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《真説古代史・近畿王朝草創期編》(190)

「天武紀・持統紀」(105)


「大化改新」の真相(28)
冠位制の変遷(2)の続き〈その1〉


(資料が届いたので戻ります。)

 『造作の「天智称制」』で山崎さんが、664(天智3)年の冠位制定記事(4)と671(天智10)年の冠位施行記事との間にある7年のズレを「偶然だろう」としていることに対する私の疑念は、私の誤解だった。山崎説の再検討から始めよう。

 「天智紀」には7年のズレがある重出記事が三件ある。

① 伊勢王の死
  天智7年6月→斉明7年6月
② 天智即位
  7(戊辰)年正月戊子→〈称制〉斉明7(辛酉)年7月丁巳
③ 冠位制定
  10年正月甲辰→3(甲子)年2月丁亥

 まず①について
 ①には日付の干支は記録されていない。明らかに天智7年から斉明7年に移動したための重出記事である。もとの天智7年の記事を消し損なったのだろう。それにしても、どうしてこの記事を斉明7年に移動する必要があったのだろうか。

 山崎さんは、伊勢王は九州王朝の「大王」(山崎さんはこのように呼称している)だったとしている。さらに具体的には「伊勢王=薩夜麻」としている。論拠を、伊勢王初出のあの白雉改元記事(「天智称制の秘密(5)」)を参照してください)に求めている。その論旨のあらましは次のようである。

 そこに登場する地位上位三者「天皇―(皇太子)―伊勢王」のうち(皇太子)は中大兄皇子を暗示するための『日本書紀』編纂者による付加である。それを除くと「天皇―伊勢王」となり伊勢王はナンバーツウ。そこで「倭の五王」の兄弟相続例をあげて、「天皇=筑紫君薩夜麻」・「伊勢王=男弟王」と比定している。そして、天智7年の伊勢王兄弟の死亡は天智による謀殺であり、そこで九州王朝が終わったと言う。

 私は伊勢王が九州王朝の「大王」だったという点と、そこで九州王朝は終わったという2点には賛同できない。伊勢王の死が天智による謀殺であるという可能性はあるが、九州王朝は710年まで続くというのが私(たち)の立場である。

 山崎さんは伊勢王の死亡記事の移動理由については次のように推定している。

 天智紀7年の「伊勢王と其の弟王と、日接りて薨せぬ」というたった11文字から、370余年続いた王朝の滅亡を読みとることは、その状況証拠であるとして、あまりに史料不足の感をまぬがれず、私の一人相撲と笑われるかもしれません。

 私たちは最初に戻らなくてはなりません。讖緯説の辛酉革命の革命とは王朝交替があくまでその原意です。即ち、旧王朝の滅亡と新王朝の成立のことが書かれなくては王朝交替となりません。もし、「書紀」編纂者が一度完成していた「書紀」を書き替えて、讖緯説を導入するため天智称制即位を造作したことが確実であるならば、天智称制即位は新王朝の成立を記したといえましょう。ですから、どうしても、旧王朝の滅亡を記す必要があるのです。

 斉明7年の伊勢王の死の重出記事は、天智紀では同じ月でありながら天智即位の後になっているのに、称制即位では前となっている点が注目されます。讖緯説通りの旧王朝の滅亡が書かれているといえるのです。

 このことの意味は、伊勢王こそ九州王朝の大王たるべき人物だと、「書紀」自らが告白したことになるのです。

 「370余年続いた王朝」という記述から、山崎さんは邪馬壹国あるいは讃(倭の五王)のころを九州王朝の始まりと考えている思われる。これにも賛同できない。

 本題の伊勢王死亡記事の移動理由についてもそのまま認めることができないが、私には山崎説以外を思いつかないのでその問題点だけを書き留めておこう。

 伊勢王が九州王朝の天子だとして、伊勢王の死亡記事が讖緯説を成り立たせる要因の一つである「旧王朝の滅亡」を示すと『日本書紀』が編纂された当時の当事者たちが思い込んでいたとしても、それはその場限りの自己満足に過ぎない。いま私(たち)がその真相究明に四苦八苦しているように、伊勢王の死亡記事を斉明7年に置いても伊勢王が何者なのか明記しなければ、讖緯説の正当性を主張する記事としてはそれは無意味な記事であろう。『日本書紀』という「偽正史」が主張することは後世に伝えてこそ意味がある。『日本書紀』編纂者が伊勢王死亡記事を「旧王朝の滅亡」を示すものという意図を持って移動したのだとすると、伊勢王が何者か明記すれば隠しておきたい九州王朝が表面でできてしまうが、かといって讖緯説の要の「旧王朝の滅亡」記事も残したい。そのジレンマに悩みつつ致し方なく伊勢王の正体不明の記事を置いた。このように考えるほかないだろうか。

 伊勢王の死亡記事を取り上げている方がもう一人いらっしゃった。HP「新・古代学の扉」で正木裕さんの論文「伊勢王と筑紫君薩夜麻の接点」に出会った。その論文で正木さんも伊勢王は九州王朝の天子であるとしている。そして、白雉改元記事の「天皇」は『万葉集』45番199番・233番に出てくる「吾大王」であるとする。そして新たに162番・3234番を引いて、「吾大王」は「伊勢王」と呼ばれる必然性がある、と言っている。そしてその「吾大王=伊勢王」の子こそ「明日香皇子=薩夜麻」であると比定している。そして白鳳改元は薩夜麻即位による改元であり、父王逝去→薩夜麻即位とピタリとつながり、重出死亡記事のうち斉明7年のほうが「本来の姿だ」としている。

 白鳳改元は薩夜麻即位による改元という点は賛同できる。私の立場(「天智称制」は造作)からは、この正木説には難点が二つある。一つは斉明7年のほうが「本来の姿だ」とするとき、では天智7年に重出記事があるのは何故かという問題が残る。もう一つは162番・3234番から「吾大王」は「伊勢王」と呼ばれる必然性があるとする点である。その可能性はあるが、「吾大王」が薩夜麻の父ならば、「吾大王」は天子であり伊勢国一国の大王と呼ぶのはそぐわない。

 さて、お二人の説からいいとこ取りをして、私も伊勢王について仮説を立ててみようと思う。

 白雉改元記事に登場する地位上位三者「天皇―皇太子―伊勢王」をそのまま受け入れよう。「天皇―皇太子」に正木説を当てはめたい。そして伊勢王は皇太子の弟とする。つまり「天子―皇太子・薩夜麻―弟・伊勢王」である。この場合は当然伊勢王の死亡記事は天智7年の方が元記事ということになる。

 この仮説のもと、7年ズレの重複記事②・③を検討してみよう。

 ②・③には日付干支があるが、同じ干支の日に移動するというこれまで見てきた『日本書紀』編纂者の律儀な移動原則が崩れている。②は移動と言うより造作記事であり、「辛酉革命」の証拠記事だから、干支とは関係なしに斉明の死亡年月日に置かざるを得ないのだ。そして、「辛酉革命」と「甲子革令」とはセットだから、③は天智称制3(甲子)年に置かなければならない。置かざる得ずに置いたのだから、山崎さんが7年のズレは「偶然だろう」と言うのはもっともなことだった。

 ここで私は③の重出記事についてのこれまでの見解を訂正しなければならない。(本来のテーマであった冠位制(4)に戻ることになる。次回に。)
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この記事へのコメント
斉明期の九州王朝の天子が「伊勢王」と呼ばれる理由は、彼が伊勢の国の王であったためではありません。
持統6年(692)3月辛未(6日)に「天皇、諫に従ひたまはず、遂に伊勢に幸す。」との記事があり、これは持統の「伊勢行幸」で高市麻呂が冠を賭して諫言した記事として有名です。
しかし、直後の持統6年(692)5月庚午(6日)に牟婁郡の人阿古志海部河瀬麻呂等への恩賞記事がありますが、飛鳥から伊勢への「陸行」に何故遥か彼方の紀伊国牟婁郡の人物が貢献できるのか不明であり、
これは34~35年前の斉明3年(687)から4年(688)にかけての「斉明の紀伊国牟婁温湯行幸記事からの盗用」と考えれば何の不思議もありません。
その斉明4年4月に阿倍臣の180艘の大船団による蝦夷討伐記事があるのです。
そして、筑紫糸島半島は、書紀推古10年の久米皇子の出征譚からも「水軍の拠点」だった事が分ります。
推古10年夏4月(略)将軍来目皇子、筑紫に到ります。乃ち進みて嶋郡に屯みて、船舶を聚めて 軍の粮を運ぶ。
その糸島半島の唐津湾に面した入江にに「伊勢」があるのです。(糸島市水道事業条例に「伊勢ヶ浦」)
こうしたことから持統6年の伊勢行幸は、34年前の九州王朝の天子の、水軍基地「伊勢」に向けての、蝦夷討伐を目的とした軍事行動記事の盗用と考えています。
「農繁期に農民を徴発する軍事行動などとんでもない」というのが高市麻呂の諫言だったのでしょう。
詳細は省きますが、彼は九州王朝の水軍基地「筑紫なる伊勢」を拠点に対蝦夷・対新羅の一大軍事行動を展開した天子として「伊勢王」と呼ばれたのだと考えます。
なおこの考えは、持統の31回の吉野行幸は、34年前(ちょうど斉明期にあたる)の九州王朝天子の佐賀なる軍事基地「吉野」への行幸だった、とする古田氏の説ともよく附合します。
九州王朝は水軍基地=伊勢、陸軍基地=吉野の2大基地を擁して半島や蝦夷への軍事行動を展開し、国内では評制施行等の集権体制を確立していったと考えられます。
そしてこの時期は斉明期であり、九州王朝でいえば薩夜馬の父「伊勢王」の時代と一致しているのです。
2011/06/29(水) 00:30 | URL | 一愛読者 #-[ 編集]
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