2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(201)

「天武紀・持統紀」(116)


「大化改新」の真相(38)
古田説の検討(7):「東国」問題(4)


 本題に入る前に番外編を一つ。

 「すいません、平仮名に濁点っていつ頃から使われ出したのでしょうか?」というコメントを頂きました。私も興味があるので調べてみました。

 岩波の古典文学大系本には古写本の写真が掲載されています。『古今和歌集』の古写本の写真を見てみました。濁点はありません。平安時代には濁点は使われていなかった。

 『日本書紀』には卜部兼方本(鎌倉時代)が掲載されています。それには片仮名で訓読が付されていますが濁点はありません。鎌倉時代にも濁点は使われていなかった。

 次に『中世近世歌謡集』。その中の「宴曲集」の解説で31册の諸本を挙げて解説をしている。底本に用いている西本願寺本の解説にだけ「句読点・濁点はない」と特筆している。他の本には句読点・濁点があるということなのだろうか。もしそうだとすると、濁点は室町時代には使われるようになっていたということになる。

 私にはこれ以上は調べられないのでネット検索をしてみました。「仮名遣ひの歴史」というサイトを見つけました。内容的に信頼できる資料だと思う。それによると、濁点が使われるようになったのはやはり室町時代のようです。その部分だけ引用しておきます。

室町

 「行阿、定家仮名遣ひを補足。(不徹底が残り、また「お、を」の書き分け原理に間違ひがあったが以後長く権威あるものと見なされた。)

 「じ、ぢ、ず、づ」の発音の混同始まる。濁音記号に「゙」が使はれるやうになる。

新語ではは行転呼が起らなくなる。

「あう、かう、さう、・・・」(開音)と「おう、こう、そう、・・・」(合音)の発音の区別なくなる。

 ちなみに、「語頭以外の〈は行〉の発音が〈わ行〉と同じになる」ことを「は行転呼」と言います。平安時代からのことだそうです。

 本題に戻ります。『日本書紀』の「東国」調べの続きです。

―――――――――――

 「景行紀」には「東国」が先に挙げた27年条も含めて6例出てくる。27年条の次は40年条で、ヤマトタケルが東伐に派遣される経緯が描かれている。

四十年の夏六月に、東(ひむがし)の夷(ひな)多(さは)に叛(そむ)きて、邊境(ほとり)騒(さわ)き動(とよ)む。

秋七月の癸未の朔戊戌(16日)に、天皇、群卿(まへつきみたち)に詔して曰はく、「今東國(あづまのくに)安からずして、暴(あら)ぶる神多に起る。亦蝦夷悉(ふつく)に叛きて屢(しばしば)人民(おほみたから)を略(かす)む。誰(たれ)人を遣(つかは)してか其の亂(みだれ)を平(む)けむ」とのたまふ。……


 27年条の「東国」には頭注がなかったが、ここでは次のような注が付いている。

「東海道相模以東、東山道上野以東、今日の関東地方をさす。」

 「東の方の国」と解釈している。要するにヤマトタケルの東伐に出てくる地名をすべて含むように解釈しているのだ。実は前回(「東国」問題(3))の「景行紀」27年2月12日条は武内宿禰が東国から帰ってきた記事だったが、その直前の記事は東国に出かける記事で次のようである。

二十五年秋七月の庚辰朔壬午(3日)に武内宿禰を遣(つかは)したまひて、北陸(くぬがのみち)及び東方(あづま)の諸國の地形(くにかた)、且(また)百姓の消息(あるかたち)を察(み)しめたまふ。

 赤字部分の原文は「北陸及東方諸國」である。「東方諸國」は『日本書紀』全体でここで一回だけ使われている文言である。一例しかないが、すくなくとも「景行紀」の編纂者は「あづまの国」と「東の方の国」とをはっきりと区別して用いていると考えてよいのではないか。もしそうならば、「景行紀」の「東国」はすべて「あづまの国」と解するのが妥当だろう。

 次は「景行紀」53年条で、ヤマトタケルが征討した国々を巡行した景行の帰国記事である。

十二月に、東國(あづま)より還りて、伊勢に居(ま)します。是を綺宮(かにはたのみや)と謂(まう)す。

 どういうわけか、ここでは「東国」を「あづま」と訓じている。一貫性がない。「東の方の国」というニュアンスを持たせるための訓読だろうか。

 次の55年条・56年条は「崇神紀」48年4月19日条にあった上毛野君始祖譚の詳細版といったおもむき記事である。

五十五年の春二月の戊子の朔壬辰(5日)に、彦狭嶋王(ひこさしまのみこ)を以て、東山道(やまのみち)の十五國の都督(かみ)に拝(ま)けたまふ。是れ豊城命(とよきのみこと)の孫(みま)なり。然して春日の穴咋邑(あなくいのむら)に到りて、病に臥して薨りぬ。是の時に、東國の百姓、其の王の至らざることを悲びて、稀に王の尸(かばね)を盗みて、上野国(かみつけののくに)に葬(はぶ)りまつる。

五十六年の秋八月に、御諸別王(みもろわけのみこ)に詔して曰はく、「汝(いまし)が父(かぞ)彦狭嶋王、任(ことよ)さす所に 向(まか)ること得ずして早く薨(みまか)りぬ。故、汝専(たうめ)東國(あづまのくに)を領(をさ)めよ」とのたまふ。是(ここ)を以て、御諸別王、天皇の命(おほみこと)を承(うけたまは)りて、且(まさ)に父(かぞ)の業(ついで)を成さむとす。則ち行きで治(なさ)めて、早に善き政(まつりごと)を得つ。時に蝦夷騒き動(とよ)む。即ち兵(いくさ)を擧げて撃つ。時に蝦夷の首帥(ひとごのかみ)足振邊(あしふりべ)・大羽振邊(おほばふりべ)・遠津闇男邊(とほつくらをべ)等、叩頭(の)みて來(まうけ)り。頓首(をが)みて罪を受(うべない)ひて、盡(ふつく)に其の地(ところ)を獻る。因りて、降(したが)ふ者(ひと)を免(ゆる)して、服(まつろ)はざるを誅(つみな)ふ。是を以て、東(ひむがしのかた)、久しく事無し。是れに由りて、其の子孫(うみのこ)、今に東國(あづまのくに)に有り。


 この種類の記事はすべて盗用記事だろう。「都督」という称号が目に付く。〈大系〉の補注は「漢文的修辞か」と書いているが、はたしてそんなものだろうか。私はここで倭王武を思い出した。度々引用しているが「宋書倭国伝」を引く。

興死して弟武立ち、自ら使持節・都督、倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍・倭国王と称す。
順帝の昇明二年、使を遣わして表を上る。いわく「封国は偏遠にして、藩を外に作(な)す。昔より祖禰(そでい)躬ら甲冑を擐(つらぬ)き、山川を跋渉し、寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を脱すること六十六国、渡りで海北を平ぐること九十五国。王道融泰(ゆうたい)にして、土を靡(ひら)き畿(き)を遐(はるか)にす。(以下略)


 「都督」を自称したり授与されたりしたのは「武」だけではなく、「珍・済」の項にも「都督」がある。「祖禰(そでい)」がいつ頃まで遡るのか分からないが、九州王朝が、平和的にか武力行使によってか、東は「あづまの国」までを九州王朝の配下に置いたのは「倭の五王」時代だったのではないか。「倭の五王」の頃に倭国でも「都督」という称号が用いられたとしても不思議はない。
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この記事へのコメント
日本古代史の中で 石渡信一郎&林順治氏の 『倭韓交差王朝説』は
きわめて理論的な説であると思いますが、どうして、異端説 扱いなのでしょうか?
(注:私は石渡教授&林先生と呼びます)
(注:私は 倭は韓(=百済)を通ってきた と考えたいので 倭百済通過説のほうがいいかもしれないと思いますが。。。)

『倭韓交差王朝説=倭百済通過説』とは
①崇神は加羅から渡来し、九州のヤマタイ国を滅ぼし、350頃、纏向に第1倭国『加羅(南加羅))』を建て、箸墓に眠る。
②5世紀の中国に遣使した倭国王『讃珍済興』は 崇神の子孫になる。大きな前方後円噴に眠る。
③昆支と余紀は百済の蓋鹵王の弟。ともに崇神王家の済(ホムタマワカ)に入婿。昆支は応神になる。余紀は継体になる。
④応神は倭国王武として宋に遣使。491年に第2倭国『大東加羅(あすから=飛鳥ら)」を建てた。八幡大名神になった。
⑤継体は仁徳陵に眠る。仁徳から武烈の間は架空天皇。継体の息子の娘の石姫は欽明との間に敏達を生む。
⑥欽明は応神の息子で 531年継体の息子を討つ(辛亥の役)。ワカタケル大王となる。蘇我稲目と同一人物。
⑦蘇我馬子と用明と聖徳太子の3名は同一人物で、欽明の息子。隋に遣使したアメノタリシホコのこと。
⑧蘇我蝦夷はアメノタリシホコと敏達の娘の貝蛸(フツ)姫との息子。子の入鹿とともに天皇。崇峻、推古、舒明、皇極は架空天皇。 
⑨馬子に殺された物部守屋は敏達の息子の押坂彦人大兄と同一人物。その息子が天皇になれなかった田村皇子。
⑩天智も天武も田村皇子の息子。但し、異母兄弟。天武の母は馬子(聖徳天皇)の娘で 天武は古人大兄と同一人物。

以上 10個は私の子供(小5)はウソだウソだと言っており、確かに、驚くべき説で、
内容も難しく、すぐには理解できないもの(特に記紀信者には)ですが、
石渡教授が論理的に証明された真実です。

ただちに、石渡教授は東大か京大の日本古代史の教授に推挙されるべきです。
そしてこの『倭韓交差王朝説=倭百済通過説』で 3から8世紀の日本史の教科書は書きかえられるべきです。
私の子供もウソをマークシートしなければいけない不幸をだれか救ってください
どうして、当たり前のことが、できないのでしょうか??
2011/07/26(火) 01:16 | URL | むらかみからむ #-[ 編集]
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