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《続・「真説古代史」拾遺篇》(19)

番外編:『「矛」か「弟」か?』の補充
丸山林平「定本古事記」を読む(3)


 「豐」にもう少しこだわってみたい。

 丸山氏は序説で
「われわれは、すでに、古事記の正しい本文を決定すべき時機に到達していることを痛感する」
と述べていた。自らの校訂本を「定本古事記」と命名したのは「古事記の正しい本文を決定すべき」先駆け(叩き台)という自負があってのことだろう。

 丸山氏がまとめている古事記の字音仮名一覧表に目を通してみたら、この「豐 ヒ、ビ」以外は私が常識的に知っている漢字の音と一致するか同類音であり何の違和もない。「豐 ヒ、ビ」だけにはどうしても疑念が残る。念のため図書館に行ったついでに諸橋轍次「大漢和辞典」を調べたが、「豐」に「ヒ、ビ」という音はない。どの漢和辞典を調べても
呉音 : フ
漢音 : フウ
慣用音 : ホウ・ブ
しかない。丸山氏は「ヒ、ビ」と読む例文をあげて、「以上漢音」と記しているが、信じてよいのだろうか。

 丸山氏は古事記に用いられている字音仮名・字訓仮名について次のように述べている。

 字音仮名にせよ、字訓仮名にせよ、その研究は、あくまで事実に立脚し、記紀万葉はもちろん、古風土記・同逸文・仏足石歌・正倉院文書のごとき奈良時代の文献、または「大日本古文書」、およびこれに準ずる古文献たる古語拾遺・宣命・祝詞などに用いられている仮名全部にわたって検討し、そこから帰納的に結論をくだすべきで、記伝のごとく、演繹的独断的に、「この仮字は斯く訓ずべし」と独断して、個々の仮名の訓法を律しようとするような非科学的な態度は厳に戒めねばならぬ。ことに、記の仮名遣のみが正しく、他には誤りが多いなどという記伝の態度は、絶対に排すべきものである。また、記には呉音のみを用いて漢音を用いることがないとか、紀は漢音・呉音を併せ用いているなどという記伝の言も、事実を無視していることに注意しなければならぬ。こうした独断的態度から、おびただしい誤訓が生じ、したがって語句の解釈に重大な誤謬が生じているのである。

 ここで言われている帰納的方法によって明らかにされること(帰納的方法の目的)は、言うまでもなく写本が書写された時代ではなく、太安万侶が古事記を編纂した8世紀の知識人たちの共通認識(常識)を明らかにすることであろう。学者たちの研究成果を利用する私(たち)が古代史関係の諸説の正否を判断する基準は三つある。一つは、論理的整合性である。二つ目は、それを裏付ける根拠であり、多くは帰納的方法によって得られる。そして、その文献上の解読結果が考古学的事実と合致しているかどうかが三つ目の基準である。

 「豐 ヒ、ビ」の問題にもどると、「訂正古訓古事記」の中だけで「豐」を「ヒ、ビ」と読むと辻褄が合うというだけでは論証としては不十分だ。それが8世紀の知識人たちの常識であったことを示して欲しい。丸山説の論拠を「定本古事記」の解説部分で探してみた。「神々の生成」の段にあった。そこの注解で次のように述べている。

〔石土豐古突〕
 いはつちひこのかみ、記伝・底本の訓「いはつちびこのかみ」は非。
 「豐」は記伝等「毘」に作る。同字であるが、真本・延本等の「豐」に従う。書紀も「豐」に作る。この文字、集韻等に「頻脂切」とあり、漢音「ヒ」である。
 「豐古」は「日子」「彦」にあてた字音仮名であり、「ヒコ」と訓ずる。延本等の訓が正しい。記伝の最も大きな誤りの一。以下みな同じ。
 「いはつち」は「石之霊」の意で、岩石を神格化したもの。

 漢音「ヒ」の根拠として集韻等にある「頻脂切」をあげている。「頻脂切」が何のことなのか私にはさっぱり分らなかった。ウィキペディアの「反切」を読んでおおよそのことは分った。次のようだ。

「●○○切」で漢字●(親字)の音を示している。二つの○はそれぞれ声母(音節の最初の部分)・韻母(母音を中心とした部分)を表している。つまり「○○」は発音記号なのだ。

 付焼刃の知識で大胆に推理すると、次のような理解でよいだろうか。(『漢語林』を用いた。)
「豐頻脂切」→「豐」の音は「頻(ヒンpin)」+「脂(シzhi)」で「ヒpi」である。

 ここから丸山氏は古代では「豐」に「ヒ」という音があったと言っている。それが正しいとして、はたしてそれが8世紀初期の日本の知識人たちの「常識」になっていただろうか。広く使われていたのだろうか。ぜひ帰納的方法を駆使して欲しいところだ。丸山氏は書紀にも「豐 ヒ」が使われていると書いているが、『日本書紀』を調べたが、私には字音仮名として使われている「豐」を確認できなかった。太安万侶が「日子」「彦」に「豐古」という字音仮名を用いたとは、私には信じられない。

 丸山氏が選んだ底本に問題があるのではないだろうか。上で〔石土豐古突〕に対する丸山氏の注解を引用したが、実は「突」に私はびっくりした。これは「神」と同じ意味をもつ文字として使われているのだ。これは決して誤写などミスではない。古事記には「神」が頻繁に出てくるが、丸山氏の底本ではそのすべてが「突」と書かれている。初出は序文で原文は次のようになっている。(原文の返り点は省略した。また読み下し文にはルビがないが、読みにくい字句には〈大系〉を参考にしてルビを付した。)

(原文)
臣安萬侶言、夫、混元蝉凝、氣庖未效、無名無爲。誰知其形。然、乾坤初分、參突作芟化之首
(読み下し文)
臣安万侶言さく、夫、混元既に凝りて、気象未だ效(あら)はれず、名も無く為(わざ)も無し。誰か其の形を知らむ。然れども、乾坤の初めて分かれしとき、参はしらの神、造化の首(はじめ)と作(な)り、


 〈大系〉に「訂正古訓古事記」の1ページ目の写真が掲載されている。次のようになっている。

臣安萬侶言。夫混元既凝。氣象未效。無名無爲。誰知其形。然乾坤初分。參神作造化之首。

 異同は「神―突」だけではなかった。「既―蝉」「象―庖」「造―芟」、ここだけで4例もある。1ページ目全文調べてみた。まだまだある。「祖―督」「所―館」「海―恭」「祇―陶」「教―辻」「産―籥」「襞―襞」「邈―襞」「頼―勠」「聖―梗」。そしてこれらは決して部分的なミスではなく、例外なくそのように使用されているのだ。

 丸山氏は、〈大系〉と同じく「訂正古訓古事記」を定本にしているはずなのに、「訂正古訓古事記」とは異なるおかしな文字使用がある。これは一体どうしたことだろう?

 〈大系〉は享和3(1803)年版の「訂正古訓古事記」を定本としたと凡例で述べている。一方丸山氏は、「定本」は「伝の完成したのは寛政10(1798)年であるから、その翌年に刊行されたもの」と書いている。享和3年版に先立っていわば初版本とも言うべき寛政11年版「訂正古訓古事記」があったということなのだろうか。そんな話は聞いたことがない。

 〈大系〉の解説では取り上げられていないが、「訂正古訓古事記」に先立って「訂正」の対象になった「古訓古事記」があったはずだ。丸山氏が底本としたのはその「古訓古事記」ではないだろうか。そのように考えるほかないと思う。

 古事記の写本の世界は、深入りすればするほど、ますます混沌としてくる。私のような素人の関与を拒否しているような様相だ。無駄な事しているような気分になる。もう止めようかとも思ったが、もう少し進んでみよう。

 「神―突」等々のような置き換えがどうして可能なのか、私の常識ではまったく理解が出来ない。丸山氏はここでも帰納的方法を適用したと思われる。「古訓記事記」に出てくる全ての「突」等々を調べて、それを「神」等々と読むと例外なく全体の文脈に合致するという結論を得た。このように理解するほかないだろう。

 しかし、「古訓古事記」内だけでの帰納法適用は無意味である。丸山氏が言う通り、同時代の他の文献に「突」等々を「神」等々と同意味で用いている例があることを、言い換えれば「突=神」等々がその時代の知識人たちの共通認識であったことを示す必要がある。もしそれが出来ないのなら、丸山氏が底本とした「古訓古事記」は太安万侶が書いた原本とはまったくかけ離れた代物ということになろう。この要請は「弟=音」問題にも当てはまる。

 これで終りにしようとおもったが、ふと思い出したことがある。私の義母は通信教育でいろいろな学習をしていたようで、その遺品の中に古代史のテキストあり、私が預かっていた。そのテキスト中に「古事記」があった。私はもっぱら〈大系〉本を使っているのでそれをすっかり忘れていた。それを思い出して取り出してみた。驚いた!!「校注古事記」というテキストなのだが、「丸山林平編」となっているではないか。こういう偶然があるんですねえ。

 丸山氏は「校注古事記」でも「訂正古訓古事記」を底本とすると書いている。原文を調べたら「定本古事記」とは違い、〈大系〉と同じで正真正銘の「訂正古訓古事記」のものだった。ちなみに「定本古事記」は1969出版で、「校注古事記」は出版年の記載がないが、「まえがき」の日付は昭和45年1月となっている。1970年である。

 巻末の附録「一 古事記の伝本」を見たら〈大系〉では無視されていた「古訓古事記」が挙げられていた。
「古訓古事記」三巻 寛政11年(1799)
とあった。私の推測は間違っていなかったようだ。

 丸山氏は「校注 古事記」では「古訓古事記」を表面に出していない。しかし原文の校注を少し調べたら『諸本「…」に誤る』として訂正している文字は「古訓古事記」のものを採用しているようだ。しかし「神―突」等々については全く触れていない。

 例の「豐」問題については
『底本等「毘」に作る。いま真本等の多本に従う。』
と述べて、「毗」に訂正して「豐 ヒ、ビ」についてはまったく触れていない。

 初めに持った学者・丸山氏への信頼が揺らいできた。もちろん、丸山氏の業績を全て否定するわけではない。
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「日本」呼称、最古の例?
asahi.com:2011年10月23日3時2分
「日本」呼称、最古の例か 678年の墓誌?中国で発見 - 文化
ttp://www.asahi.com/culture/update/1022/TKY201110220586.html
2011/10/23(日) 04:20 | URL | ゴンベイ #eBcs6aYE[ 編集]
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