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538 新新宗教批判(5)
天地創造説の比較・天理教と記紀
2006年6月29日(木)


 古事記を原文(古語)で読むとなにやら神秘めいた雰囲気になるが、口語に 翻訳すれば天理教の教義と同じレベルで見比べられる。と思ったからかどうか 分からないが、吉本さんは古事記の天地創造説を武田祐吉訳から引用している。

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 皆、この世界の一番始めの時に、天で御出現になった神様は、お名をアメノミ ナカヌシの神といいました。次の神様はヌカミムスビの神、次の神様はカムムス ビの神、この御三方は皆お独で御出現になって、やがて形をお隠しなさいまし た。

 次に国ができたてで水に浮いた脂のようであり、水母のようにふわふわ漂って いる時に、沢の中から葦が芽を出して来るような勢いの物によって御出現になっ た神様は、ウマシアシカビヒコヂの神といい、次にアメノトコタチの神といいま した。この方々も皆お独で御出現になって形をお隠しになりました。

 以上の五神は、特別の天の神様です。

(中略)

 そこで天の神様の仰せで、イザナギの命、イザナミの命御二方に、「この漂っ ている国を整えてしっかりと作り固めよ」とて、りっばな矛をお授けになって仰 せつけられました。そこでこの御二方の神様は天からの階段にお立ちになって、 その矛をさしおろして下の世界をかき廻され、海水を音を立ててかき過して引き あげられた時に、矛の先から滴る海水が、積って島となりました。これがオノコ ロ島です。その島にお降りになって、大きな柱を立て、大きな御殿をお建てにな りました。
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 チョッと横道に入る。前回、「記紀の天地創造説から縄文国家から弥生国家への 歴史的推移の反映を抽出できる」と書いた。これは古田武彦さんの神話読解を念 頭に置いたことだった。そのあらましは次のようである。

出雲風土記の「国引き神話」
『童女(おとめ)の胸すき取らして、大魚のきだ衝き別けて、はたすすき穂振り 別けて、三身(みつみ)の綱うち挂(か)けて、霜黒葛(しもつづら)くるやく るやに、河船のもそろもそろに、国来々々(くにこくにこ)と引き来(き)縫へ る国は……』(「すき」は「金+且」という漢字)

 記紀の「矛」(金属製)を用いた「国生み神話」と出雲風土記の「すき(木製) と綱」を用いた「国引き神話」を比べると、後者は縄文時代の神話で前者は弥生 時代の新作神話であることは明らかだ。この二つの国生み神話を結びつける神話が 「国ゆずり」神話である。ただし実際は「譲渡」ではなく「強奪」だったことを 論証した上で古田さんは次のように述べる。

 最初の記紀神話の聴衆、それは筑紫の弥生期中葉の人々だったであろう。彼等 にとっての常識は、〝出雲大神中心の神話″だった。これに対して〝天照大神 は、配下の一神″これもまた常識だったのである(もちろん、当時これを 「神話」と呼んではいなかったであろう。叙事詩であり、「語り」であったであ ろう)。

 この常識に対して、「新作」の神話が説かれた。―記紀神話だ。
 〝今まではそうだった。しかし、これからはちがう。これまで家来だった天照 大神は、主人になったのだ。最高神の位置にとって代ったのだ。その証拠に「国 ゆずり」を大国主たちは承知した。そして現に「天孫」の子孫たるわたしたち が、お前たちを支配しているではないか″と。

 武力による権力奪取という既成事実を、「神話」(語りごと)の形で合理化し、 民衆説得の用具とする。然り、神話は筑紫の弥生権力者たちにとって、〝権力 正統化のために不可欠なP・Rの手段″として、まさに創作されたのであった。 (「風土記にいた卑弥呼」より)


 以上は「372 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(26)「神代紀」の解 読(3) ― 「大八州」はどこか 2005年8月25日(木)」の補足でした。

 さて、中山みきの「天地創造説」と古事記の「天地創造説」を比べて吉本さ んは次のように論述している。

 もっとも興味深いこの二つの創造神話の差異は、天理教の創造神話が<人間 創造>神話であるのに、大和教(天皇制)の創造神話が<国土創造>神話であ ることである。またもうひとつの差異は、天理教の創造神話が、なぜか中山み きによって魚類(水棲類)の比喩によって貫徹されていることである。もちろ ん、天理教の神話から後世の垂加的な神道の影響と、『古事記』のような制度 的な支配の行為がなされていないという点を捨象することを前提としたうえの ことである。

 「どぢよ」という中山みきの比喩は、田圃に生棲し、おそらく古くから食用 に供されたにちがいないことから、その必然性を了解することができるが、そ れからあと芋づる式に魚類(水棲類)の比喩ばかりがやってくるのは、天理 教の発生が奈良盆地の山辺郡というもともと海にそれほどかかわりない大和王 朝の地盤にあることをかんがえると不可解な気がする。中山みきには個人とし て特殊にそういう嗜向があったのかもしれない。これを天理教神話が<性神> 信仰の段階にあることとかんがえあわせると、教義的な時間性がしめしている ものは、大和教(天皇制)よりも古く、また土俗的であることが了解される。

 そして、また、天理教にとって<国生み>の神話は無意味であった。かれら にはもともと国土支配の現実的な意企はなく、<性>信仰に基盤をおいて、農 耕社会の貧困な人間の心的な世界を救済しようとする意企しかなかったからで ある。中山みきにとってもっとも重要な緊急な問題(急き込み)は、天理神の 概念に包摂され、現実的な無一物の状態でもなお成立する<陽気ぐらし>、い いかえれば宗教的な解放天国(法悦)の生活であった。そのための条件として 宗教的な奉仕と一定の勤行が要求される。信仰の対象となる神は人間の<性> (生殖)そのものであり、この<性>(生殖)の意味は農耕とも結びつけられ、 また、つねに宗教的対象(神)とそれを具体的に実現するものとしての人間と のあいだの<架橋>物としての宗教的な意味があたえられる。

 大和教(天皇制)が現実的な勢力をもちえたのは、それが制度的なものと結 びつけられ、政治的な権力への<架橋>がいつもかなり具体的にかんがえられ たためである。しかし天理教が現実に大きな宗教として発展した理由はまった くちがっている。この宗教には本質的な意味での政治的権力への志向はないと いっていい。ただ教祖中山みきには、かなり高度で深刻な生活思想があり、そ の発言(おふでさき)に普遍的な思想体験としての一般的な真理が、かなり高 度に存在している。いいかえれば、中山みきの発言は無智な農家の主婦によく あるよたよたした方言と神憑り的な韻文によってなされてはいるが、生活思想 としてはかなり高度なものがあり、しかも、その発言が、常人ではとても及ば ない無鉄砲な徹底した自己放棄と生活放棄に実践的に裏付けられているため、 おおきな影響力をもっているといっていい。


 数日前に我が家の郵便受けに天理教の「教祖120年祭 こどもおじばがえり」 というチラシが入っていた。幼児が喜びそうなかわいいイラスト入りのきれい なチラシだ。「こどもおじばがえり」という行事は毎年行われており、対象は 幼児から中学生までで、毎回約30万人の子どもが参加しているという。正面切った 宗教教育をしているわけではなさそうだが、幼児期から宗教を身近なものに して、物心つく頃に違和なく宗教に入っていける素地を作っておこうというわ けだろう。
 幼稚園から大学まで宗教団体を母体とする教育施設は相当の数になる。 教育基本法改悪を目論む連中が宗教教育の項目を盛り込むことも企てているが、 もう十分宗教教育は盛んじゃないか。
 いや、公立学校では天皇教教育をしようというのが連中の意図なのだった。 しかしそのもくろみが私立校に及ばない保証はない。そのとき各宗教は「天皇教」 にどう対処するだろうか。折り合うのか、抵抗するのか。大日本帝国時代と同 じ問題がむしかえされることになる。ここでも「2度目は喜劇」という悲劇が 演ぜられることが危惧される。
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