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《続・「真説古代史」拾遺篇》(14)

番外編:「矛」か「弟」か?(4)


 2・3回で終わる予想をしていたので「番外編」と名付けて始めたが、次から次へと疑問が湧いてきて思いがけず長くなってしまった。本道を見失いそうだが、行くところまで行ってみよう。

 「矛」は中巻・下巻にはそれぞれ14例・2例ずつある。古田さんはその中から、影印が「弟」になっていてかつ「音」の意で使われている例を中巻・下巻からそれぞれ一つずつ見いだしている。(他の「矛」の中にも影印が「弟」の例があるのかどうかは、古田さんは触れていないので不明。)

 古田さんが提示している「弟=音」の例は上巻の「国生み」説話の「天沼弟」と合わせて3例ということになる(「八千弟」の場合は必ずしも「音」という意とする必要はないと思う)。その3例についての古田さんの解読を読むといろいろと疑問点が出てくる。それを書き留めておこう。

(例1)
「国土の修理固成」の段
是に天つ諸(もろもろ)の命以て、伊那那岐命、伊邪郡美命、二柱のに、「是の多陀用弊流(ただよへる)國を修め理(つく)り固め成せ。」と詔りて、天の沼矛を賜ひて、言(こと)依(よ)さし賜ひき。故、二柱の、天の浮橋に立たして、其の沼矛を指し下ろして畫きたまへば、鹽(しほ)許々袁々呂々邇(こをろこをろに)畫き鳴(な)して引き上げたまふ時、其の矛の末(さき)より垂(しただ)り落つる鹽、累(かさ)なり積もりて島と成りき。是れ淤能碁呂(おのごろ)島なり。

 かえりみれば、古事記の「国生み神話」が「天の沼矛(ぬぼこ)」ではなく「海士(あま)の〝ぬ″(小銅鐸)」の「弟(昔)」であったことは、当然でした。あの印象的な、「塩、こおろ、こおろに」の表現一つとっても、自明です。「矛」を海中にひたしたのでは、金輪際、こんな「音」はしません。本来、楽器としての性格をもつ、小銅鐸にこそふさわしい。そう思いませんか。

 「天の浮橋」とは、海士族が岸側と舟との間にわたす、「細長い平板」のこと。隠岐島(島根県)では、今でも実用されている言葉です。

 「高天原」は前にものべたように、「海士(あま)族の住む、水のきれいな集落」です。ここでは、壱岐の北岸の「天の原海水浴場」のこと。

 上巻「神代記」は
「天地初めて發(ひら)けし時、高天の原に成れる神の名は、…」
で始まる。舞台は壱岐島。淤能碁呂島は能古島のこと。ここは銅矛圏内だ。銅鐸を用いる神話はそぐわないのではないか。もっとも、福岡県からも小銅鐸が出土しているというから、まったく不可とは言い切れない。しかし私は次の『盗まれた神話』の一節を是としたい。

近畿を中域としておびただしく出土するこの特異な古代青銅器が、それを産出したその時代の社会にとって、もっとも重大かつ神聖な宝器であったこと、それは一点の疑いもない(銅鐸の使途が、楽器であるか、祭祀用具であるかが、かつて論争されたことがあった。だがそれは、たとえば銅剣・鋼矛・銅戈が武器であるか、祭祀用具であるか、と問うようなものであろう。「武器型の祭祀用具」であり、両性格は矛盾しない)。

 したがって、その社会では、この神聖な宝器は当然、おびただしい神話や説話群にとりまかれ、その真只中に存在していたはずだ。 - わたしにはそれを疑うことはできない。

 ところが、今天皇家の『記・紀』の中には、それらは一切姿をあらわさぬ。

 それだけではない。近畿を中城とする、「銅鐸圏」各地の民間伝承・口碑の類を渉猟しつくしてみても、「銅鐸神話」は一切姿をあらわさないのだ。

(中略)

 答えは一つだ。 - のちに天皇家という古代権力の主導した社会は、この「銅鐸を宝器とする社会」とは全く異質の、相容れざる祭祀圏であった。それゆえ、旧来の〝銅鐸をめぐる神話・説話群″は、新しい権力(天皇家)によって根絶されてしまったのだ、と。わたしには、そう考えるほか道はない。

 その根絶したはずの銅鐸神話が古事記に記載されていた!? 私には納得できない。

 また、「沼弟ぬおと」が「銅鐸の音」という意だとすると、説話中の該当文は「(銅鐸の)音を賜ひて」とか「其の(銅鐸の)音を指し下ろして」とか、おかしな文になってしまう。揚げ足取りのような指摘のようだが、私には引っかかる事柄だ。

 次の2例については「古事記と銅鐸」論の説明文は簡略すぎるので、講演録「『古事記』と『魏志倭人伝』の史料批判」から引用する。

(例2)
「兄宇迦斯・弟宇迦斯」の段(神武記)
爾に大伴連等の祖、道臣命、久米直等の祖、大久米命の二人、兄宇迦斯を召(よ)びて、罵詈(の)りて云ひけらく、「伊賀作り仕へ奉れる大殿の内には、意禮(おれ)先づ入りて、其の仕へ奉らむとする状(さま)を明し白(まを)せ。」といひて、即ち横刀(たち)の手上(たがみ)を握(とりしば)り、矛由氣(ゆけ)矢刺(やざ)して、追ひ入るる時、乃ち己が作りし押(おし)に打たえで死にき。

 「矛由氣」について〈大系〉の頭注は次のように述べている。
「矛を揺り動かしの意ではあるまいか。ユケという語は他に所見がない。」

 古田さんは次のように解読してる。

 ここの「矛由気ほこゆけ」は、『古事記』真福寺本で見れば分かりますように、「矛」とは書いてなくて「弟」と書かれています。「矛由気 ほこゆけ」でなく、「弟由気 おとゆけ」なのです。

 これは何かと言いますと、反りのある「横刀(おうとう)」が「太刀(たち)」なのです。「矛」は直線ですから、振り回す「太刀(たち)」を矛のようには使えない。矛のように使えないことはないけれども、それなら最初から矛を用意すればよい。「太刀(たち)」を矛のように使うこと自身がおかしい。

 では何か。普通の「弟行く(音行く)」は自動詞ですが、他動詞に使うと「弟行く(音行く)」は、「音を響かせて」となる。つまり「横刀(おうとう)の大刀(たち)」は突くものでなく、振り回すものです。つまり反りのある太刀を振り回すと「ビュン・ビュン」と音が鳴る。だからサウンドでなければおかしかった。それを「弟由気 弟行く(音行く)」と表現している。それを宣長が「矛」に書き直した。

 これも影印どおり「弟=音」が正しいとすれば、たいへん面白い解読である。しかし、原文字体は「矛」であっても何ら矛盾ははない。古田さんは『「太刀(たち)」を矛のように使うこと自身がおかしい』と言っているが、これは誤読ではないだろうか。

 兄宇迦斯を追い詰めているのは少なくとも道臣命・大久米命の二人、もしかすると部下も加わっていたかもしれない。その複数の追っ手が、ある者は今にも抜刀すぞと横刀の柄を握り、また他の者は矛を振り回したり弓矢を引き絞ったりしながら兄宇迦斯を追った。私はそのように読んだので、「矛」であっても何の疑問も感じなかった。

(例3)「墨江中王の反逆」の段(履中記)
爾に多(さは)に祿(もの)を其の隼人に給ひて曰(の)りたまひしく、「然らば汝が王を殺せ。」とのりたまひき。是に曾婆訶理(そばかり)、竊(ひそ)かに己が王の厠に入るを伺ひて、矛を以ちて刺して殺しき。

 古田さんの解読は次のようだ。

そこでは隼人の曾婆訶理(そばかり)が登場します。南九州の隼人を悪者あつかいにしていることが『古事記』の一つの特徴なのですが、その曾婆訶理をだまして、彼が仕えているご主人に謀反を起こさせた。それが成功したら、良い地位を与えてやると裏切りをそそのかした。それを曾婆訶理が本気にしてご主人を殺した。

 「是に曾婆訶埋、窺(ひそ)かに己(おの)が王の廓(かわや)に入るを伺ひて、矛を以ちて刺して殺しき」

 つまり自分のご主人がトイレに入ったときに矛で刺し通して殺したとある。ですが、これは話さなければ分かりません。今は水洗便所の時代ですから若いかたがたはご存じないと思いますが、我々の若いときはとうぜん水洗便所はないですから掘った便所でした。掘った便所では大事なことがありまして、お尻からウンチ(糞)を落としますと跳ね返る。ですから便所の水面が1メートルぐらいでしたら、跳ね返りがお尻に当たり気持ちが悪い。最低1メ一トル半から2メートルぐらいの下のところに水面がなければならない。それならお尻に水滴が跳ね返らない。昔はふつう、母屋から少し離れたところに便所があります。ところがこのような深い便所の穴は、まっすぐに掘れませんから、大きな穴になり、とうぜん大きな空白ができます。その空白に隠れる。そして汚い話ですが、ウンチ(糞)が水面に落ちると「ポチャン」と音がします。その昔に合わせて、空白に隠れていた彼が刀をお尻に向けて突き刺して殺す。矛は長過ぎてまったく使えない。このように非常にリアルというかおもしろい話です。

 これもなかなか面白い解読だ。しかし、この説話のシチュエーションも私が持っていた印象とはまったく違う。曾婆訶埋が厠の汚物を溜める穴の中で待ち伏せていたとは思いも及ばなかった。私はこの説話を読んで、幡随院長兵衛謀殺の場面を思い出していた。

 旗本奴の頭領・水野十郎左衛門は手打ちを装って長兵衛を自宅に招き、風呂を勧める。丸腰にさせるためである。十郎左衛門は湯殿に入って丸腰になった長兵衛を斬殺した。

 曾婆訶埋は丸腰になって厠に入った時を狙って、主・墨江中(すみのえのなかつ)王を矛で刺し殺した。私はそのように理解をしていたので、なんの不都合も感じていなかった。

 以上、「八千矛」も含めて、影印が「弟」となっている4通りの「矛」記事に対する古田さんの解読を読んできたが、私には「矛」を「音」にする必然性はないと思えた。しかし、影印が「弟」であるのは事実だ。これをどう考えるかが残された問題である。
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大変な問題
今回の『古事記』写本の件について。どうやら貴男は大変な所(暗闇)に踏み込まれたようですね。

しかし,それは学問研究に於いては絶対に避けては通れないものです。言わば,原初(出発点)に立ち戻ったという事に他なりません。

大きな問題は,今我々の手元にある資料は殆んど“写本”で原本が残っているものは皆無に近いということです。

たとえば,『住吉物語』の場合,一番古い善本が近世江戸期のものであったりするのです。

そういった事実を十分に承知した上で論を進められているのだと思いますが,或いはそのようなことはご存知なかったということなのでしょうか。

したがって,ここは正しい。ここは間違っているという判断を下す時,その“根拠”は何なのか。

何を根拠に正邪の判断をされるのでしょう。
2011/10/04(火) 13:23 | URL | 隠居 #hvIICHmQ[ 編集]
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