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《続・「真説古代史」拾遺篇》(11)

番外編:「矛」か「弟」か?(1)


 前回、引用文中に私にとって意味不明の文章が二つあって、それについて(お分かりの方おりましたらご教示ください。)という添え書きをした。そのうちの
(1) 八千弟(「矛」は、古事記伝の「改記」)
について、さっそく2件コメントを頂きました。ありがとうございました。

 1件目の「x」さんのコメント。

 大系も元来「八千矛」になっているとのことですが、最も古い写本とされている真福寺本『古事記』にはp40、p46等「八千弟神」と読める書体となっております。

 改めて岩波大系の底本を調べたら「正訂古訓古事記」だった。1803(享和3)年発行という新しい校本だ。本居宣長の「古事記伝」をさらに「正訂」したものという版本のようだ。

 〈大系〉では『古事記』も『日本書紀』も底本以外の「諸本」に校異があれば脚注にそれを記しているが、「矛・弟」については何も記されていない。ならば、直接「真福寺本」を見るほかない。ネット検索をしてみた。ネット、すごいですねえ。次のサイトがヒットしました。

『古事記正解』

 『国宝真福寺本古事記』の上巻全部の影印とテキストが掲載されている。P.40・P.46の影印をみると確かに「弟」のように見える。ただし、『古事記正解』のテキストは「矛」としている。

 もし「八千弟」が正しいとすると「やちおと」と読むのだろうか。もしそうだとすると、やはり問題がある。「真福寺本」でも歌謡では「夜知冨許」(「富」ではなく俗字の「冨」に見えました)なのだ。これを「やちおと」と読むのは無理でしょう。

 二つ目のコメントは向井さんからでした。

「沼矛→沼弟」の件、
『盗まれた神話』(ミネルヴァ版)のpp.411~417に書かれているようです。「第一章 謎にみちた二書」に『(「矛→弟」の新論証については、本書411~417ページ参照)』と記載されています。

 私はまだ読んでいませんが、古事記において国生みをした道具は矛ということになっていたが、これがどうも違うらしい。沼矛ではなく沼弟(音)で、「ぬ」とは銅鐸なのだそうです。

 「八千矛(弟)」は「沼河比売求婚」説話での用例だが、「沼矛(弟)」は「国生み」説話での用例だ。「矛(弟)」が3回出てくる。『古事記正解』のテキストは次の通りだ(真福寺本古事記P.10)。

①天治矛而言依賜也故二柱神立訓立云、多多志天浮橋而指下其②治矛以 畫者鹽許袁呂許袁呂邇此七字以音畫鳴訓鳴云那志而引上時自其③矛末垂落之鹽之累積成嶋是淤能碁呂嶋……

 私の眼には①は「弟」、②は「どちらとの取れる」、③は「矛」に見える。「弟」と断定してよいのか、私には分らない。なお、このテキストで注目すべき事がもう一つある。通説の「沼」が「治」になっているのだ。改めて影印を監察すると確かに「治」にしか見えない。

 「矛」と「弟」のどちらが正しいのか。その判断は神話全体の文脈の中で検討する外ないだろう。ここで古田さんの論考を教科書にすることになります。

 向井さんのコメントにあった(「矛→弟」の新論証については、本書411~417ページ参照)という注は私の手元にある朝日文庫版『盗まれた神話』にはない。朝日文庫版では神話のみならず、『古事記』『日本書紀』のどこにも銅鐸が現れないのは不審だ、という問題提起に終わっている。

 HP「新・古代史の扉」で確認した。ミネルヴァ版の巻末に追加された書き下ろし論文「日本の生きた歴史」の中の「古事記と銅鐸」論が該当論文のようだ。なお講演録「『古事記』と『魏志倭人伝』の史料批判」(「古代に真実を求めて第14集」所収)にも『「天の沼矛」は「天の沼弟」である』という項目がある。

 ここで図書館に行くことになるのですが、あいにくなことに今日は休館日でした。今日はここまでとします。
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