2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《続・「真説古代史」拾遺篇》(24)

狗奴国の滅亡(5)
神武東侵と欠史八代は虚構か(2)
「和風諡号」論(1)


②神武の和風諡号が後世作られたものである

 石渡氏は論拠②については次のように論じてる。

 カムヤマトイワレヒコという神武の和風諡号は後世に作られたものである。水野祐(『前掲書』)によると、孝霊・孝元・開化の三天皇は、持統の諡号にみえる「オオヤマトネコ」系の諡号をそのまま採用しており、持統・文武・元明・元正四天皇のそれとまったく同一である。そのほか神武・懿徳・孝安三天皇には、「ネコ」はみえないが、「ヤマト」あるいは「オオヤマト」なる称号が用いられ、これも持統以後の諡号にしかみられない称号である。

 また、『日本書紀』の神武の和風諡号「神日本磐余彦(かむやまといわれひこ)」では、ヤマトを「日本」と書いているが、この書き方は、『続日本紀』の大宝2年(702)3月条にみえる持統の諡号「大倭根子天之広野姫(おおやまとねこあめのひろのひめ)」のように「倭」と書く方法より新しく、元明(在位707~15)の諡号「日本根子天津御代豊国成姫(やまとねこあまつみしろとよくになりひめ)」や元正(在位715~24)の諡号「日本根子高瑞浄足姫(やまとねこたかみづきよたらしひめ)」の場合と同じである。

 こうしたことから、神武以下九人の天皇の和風諡号は、持統の和風諡号決定後、『日本書紀』が成立した720年までの間に『日本書紀』の編纂者によって作られたものと考えられる。

 和風諡号を論拠に神武と欠史八代を架空の人物とする「井の中」の論理を踏襲している。改めて批判しておこう。

 『古事記』本文での「大倭」の初出は国生み説話の「大倭豐秋津嶋」である。『日本書紀』での「日本」の初出は同じく国生み説話で
廼(すなは)ち大日本〈日本、此をば耶麻騰と云ふ。下(しも)皆此に效(なら)へ。〉豐秋津洲を生む。
とある。つまり『古事記』の「倭」を「日本」と置き換えて「ヤマトと読め」と指示している。「倭」を何が何でも大和国に比定し、しかもそこが日本の中心であるとしたい意図があからさまに表出されている。

 『古事記』での表記「大倭豐秋津嶋」の「倭」にも『日本書紀』の指示を適用して「ヤマト」と読んでいるが、果してそれが本来の読みなのだろうか。

 『「神代紀」の解読(4)』で紹介したように、古田さんが「大日本豊秋津洲(大倭豐秋津嶋)=豊後国」であることを論証している。それでもなお『日本書紀』の主張する通り「大日本豐秋津洲(大倭豐秋津嶋)=大和国」が正しいと言い張るのなら、古田さんの論証を論破しなければならない。私にはこの綿密な論証を論破できるとはとても思えない。論破できないから、古田説を無視するほかない。「井の中」では相変わらず「大日本豐秋津洲(大倭豐秋津嶋)=大和国」として恥じない。(例えば森浩一氏。『「神代紀」再論:考古学が指し差すところ』を参照してください。)

 「倭」の本来の意味が「ヤマト」であるはずはない。『「倭」と「日本」(7):いつから「倭」=「ヤマト」となったのか。』で論じたように、「チクシ」が正しい。

(以下は『盗まれた神話 第9章「皇系造作説」への疑い』を教科書としています。)

 さて、石渡氏は水野祐説を用いて「カムヤマトイワレヒコという神武の和風諡号は後世に作られたものである。」と断じている。この和風諡号を用いて神武と欠史八代を架空とする理論は、これもまた津田左右吉に淵源がある。津田説を水野祐が定式化し、それを井上光貞・直木孝次郎などが発展させてきた。これを「和風諡号」論と呼ぼう。

 まず、石渡説からの引用文の中段、『日本書紀』と『続日本紀』に出てくる和風諡号を用いて「新しい」とか古いとか論じている部分を批判しておこう。

 『日本書紀』の「神日本磐余彦」(神武)という表記を『続日本紀』の「大倭根子天之広野姫」(持統)と比べて、神武の諡号は「日本根子天津御代豊国成姫」(元明)や「日本根子高瑞浄足姫」(元正)という表記と同じなので新しい表記だと論じているが、この論理はナンセンスだ。この論法を使えば、『古事記』の「神倭伊波禮毘古」は持統の諡号と同じ表記なので元明や元正の諡号表記より古いと断じなければなるまい。同じ人物の諡号が新しかったり古かったりする。矛盾も甚だしい。

 『古事記』には「日本」などどいう表記は皆無である。「倭」を「日本」と置き換えて「ヤマト」と読めと言い出したのは『日本書紀』だ。そのような編纂方針が決められた後の諡号の「倭」は「日本」に書き換えられた。持統の諡号はそれ以前(大宝3年 703)に付けられた諡号だったというにすぎない。ちなみに文武の和風諡号は「倭根子豊祖父」(慶雲4年 707)である。

 引用文前半の「和風諡号」論の論理もこれと同じように粗雑である。その理論を少し詳しく見ておこう。

 「和風諡号」論の論旨の要は諡号中の同一単語の比較である。4通りのケースがある。「ヤマトネコ」「タラシ」「クニオシ」「ワケ」である。次の表はその4通りのケースについて、(A)(古い時代のもの)と(B)(新しい時代のもの)に分類したものである。(漢字表記は『古事記』のもの使っている。)

(1)「ヤマトネコ」

(A)
第7代 オホヤマトネコヒコフトニ(孝霊)
第8代 オホヤマトネコヒコクニクル(孝元)
第9代ワカヤマトネコヒコオホヒヒ(開化)
第22代 シラカノタケヒロクニオシワカヤマトネコ(清寧)

(B)
第40代 オホヤマトネコアメノヒロノヒメ(持統)
第41代 ヤマトネコトヨオホヂ(文武)
第42代 ヤマトネコアマツミシロトヨクニナリヒメ(元明)
第43代 ヤマトネコタカミヅキヨタラシヒメ(元正)

(2)「タラシ」

(A)
第6代 オホヤマトタラシヒコクニオシヒト(孝安)
第12代 オホタラシヒコオシロワケ(景行)
第13代 ワカタラシヒコ(成務)
第14代 タラシナカツヒコ(仲哀)
(14代后)オキナガタラシヒメ(神功)

(B)
第34代 オキナガタラシヒヒロヌカ(舒明)
第35代 アメトヨタカライカシヒタラシヒメ(皇極)
第43代 ヤマトネコタカミヅキヨタラシヒメ(元正)

(3)「クニオシ」

(A)
第6代 オホヤマトタラシヒコクニオシヒト(孝安)

(B)
第27代 ヒロクニオシタケカナヒ(安閑)
第28代 タケヲヒロクニオシタテ(宣化)
第29代 アメクニオシハルキヒロニハ(欽明)

(4)「ワケ」

(A)
第15代 ホムタワケ(応神)
第17代 イザホワケ(履中)
第18代 タヂヒノミヅハワケ(反正)

(B)
第38代 アメミコトヒラカスワケ(天智)

(次回に続く。)
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