2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《続・「真説古代史」拾遺篇》(10)



「狗奴国」は何処?(5)
「女王の境界の尽くる所」(3)


 資料③「講演1」と資料④「講演2」を頼りに記述する段階に入りました。③④は講演録の性質上論旨や論理の筋道がうまくつかめない部分があって何とも心もとない思いが強くありました。古田さんの最新著書『俾弥呼』にはとうぜん狗奴国についての論考があるはずと思い昨日(22日)注文しました。ネット注文です。便利ですねえ。もう今日(23日)届きました。

 さっそく目次に目を通し、序章を読みました。今まで必ずしも論証が十分でなかった仮説あるいは試案にすぎなっかた事案が多々あったが、それらの多くにより明解な論述がなされている。私にとっては始めて知る研究成果もたくさんある。魅力一杯の著書です。③④も参考にしますが、以後は『俾弥呼』を教科書とします。(資料⑥とします。)


―――――――――――

 さて前回、、「これは仮説というか、試案が入ってきますが」と断りながらも、「女王の境界の尽くる所」にある「奴国」を舞鶴付近に比定する古田案を紹介した。資料⑥ではこれをもうすこし東の移動させて、越国との境界に当たる能登半島に比定している。その部分(P.124・P125)を、いくつか補注(赤字部分の)を付けながら読んでいくことにする。

 残された、「21国」中の最後の国、それは「奴国」だ。「31国」中の「伊都国」の東南「奴(ヌ)国」は「二万余戸」の大国である。「七万余戸」の「邪馬壹国」、「五万余戸」の「投馬国」に次ぐ、第三位の「大国」である。この「二つの奴国」の異同が、従来も種々論議されてきた。

 しかし、わたしにとっては明白である。別国である。「邪馬壹国」の場合も、「語幹」は「邪馬国」だった。同音の「二つの国」だ。だからこの「奴国」の場合も、同名の国があっても、なんら〝奇″とするに足りない。もし、両国が同一国なら、陳寿はそれを簡明に注記することができよう。「己(すで)に記したり」などである。逆に、文章の中の〝位置づけ″のちがいによって、この二つの「同名国」が〝別国″であることを、簡潔に示唆している。それが陳寿の筆法である。―(*)

 私は前回
『関門海峡以西の「女王に属する」国は次の21カ国だった。』
と書いたように、「21国」は全て関門海峡以西の国で「倭人伝」の記述順序はその「21国」の地理的順序を示していると解していたが、古田さんはそれを否定している。次のように述べている。(資料⑥、P.111)

 倭人伝には「邪馬壹国」以外に、30国が並記されている。そのうち、9国は帯方郡から不弥国までの途上国だ。主線行程と傍線行程がある。

 これに対して「21国」は国名だけが〝投げ出され″ている。これが今回の問題である。「次に」という言葉で並記されているから、一見「倭国内の地理的位置」の順序かと見えるけれど、それではうまくいかないこと、多くの人の「実験」されたところであろう。この点、貴重な示唆をいただいたのが、加藤一良さん(東京、北多摩病院院長)である。

 その提言は「30国は〝倭国側からの情報に拠った″のではないか。」ということである。倭国からの上表文や交流の中に、その存在があげられていた。それを陳寿が〝採用″して書いたのではないか、と。「盲点」だった。

 つまり「倭人伝」に
倭人は……旧百余国。漢の時朝見する者有り。今、使訳通ずる所三十国。〈三国志、魏志倭人伝)
とあるように、「上表文や交流の中」で知った国名を列挙したもので、地理的順序とは関係ないというわけである。ただ最後の
次に奴国有り。此れ女王の境界の尽くる所なり。その南に狗奴国あり、……
というくだりは、明らかに奴国が「女王の境界の尽くる所」の国であると読み取るほかない。古田さんはこの立場に立って「21国」の地名比定を行っている。その一つが上の赤字部分である。次のようである。(資料⑥、P100・P.101)

 倭人伝の中の「30国」中の「21国」について、わたしの辿った道を、そのまま書こう。

 まず、「邪馬国」。〝訓み″は「ヤマ」だ。女王国の中心「邪馬壹国」と語幹が共通している。両者の〝関係″は深い。むしろ、同根の〝伝播″であろう。-「大和(ヤマト)」である。

 「ト」は〝戸口″。〝神殿のありか″をしめす、接尾語だ。わたしは、そう考えた。とくに、古事記・日本書紀が、天皇家の来歴を「九州からの伝播」としていること、特に古事記が「竺紫(ちくし)の日向(ひなた)の高千穂のクジフルタケ」を〝出発地″としている点が注目される(日本書紀は、宮崎県の「日向(ひゅうが)の霧島連峯とする)。

 「竺紫の日向」の地には、最古の弥生王墓、「三種の神器」(勾玉と銅剣と銅鏡)の出土地である、吉武高木がある。この博多湾岸を中心に出土する「三種の神器」や「絹」は、やや遅れて「大和(奈良県)」から出土することが、今は周知である。

 したがってこの「邪馬国」を奈良県の「大和」とする立場、それはわたしには〝ゆるぎ″のない見地だった。津田左右吉のように、神話をもって「後代の造作」とし、「六世紀の天皇家の史官の〝造作″」とした場合、筑紫(福岡県)の出土事実との「対応」と「一致」を、単なる〝偶然の一致″とする他ない。全く無理なのである。

 勾玉と剣と鏡の「三種の神器」が、筑紫の日向の高祖(たかす)山周辺の弥生の王墓から出土する、この事実に対して、今も「津田左右吉の後継者たち」は堅く〝目をおおうて″いる他ないのである。

 それは「三種の神器」だけではない。後述するように「絹と錦」もまた、「筑紫(福岡県)から大和へ」の、文明の〝伝播ルート″が〝リアル″であることをハッキリさししめしていたのである。だから、「邪馬壹国(A)と邪馬国(B)」という〝流れ″を無視することはできない。

 津田左右吉は、不幸にも、「考古学上の出土分布」との対応を見る、という「歴史学者としての目」をもっていなかった。そのための「錯失」であろう。

 以上、はっきりと「大和」も「女王に属する国」の一つとしている。言われてみれば九州王朝の分流であるヤマト王権が「女王に属する国」の一つであることは当然のことであった。

 さて、古田さんが「女王の境界の尽くる所」にある第二の奴国に対して新たに提示している比定地は次のような論拠による。

〈(*)の続き〉

 では、この「21国」中、最末の「奴国」、しかも有名な、「これ女王の境界の尽くる所なり。」とある。この「奴国」とは、どこか。

 わたしは「能登(ノト)」(石川県)だと思う。能登半島の「能登」である。「ト」は〝神殿の戸口″の「ト」。接尾辞である。「大和」や「山門」の「ト」とも、共通の用語である。

 古事記上巻(神代巻)では、八千弟(「矛」は、古事記伝の「改記」)神が高志(コシ)国の沼河(ヌカハ)比売に対して、次のように歌っている。

八千矛の 神の命は 八島国 妻枕(ま)きかねて 遠遠し 高志(こし)の国に 賢(さか)し女(め)を 有りと聞かして

 「八島」の内実には、種々の立場がある(日本書紀)けれども、ここでは「高志(=越)」は、「出雲を中心する、八島国」には入っていない。すなわち、能登半島以西が出雲の「勢力範囲」となっているのである。

 「国ゆずり神話」や「天孫降臨神話」などの〝内実″が「女王国の歴史」として、倭人伝の中の、倭人側による「国名表記」に対して、いちじるしい「前提」とされ、「痕跡」を残していること、すでに多くの事例でしめしたところである。

 だから、この「第二の奴国」のケースもまた、能登半島以東が「倭国」とは〝別領域″として、ここに明確にしめされていたのである。

 隠れた女王、俾弥呼の横顔は、一面では意外に明確な輪郭をわたしたちにクッキリとしめしていたようである。

 古田さんは「奴国」を「ヌコク」と読んでいるが、「奴」の表音「ヌ」「ノ」はどちらも「野」という意味をもつと考えている。引用されている歌謡から能登までが出雲の範囲ということは十分納得できる。「舞鶴近辺」説には文献的論拠が欠けていたので、私は「能登」説に賛成したい。

 しかし、私には真意をつかめない文言が二ヶ所ある。無視しても全体の論旨には影響がないが、一応指摘しておく。(お分かりの方おりましたらご教示ください。)

(1) 八千弟(「矛」は、古事記伝の「改記」)

 〈大系〉の原文を当たってみたが「八千弟」はまったくない。他の写本にあるのだろうか。もともとは「八千弟」だったとして、これはどのように読むのだろうか。「八千矛」は歌の中では「夜知富許」と表記されている。「やちほこ」と読むほかないと思うが…。

(2) 「八島」の内実には、種々の立場がある(日本書紀)けれども

 「八島」は国生み神話の「大八洲」とは異なる概念だろう。しかし『日本書紀』には「八島」はない。「八嶋」が第八段一書第一に出てくるが、人名(神名)のなかで使われているだけである。また「八千矛」は『日本書紀』では「八千戈」と表記されているが、第八段一書第五に出てくるだけである。上の文を私はまったく理解できない。

 『古事記』では「八島」について頭注が次のように述べている。

「一般に大八島国即ち日本の国中でと解されている。しかし出雲の神々に八島士奴美神・八島牢遅能神などのように、八島を名にしている神があることから考えると、八島国は出雲関係のもっと狭い範囲かも知れない。なお考うべきであろう」。

 私は「八島国は出雲関係のもっと狭い範囲」と断定してよいと思う。
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2011/09/24(土) 17:49 | | #[ 編集]
「沼矛→沼弟」の件
こんにちは

「沼矛→沼弟」の件、
『盗まれた神話』(ミネルヴァ版)のpp.411~417に書かれているようです。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku6/syokiki1.html
に『 (「矛→弟」の新論証については、本書四一一~四一七ページ参照)』と記載されています。

私はまだ読んでいませんが、
古事記において国生みをした道具は矛ということになっていたが、これがどうも違うらしい。沼矛ではなく沼弟(音)で、「ぬ」とは銅鐸なのだそうです。


以上、ご参考まで。

滋賀県野洲市吉地1468
向井 藤司


PS. その後、webを調べていたら
   古田史学論集 第十四集  「古代に真実を求めて 」 明石書店
   にも記述があるようです。
2011/09/25(日) 17:03 | URL | 向井 藤司 #-[ 編集]
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