2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《続・「真説古代史」拾遺篇》(18)

番外編:『「矛」か「弟」か?』の補充
丸山林平「定本古事記」を読む(2)


(雑談のような記事になりそうですがご容赦を。)

 3年ほど前から韓国の歴史ドラマを楽しんできているが、昨日(14日)から七支刀を倭王・旨に送ったというあの百済王・近肖古王を主人公とする「百済の王 クンチョゴワン」が始まった。楽しみだ。

 今まで韓国ドラマを見ていて、朝鮮語には「ン」という音がないのかなぁ、という疑念を持っていた。例えば字幕に「チョソン」(人名)と出ているが、俳優は「チョソナ」と発音しているのだ。

 そんな疑念を持っていたところ、「定本古事記」の「序説・八 その他の上代語音」に、上代日本語には「ン」という音はなかった、という説が述べられていた。この朝鮮語と倭語との類縁性は実に興味深い。最も興味を覚えた部分を引用しよう。

 上代日本語には、恐らくm・n・pの音は存在しなかったであろう。これらの音は、すべてシナ語の音であるが、上代人は、これらの外来語音を敏感に聞き分けることができたらしい。しかし、日本語は、元来開音節(語尾が母音で終わる)であるから、m・n・pのごとき子音をそのまま発することは困難であったらしく、これらの子音に母音を加えて、すべて開音節として発音していた。すなわち、記伝には、一か所も「ン」の訓はない。たとえば、「論語」を「ロムゴ」、「千字文」を「セムジモム」などと訓じている。

 もっとも、これらは、宣長個人の訓であって、必ずしも古事記撰修当時の上代音であったとも言えないであろう。「論」はシナ語音では"lun"であるから、むしろ「ロニ」となるであろうし、「千」はシナ語音では"chien"であるから、「セニ」となるべく、「文」もシナ語音では"wen"であり、呉音では「モニ」となるであろう。したがって、「論語」は「ロニゴ」、「千字文」は「セニジモニ」と発音したであろうと思う。万葉集にも「ン」の訓は、ほとんど見えない。

(中略)

 さて、nの音を表わす「ン」「ん」の仮名は、平安時代以後に生じたが、mやpの音を表わす仮名は、今日に至るも、ついに生じない。上代人はmの音が語頭に来ると、mの音を加えて発音していたと信じられる。しかし、mの音を表わす仮名が無いために、「宇」「牟」などの仮名で書き表わしていた。

 たとえば、「馬」は、シナ語の"ma"から来たのであるが、書紀では「宇摩」、万葉では「牟麻」「宇万」などと表記している。

 「梅」も、シナ語の"me"から来たのであるが、万葉では「宇梅」「烏梅」などと表記している。これらは、いずれも、mの音を表わす仮名の無いために、やむを得ない表記法であったのであろう。今日でも「うま」「うめ」とは書くが、実際の発音は、明らかに"mma""mme"であり、決して"uma"でも"ume"でもない。

 かつて、江戸時代に、本居宣長と上田秋成とが、「むめ」が正しいとか、「うめ」が正しいとか、論争した話は有名であるが、ローマ字を知らないための暗中模索的論争にほかならぬ。この二人の論争を揶揄したのが、次の蕪村の句である。

梅咲きぬ、どれがむめやらうめぢややら

 丸山氏は学識豊かで堅実な思考をする学者さんであると感じた。この丸山理論と関連する論文が手元にないだろうかと、ふと思いついて貧しい書棚をあさってみた。鈴木武樹『音節論議を廃す 日本語の音韻にかんする考察への二、三の提言』(「ユリイカ 1975年5月号」所収)という論文に出会った。当時私は古代史にも言語論にもほとんど興味がなかったのでこの論文を読んでいない。いま読んでみると、これが実に面白い。いくつか抜粋してみよう。


 何年か前にはじめて《邪馬臺国》関係の本を読んだとき、まず最初に奇異に感じたのは、この国の文献史学者や考古学者・民族学者、いや、「国語学者」までもが、『三国志』(魏書・東夷伝)という3世紀の末葉に中国人の手で書かれた文章を、なんの疑いもなく、20世紀の、それも日本の、漢字および漢字音にかんする知識でもって読んでいるということだった。

 たとえば「卑弥呼」だが、この人名は、上古音という、2世紀ごろまで用いられていた漢字音で読めば卑弥呼の読み方1 であり、3世紀ごろから使われはじめた中古音で読めば 卑弥呼の読み方2である。つまり、もしも卑弥呼が西暦200年前後までに中国にその名を知られていたとすれば、彼女の名前の発音は「ピミカ」に近いものであり、240年前後になってはじめて知られたとすれば「ピミクォ」に近いものであったはずだ。

 『三国志』はちょうどその上古音が中古音に移行する時期を扱っているので、こういう厄介なことが生じるのである(ただし、上古音の「弥」に「メ」の音はなく、中古音では「卑」も「弥」もともに同じ系統の母音をもつから、「ヒメコ」とは絶対に読めない)。

 この鈴木氏の論考によれば、古田さんが「卑弥呼」を「ヒミカ」と読んでいるのは極めて妥当ということになろう。

 もう一つ例を挙げると、「奴国」の「奴」である。この地名は8世紀になっても「儺ノ津」「那珂」「那賀」などの「儺」「那」といった発音で残っているので、「奴」はほぼ確実に「ナ」と読まれていたものと思われる。ところが、「奴」を「ナ」と読むのは上古音で([nag])、中古音ならこれは[no]である。したがって、奴国はすでに上古音の時代から中国に知られていたものと見て差しつかえないだろう(あの有名な志賀島の金印の「漢委奴国王」を「漢の委奴(イト)国王」と読もうとする研究者もいるが、「奴」にo音が現われるのは三世紀以降の中古音であることと、「委」は上古音では[・їuar]で「ワ」に近い音であることとの二つの理由からして、それは無理である)。

 従来「漢委奴国王」は「漢のワのナの国王」と三段読みよされいた。これに対して「漢の委奴(イト 伊都)国王」という読みを提案したのは三宅米吉という明治時代の学者であった。鈴木氏はこの説も否定している。

 古田さんは「委奴」(従順な部族)を光武帝に敵対する「匈奴」の対語と考え、「漢のイド国王」と読んでいる。私は「委奴」は「従順な部族」という意とする古田説を正しいと考えるが、鈴木氏の論考が正しいとすると、読みの方は再考しなければならないだろう。鈴木説により読むとすれば、「ワナ国」となる。

 また、丸山論文の清音仮名には「奴=ノ」があり、鈴木氏も中古音ならば「奴=ノ」という音があると言っている。すると「狗奴国=コウノ国」という読みは極めて妥当であると考えられる。

 さらに鈴木氏は

『わたしたちは8世紀の古代奈良語から類推して(魏書・東夷伝)の倭人の言葉もまた開音節(母音終わりの音節)のみから成り立っていたものとばかり思いこんでいるが、その言葉の音を表記している中国文字の発音のあり方からすると、ことによったら、三世紀の倭人語には閉音節(子音終わりの音節)も存在したのではなかろうか?』

という問題を立て、倭人伝中の「倭語」と思われる漢字を全て調べて、次のように結論している。(統計表は略す。)

 まず第一に、3世紀前半の倭人語には、[t][k][p][n][ŋ]で終わる閉音節が存在し、ここには偶然あらわれないのだろうが、[m][r]で終わる閉音節もたぶんあったはずだということが言えそうである。そして、これらの子音を終声とする閉音節は朝鮮現代語にそっくりそのままある。したがって、ここできわめて大胆な想像をはたらかせれば、3世紀の倭人語と韓人語はともに似たようなグループの子音を終声とする閉音節をもっていたが、後者ではその閉音節がその後ながく固執され、それどころか閉音節化はますます進んだが(6世紀の「斯麻(シマ)(=島)」が「島(セム)」を経て現在では[səm]というように)、前者では、終声[t]は「チ」または「ツ」に、[k]は「キ」または「ク」に、[p]は「フ」に(「邑」は漢音では「イフ」)、[n]は「ン」に、[ə]は「ウ」に、そして[m]は「ム」を経て「ン」に、[r]は「ツ」に、というように、それぞれ母音を伴う音節へと変化してきたのではなかろうか?

 丸山氏の論説と重なってきた。

 鈴木氏は次に倭語と朝鮮語の母音の比較検討を行っている。そのうちの「ア」音についての考察を紹介しておこう。

 上代特殊仮名づかいのオ列甲類の音にあてられた漢字のうち、現在の朝鮮語でもなお「オ」に発音されているもの52字の内訳は、[o]が50字で[ə]が2字、オ列乙類の漢字のうち、現在の朝鮮語でもなお「オ」に発音されているもの38字の内訳は、[ə]が33字で[o]が5字で、その合致率は、オ列甲類が96パーセント、オ列乙類が87パーセント、合計では92パーセントである。これがはたして偶然の一致だと言えるだろうか。すくなくとも、8世紀までの日本において、オ列甲類の音にオ列甲類の漢字をあて、オ列乙類の音にオ列乙類の漢字をあてて表記した者たちの、漢字音にかんする知識と、現在の朝鮮人たちのそれとのあいだには、なんらかの種類の密接な関係がある、と言わざるをえないように、わたしには思われるのである。

 最後に鈴木氏の論文の結語。

 わたしたち日本人は、日常、音節文字をのみ用いて言語生活を営んでいるので、子音と母音との微妙な連繋にかんしては気づくところがきわめて少ないようである。そして、「単語以上におおきい言語的な単位(文、連語など)に関する音韻的単位(イントネーション、強調、間(ま)など)についでは」専門の研究者たちのあいだですら、
「共時的にも歴史的にも組織的な概観が可能なほど研究がすすんでいない」(前記の上村幸雄氏)
のが実状だという。

 上質な日本語の美しさを解明してそれを未来に保持してゆくためには、これら二つの面における日本語そのものの考察を、ぜひとも、真剣かつ徹底的に行なう必要があるのではなかろうか。

 専門の研究者ばかりか、日本人の一般が、ひろく、音節的な思考から脱却することが刻下の急務なのである。

 この結語から思い出したことがある。古田さんには「言素論」という論考があるという。ぜひ読んでみたいと思っていた。その論考をまとめて本にする予定だと、最近どこかで読んだ。心待ちにしています。
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