神 カム」だけを引き継いでいるが、「ミミ」を用いているのが目に付く。ヤマトにおける地歩が固まり以後の方針が確定したからだろうか、③から⑨までは「日子 ヒコ」が引き継がれている。この「ミミ」や「ヒコ」は倭人伝に出てくる官職名「彌彌」「卑狗」であろう。実際にその官職に就いていたいう事ではなく、権威を象徴する称号だったのだろう。
次ぎに目に付くのが「大倭」である。シリーズ『「倭」と「日本」』の最終回
この説に対しては次のような批判が考えられる。なぜ全員に「大倭」を用いないで、「大倭」を付けたり付けなかったりしたのは単なる気まぐれだろうか。
古田さんは『俾弥呼』では「大倭」を次のように解釈している。
「魏志」倭人伝に次の一節(岩波文庫版)がある。
租賦を収む、邸閣あり、国国市あり。有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。
「大倭をしてこれを監せしむ。」の原文は「使大倭監之」であり、これを古田さんは「使大倭、之を監す。」と訓じている。いずれにしても
「倭国に属する国々には大倭(おほちくし)と呼ばれる役人が派遣されていて市での交易を監督していた。」
ということが記録されている。大倭はかなりの権限を持っていた事が窺われる。
古田さんは④⑥⑦⑧の「大倭」はこの職能を持つ人物であることを示す称号だとする。つまり、本家(チクシ)から「大倭」を任命され、その称号を授与されたのだと言う。⑨の「若倭」については、古田さんは「大倭に準ずる存在、その資格をしめすものであろう。」と推測している。
この古田説が正しいとすれば、「大倭」という称号は勝手に付けられるものではないことになる。「大倭」のない②③⑤は特に称号を与えられなかった、と解釈することになろう。
以上、私の説と同様、古田説の場合でも①~⑨の和風諡号が、ヤマト王権が「由緒正しい倭国の分流」であることの示す証左であることに変わりはない。
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