2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
狗奴国の滅亡(6)
神武東侵と欠史八代は虚構か(3)
「和風諡号」論(2)
「陵墓の大きさ」論


(2012/02/26に書き換え・追記をしました。)

(前回の諡号分類表をご覧になりたい場合は『「和風諡号」論(1)』を併用すると便利です。)

 この表を先入観なしで見たとき、「祖先たちの名前の一部を現存の子孫の名前に取り入れて、祖先との深い繋がりを表明したいのだな」と考えるのが理にかなっていると思うがどうだろうか。これは親が子を命名するときに古から今にいたるまで用いられている周知の命名法だ。だから普通は当然このように考える。

 だが「井に中」では「現在の子孫の名前の一部を取り入れて祖先の名前に取り入れている」という逆立ちした論理がまかり通っている。なぜこのような逆立ちした論理がまかり通るかというと、それらの祖先たちは架空の人物だからだと言うのである。ならばその架空性を証明しなければならないはずだ。ところが「現在の子孫の名前の一部を取り入れて祖先の名前に取り入れている」ことをその架空性の論拠にしている。まったくめちゃくちゃな論理である。

 しかし「和風諡号」論者にとってはこのような指摘は「何処吹く風」なのだ。「井の中」での論法は次のようになのだ。「なによりも津田左右吉が架空の人物と言っているのだからそれでよいのだ」。しかし、その津田説を証明した学者は一人もいないようだ。

 さて、「和風諡号」論者(あるいは「騎馬民族説」修正論者)にとって、その論理を貫徹した場合、困ったことが起こる。第4グループの(4)「ワケ」である。

(4)「ワケ」

(A)
第15代 ホムタワケ(応神)
第17代 イザホワケ(履中)
第18代 タヂヒノミヅハワケ(反正)

(B)
第38代 アメミコトヒラカスワケ(天智)

 近畿を征服した応神や「倭の五王」に比定したい履中・反正が架空の人物になってしまうのだ。この難局を切り抜けるための「井の中」論理はこうだ。

 グループ(1)(2)(3)では、実在天皇名(B)にもとづいて架空の天皇名(A)が造作された。これに対してグループ(4)の場合は、(A)(B)ともに実在の天皇であり、(B)の天皇名にもとづいて、(A)の天皇名をさらに修飾したのだ。つまり本来は「ホムタ」「イザホ」「タヂヒノミヅハ」とよばれていたのを天智の和風諡号の中の「ワケ」を付加して、「ホムタワケ」「イザホワケ」「タヂヒノミヅハワケ」と呼ぶことにした。

 グループ(4)に適用した論法はグループ(1)(2)(3)にも適用できる論法だ。「造作」説と「修飾」説はともに一貫性を保って用いられるべきではないのか。その二つはそれこそ「矛」と「盾」の関係にある。「井の中」の論理は都合によって「矛」と「盾」を入れ替えているに過ぎず、いずれにしても「矛盾」の環から出ることはできない。なんともあきれたご都合主義である。

 グループ(4)にだけに「修飾」説を適用して特別扱いしなければならない理由は明らかだ。『宋書』倭国伝をまで「造作」とすることは出来ない。『宋書』倭国伝が史実を記録したものならば、「倭の五王」は履中~雄略あたりに比定する外ない。これらの天皇が架空では困るのだ。グループ(4)に適用した「修飾」説は「和風諡号」論と『宋書』倭国伝を両立させるための苦肉の策だった。

③神武の陵墓が考古学的に問題にならない

 神武架空説の三つ目の論拠は謂わば「陵墓の大きさ」論である。石渡氏は次のように論じている。

 橿原市にある現在の神武陵は、1850年に神武の陵ときめられ、1861~63年間に現在の形に整えられたものであるが、考古学的には認められていない。

 神武の東征・大和平定の説話は、大和に王都を置いた、古代国家の始祖王の史実を反映していると考えられる。そして、そのような国家建設の時期は古墳時代であるから、その始祖王の墓としては巨大な古墳が築造されたはずであり、神武がもし実在の初代天皇であったとすれば、それにふさわしい巨大古墳があってしかるべきである。したがって、現在、神武の墓として、考古学的に認められるような古墳が残っていないことは、神武が実在しなかった証拠といえる。

 これも論証になっていない顛倒した論理である。次のように主張しているのだ。

神武・欠史八代は架空の天皇。

よって、古代国家の古始祖王は崇神。

景行・成務・仲哀・功は架空の天皇。

よって、古代国家の新始祖王は応神。

神武説話は史実を反映しているが、その史実とは「古代国家の始祖王」つまり崇神による近畿征服。

崇神は古墳時代の天皇だから、その墓は巨大な古墳のはず。しかし、奈良県橿原市には巨大な古墳はない。

よって神武は架空の天皇。

 「神武は架空」から始まって「神武は架空」という結論に達した、というわけだ。

 この論理には次のような混乱も含まれている。

 石渡氏は「はじめに」で自説の概略を説明している。神武については次のように述べている。

 『日本書紀』は、5世紀末における百済系王朝の成立を隠し、百済系王朝が太初から日本列島を支配していたと主張するために、応神などの実在の大王(天皇)から、神武(じんむ)という架空の初代天皇を作り出し、辛酉(しんゆう)革命説という中国の思想にもとづき、その即位年を紀元前660年にした。

 崇神・応神の古代国家を太古からの王朝と偽装するために神武という初代天皇を造作したと言っている。そうならば、神武の墓が古墳時代のような巨大古墳ではなく、慎ましく小さな墓であることは偽装・造作にかなっていることになる。

 また、石渡氏は神武説話の内容をまったく論じていないが、まさかまったく読んでいないなんていうことはあるまい。神武架空説の立場から、その内容に次のような疑問はを抱かなかったのだろうか。

 崇神・応神の人となりを『日本書紀』は次のように描いている。(大和を征服したのは江上説では応神、石渡説では崇神。)

崇神
識性(みたましひ)聡敏(さか)し。幼(わか)くして雄略(ををしきこと)を好(この)みたまふ。既に壯(をとこざかり)にして寛博(ひろ)く謹愼(つつし)みて、神祇(あまつかみくにつかみ)を崇(かた)て重(あが)めたまふ。恆(つね)に天業(あまつひつぎ)を經綸(をさ)めむとおもはす心(みこころ)有(ま)します。

応神
幼(いとけな)くして聰達(さと)くいます。玄(はるか)に監(みそなは)すこと深(ふか)く遠(とほ)し。動容(みすがたみふるまひ)進止(のり)あり。聖表(ひじりのしるし)異(あや)しきこと有り。

 ともに完全無欠の人物として、最大級の讃辞を与えている。

 これに対して神武説話はどうだろう。初戦で完敗し兄は戦死する。その後は背後からヤマト入りしささやかな拠点を獲得するが、それまでの戦闘は卑怯な騙し討ち・残虐な殺戮の連続で、情け容赦のない極悪非道な人物になっている。でっち上げたお話なら『日本書紀』の描写した人物らしく、正々堂々と戦って近畿全体を掌握した上、征服した敗者にもそれなりの敬意を払った処遇を与え、新しい民には慈悲深い施政をほどこす、といったように作れただろうに。おかしくはないか。これは逆に神武説話がリアルであることを示しているのではないだろうか。

 神武架空説者で上の問題を取り上げた者は皆無である。

 以上見てきたように、石渡氏の論法は論証というのにはほど遠い。結論が先にあって、その結論に合いそうな文献の断片、考古学上の成果、あるいは過去の学者たちの論説を用いて強引に自説に結びつける。理論全体がそのような手法の積み重ねで成り立っている。

 最後にもう一つ、「陵墓の大きさ」論について触れておきたい。石渡氏は「倭の五王」を応神王朝(近畿)の一族に比定している。その論拠の一つとして「陵墓の大きさ」論を用いている。次のように述べている。

 5世紀後半から6世紀初頭までの間も、「大王墓」とみられる巨大古墳は畿内に集中しており、北部九州の勢力と比べて畿内の勢力がはるかに強大であったことを示している。

 これも検証抜きで「井の中」の論法を踏襲しているだけである。既に「戦後古代史学の欺瞞ぶり」において批判済みの問題だ。そこでは多面的に陵墓問題を論じているが、ここでは「陵墓の大きさ」論だけを転載しておこう

古墳の大きさの問題

 小さい古墳の所有者より大きい古墳の所有者の方が勝る。後者が前者を支配しているという判断らしい。常識的に考えてもなんら科学的な根拠のない馬鹿らしい推論だ。古墳の大きさという事実から言えることは、ヤマト王権がたかだか近畿地方の一大勢力であったということだけだ。

 事実、吉備の巨大古墳は近畿における天皇陵古墳の大多数よりもさらに巨大である。造山(つくりやま)の前方後円墳は全長約300mで、大きさでは全国4位である。定説論者はこの事実には知らん振りをしている。

 前方後円墳から円墳に目を移してみる。関東埼玉(さきたま)古墳群中の丸墓山古墳は直径約100mの大円墳である。定説論者の論法を使うと、この地の王者は少なくとも日本列島内の同時代円墳群の全ての被葬者に対して支配権を確立していた、となる。こんな主張には誰も歯牙をかけないだろう。
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1694-b0e10538
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック