2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《続・「真説古代史」拾遺篇》(23)

狗奴国の滅亡(4)
神武東侵と欠史八代は虚構か(1)


 今回のテーマは私(たち)にとっては「何をいまさら」と思える事柄だ。しかし、「神武東侵と欠史八代は虚構」としない限り、騎馬民族説は成り立たない。「井の中」だけでなく、「井の外」でも「神武東侵と欠史八代は虚構」とする言説がはびこり、それを信奉する人たちが未だに絶えないのだから、「神武東侵と欠史八代は虚構」が虚構であることを改めて指摘しておかなければならない。

 さて、江上説では神武東侵説話を次のようにとらえている。(私は持統以前のヤマト王権の大王は「天皇」ではないと言ってきているが、混乱を引き起こしかねないので、ここでは騎馬民族説論者たちの使い方に従う。)

(1)
 4世紀に騎馬民族が北九州に上陸し、そこにあったヤマタイコクを征服して新王朝を立てた。それが崇神天皇である。この史実は天孫降臨説話として書き残されている。

(2)
 やがてその崇神王朝が近畿を征服する。その担い手は応神天皇である。この史実は神武東侵説話として書き残されている。

 つまり神武東侵説話は全くの虚構とはしていない。史実を反映しているが、その主人公は応神天皇だと言う。「バカバカしい」と一蹴することもできるが、それでは失礼だろう。そのバカバカしさを論証すべきだろう。そのためには「神武=応神」説をもう少し詳しく知らなければならない。石渡説(『百済から渡来した応神天皇』での論説を「石渡説」と呼ぶことにする)を読んでみよう。神武が架空の人物であると断定する理由を三つあげている。


 『記紀』がどのようにして作られたかを実証的に研究した早稲田大学の津田左右吉(つだそうきち)は、神武東征説話が代表するように神武の説話は内容のないもので、『記紀』の神話の一部にすぎないとし、神武は神話上の人物で、実在の天皇ではないとした(『日本古典の研究』)。神武の説話が史実をまったく反映しない神話であるとする津田左右吉の見解は支持できないが、神武が実在の天皇でないことは、
①神武の説話が神話に近いこと、
②神武の和風諡号が後世作られたものであること、
③神武の陵墓が考古学的に問題にならないこと
からも明らかである。

 この三つの論拠を検討してみよう。

①神武の説話が神話に近い

 何を指して神話に近いと判断しているのか、詳述していないので推測してみよう。多分、次のようなくだりを根拠にしている。(以下、後世の作為が少なく、伝承の原型をより多く保っていると考えられる『古事記』を底本にする。)

龜の甲(せ)に乗りて、釣爲乍(しつつ)打ち羽擧(はぶ)き來る人、速吸門(はやすひのと)に遇(あ)いき。爾(ここ)に喚(よ)び歸(よ)せて、「汝は誰ぞ。」と問之^ひたまへば、「僕(あ)は國つ神ぞ。」と答へ曰しき。

故、夢の教の如(まにま)に、旦(あした)に己が倉を見れば、信(まこと)に横刀(たち)有りき。故、是の横刀を以ちて獻りしにこそ。

是に亦、高木大神の命以ちて覺(さと)し白(まを)しけらく、「天つ神の御子を此れより奧つ方に莫(な)入り幸(い)でまさしめそ。荒ぶる神甚(いと)多(さわ)なり。今、天より八咫烏を遣はさむ。故、其の八咫烏引道(みちび)きてむ。其の立たむ後より幸行(い)でますべし。」

其地(そこ)より幸行でませば、尾生(あ)る人、井より出で來りき。其の井に光有りき。爾に「汝は誰ぞ。」と問ひたまへば、「僕は國つ神、名は井氷鹿(いひか)と謂ふ。」と答へ曰しき。

乃ち其の矢を將(も)ち來て、床の邊に置けば、忽ちに麗しき壯夫(をとこ)に成りて、即ち其の美人を娶(めと)して生める子、名は…


 このような神託譚・前兆譚・奇跡譚などは神武記に限らない。石渡氏が実在の、しかも「古倭王朝」始祖王としている「崇神記」にもある。「神々の祭祀」段の大物主大神の夢告、「三輪山伝説」段、「建波邇安王の反逆」の予兆譚などだ。「説話が神話に近い」を理由を根拠にするなら、崇神も架空の人物としなければなるまい。石渡氏が「新倭王朝」の始祖王といている応神天皇についても同様である。だいたい「記紀」には神託譚・前兆譚・奇跡譚がふんだんに出てくる。「説話が神話に近い」を理由にすれば、架空の人物だらけになってしまう。

 石渡氏が応神天皇にまつわる神話的説話から史実を読み取っているので、それをどのような手法で行っているのか、見てみよう。

 応神天皇の出生譚は「仲哀記」に書かれている。次のようである。まぎれもなく「神話に近い」説話だ。

其の大后息長帶日売(おきながたらしひめ)命は、當時(そのかみ)を歸(よ)せたまひき。故、天皇筑紫の訶志比宮に坐しまして、熊曾國を撃たむとしたまひし時、天皇御琴を控(ひ)かして、建内宿禰大臣沙庭(さには)に居て、の命(みこと)を請ひき。是に大后を歸せたまひて、言(こと)教え覺(さと)し詔たまひしく、「西の方に國有り。金銀(くがねひろがね)を本(はじめ)と爲(し)て、目の炎耀(かがや)く種種の珍しき寶、多に其の國に在り。吾今其の國を歸せ賜はむ。」とのりたまひき。爾に天皇答へて白したまひしく、「高き地(ところ)に登りて西の方を見れば、國土(くに)は見えず。唯大海のみ有り。」とのりたまひて、詐(いつわり)を爲すと謂ひて、御琴を押し退(そ)けて控きたまはず、默(もだ)して坐しき。爾に其の、大(いた)く忿りて詔りたまひしく、「凡そ茲(こ)の天の下は、汝(いまし)の知らすべき國に非ず。汝は一道(ひとみち)に向ひたまへ。」とのりたまひき。是に建内宿禰大臣白しけらく、「恐し、我が天皇、猶其の大御琴阿蘇婆勢(あそばせ)。〈阿より勢までは音を以ゐよ。〉」とまをしき。爾に稍(やや)に其の御琴を取り依(よ)せて、那麻那摩邇(なまなまに)〈此の五字は音を以ゐよ。〉控き坐しき。故、幾久(いくだ)もあらずて、御琴の音聞えざりき。即ち火を擧げて見れば、既に崩りたまひぬ。爾に驚き懼ぢて、殯宮(あらきのみや)に坐せて、更に國の大奴佐(おほぬさ)を取りて、〈奴佐の二字は音を以ゐよ。〉生剥、逆剥、阿離(あはなち)、溝埋、屎戸、上通下通婚(おやこたはけ)、馬婚、牛婚、鶏婚の罪の類を種種求(まぎ)ぎて、國の大祓を爲て、亦建内宿禰沙庭(さには)に居て、の命を請ひき。是に教へ覺したまふ狀(さま)、具(つぶ)さに先の日の如くにして、「凡そ此の國は、汝命の御腹に坐す御子の知らさむ國なり。」とさとしたまひき。爾に建内宿禰、「恐し、我が大、其のの腹に坐す御子は、何れの御子ぞや。」と白せば、「男子(おのこご)ぞ。」と答へて詔りたまひき。

 神がかりになった功が神託を下す設定になっている。功に憑依した神は「詐を爲す」と無視した仲哀には神罰(死)を与え、建内宿禰には功の妊っている子が天皇になると託宣する。

 「神話に近い」説話という理由からだろう、石渡氏はそこに登場する仲哀や神功を、架空の人物と簡単に断定する。一方、この説話を次のように解釈する。

 神の怒りにふれたための仲哀の死と、神の意志による応神の誕生は、すでに多くの学者が指摘しているように、王朝の交替を意味する。わたしは、仲哀の死は古倭王朝(崇神王朝)の滅亡を、応神の誕生は新倭王朝(応神王朝)の成立を意味するものと考えるが、つぎに、応神を新王朝の始祖とみる学説を紹介することにしよう。

 否定したはずの神話的説話から、このような解釈を引き出している。『古事記』(あるいは『日本書紀』)の編纂者が、仲哀・功という架空の人物を設定して、応神の新倭王朝という史実を示唆していると言っている。その説を権威づけるためか、「すでに多くの学者が指摘しているように」と付け加えているが、この説話を「王朝の交替を意味する」と解釈している学者を私は知らない。

 この説話は素直に次のように解釈できる。すなわち、この説話は功が自分の子(応神)に皇位を継がせたことを正当化する説話である。「忍熊王の反逆」とされているが「功の反逆」が史実である。『古事記』や『日本書紀』のそこここに現れる権力簒奪者正当化の説話である。仲哀や功を架空化したり、新王朝を持ち出す必要はない。(詳しくは『ヤマト王権・王位継承闘争史(3)』を参照してください。)

 ついでながら、仲哀の死因について、『日本書紀』本文では病死となっている。
(仲哀)天皇忽(たちま)ち痛身有りて、明日崩ず。
 また分注「一に云ふ」では戦死だ。
天皇親(みずか)ら熊襲を伐ち、賊の矢に中(あた)りて崩ずるなり。
 「神がかり死」と「病死」と「戦死」と、どれがリアルか。言い換えると、どれが本来の伝承だろうか。「戦死」こそリアルであるという古田さんの論証を『「熊襲」とはどこか(2)』『「熊襲」とはどこか(3)』で紹介している。そこでは「記紀」の説話を解釈するときの原則として「二つのフィルター」も説かれていて、恣意的な解釈を戒めている。

 このように「記紀」の説話から何らかの史実を読み取ること自体は一つの手段として正当な方法だ。しかし石渡氏の場合、その方法が逆立ちしている。すなわち、史料批判をした上で仮説に到達するのではなく、まず初めに仮説(結論)ありきなのだ。そしてその仮説に合うように恣意的な史料解釈を行う。また援用する同時代資料も自説に都合のよいものだけを選ぶ。石渡氏が紹介している「応神を新王朝の始祖とみる学説」は水野祐・井上光貞・直木孝次郎・上田正昭など「井の中」の錚々たる学者たちである。それらの説を書き並べておいて、「直木説で指摘されているように」「上田説で指摘されてるように」と、検証抜きで自説に都合のよい部分だけを取り出して利用している。石渡説はそのような論証にならない論証で成り立っている。神武架空説の論拠②③の検討が、この石渡氏の手法をさらに確認することになるだろう。
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1692-6267ddac
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック