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《真説古代史・近畿王朝草創期編》(188)

「天武紀・持統紀」(103)


「大化改新」の真相(26)
冠位制の変遷(3)


(資料が揃うまで、前回の続きを後回しにして先に進みます。)

 5番目(最後)の冠位制定記事は「天武紀」にある。

(5)
685(天武14)年正月21日
丁卯に、更に爵位の號を改む。仍、階級を増し加ふ。明位二階(しな)、浄位四階、階毎に大・廣有り。幷て十二階。以前(これ)は諸王より已上(かみつかた)の位なり。正位四階、直位四階、勤位四階、務位四階、追位四階、進位四階。階毎に大・廣有り。幷て四十八階。以前は諸臣の位なり。

 まとめると次のようになる。

(皇子・諸王)明・浄
(諸臣)正・直・勤・務・追・進
 まず全てが「大・廣」の2階に分かれる。さらに、「明」は「壹・貳」の2階に分かれる。その他は「壹・貳・参・肆」の4階にわかれる。皇子・諸王が2色12階、諸臣が6色48階で合8色60階。この複雑な冠位制を一覧表にすると次のようである。

(皇子・諸王)
明大壹・明廣壹・明大貳・明廣貳
浄大壹・浄廣壹・浄大貳・浄廣貳・浄大参・浄廣参・浄大肆・浄廣肆

(諸臣)
正人壹・正廣壹・正大貳・正廣貳・正大參・正廣参・正大肆・正廣肆
直大壹・直廣壹・直大貳・直廣貳・直大参・直廣参・直大肆・直廣肆
勤大壹・勤廣壹・勤大貳・勤廣貳・勤大参・勤廣参・勤大肆・勤廣肆
務人壹・務廣壹・務大貳・務廣貳・務大參・務廣参・務大肆・務廣肆
追人壹・追廣壹・追大貳・追廣貳・追大參・追廣参・追大肆・追廣肆
進人壹・進廣壹・進大貳・進廣貳・進大參・進廣参・進大肆・進廣肆

 これまでの4制度とはがらりと変わった内容になっている。まるで別王朝の手になるもののようだ。当日さっそく冠位を授与している。

是の日に、草壁皇子尊浄廣壹位を授けたまふ。大津皇子浄大貳位を授けたまふ。高市皇子に浄廣貳位を授けたまふ。川嶋皇子・忍壁皇子に浄大参位を授けたまふ。より此以下の諸王・諸臣等に爵位を増し加ふること各差有り。

 冠位を授与された皇子のうち川嶋だけが天智の子で、あとは天武の子である。(「日並知皇子の謎(1)」に皇子たちの一覧表を掲載してあります。参照してください。)

 冠位を授与されていない皇子たちはまだ若すぎるからだろう。生年がはっきりしているのは舎人だけだが、676年生まれでこの年にはまだ9歳である。

 以上から、この冠位はヤマト王権自前の初めての冠位と言ってよいだろう。九州王朝の権力の衰退ぶりを示す証左の一つである。九州王朝からヤマト王権への権力移行の合意ができたのはこの頃だったかも知れない。

 官位制(5)がヤマト王朝自前の制度であり、それが権力移行の合意を示しているという判断が正しいとすると、これは「大化改新」関連記事の移動時期の判断にも影響することになろう。このことも判断材料に入れることにする。

 ちなみに、この冠位は701年に大宝建元と同時に改定されている。官服の色も細かく規定している。冠位は今までの装飾的用語をやめて、一目で地位の上下が分かる数字を用いている。必要になることもあるかもしれないので現代語訳(宇治谷氏の現代語訳を下敷きにしています)で掲載しておく。(ただし、服制記事は省略した。)

701(大宝元)年3月21日
 甲午、対馬嶋が金を貢じた。そこで元号を建て、大宝元年とした。
 初めて新令に基づいて、官名と位号を改制した。親王の明冠は四品(一品より四品まで)、諸王の浄冠は十四階で合せて十八階とする。諸臣の正冠は六階、直冠は八階、勤冠は四階、務冠は四階、追冠は四階、進冠は四階で合せて卅階とする。外位の直冠は正五位上の階から始めて、進冠を少初位下を階の終とする。合せて廿階である。
 勲位(文位に対して武功のあった者に与えられる)は、勲一等が正冠の正三位より始まり、追冠の従八位下で終る。合わせて十二等である。
 また始めて賜冠をやめて、代りに位記(いき)(叙位を記した文書)を授けることとする。詳しくは年代暦に記す。……


《親王》
(明大壹・明廣壹・明大貳・明廣貳)
  ↓
一品・二品・三品

(浄大壹・浄廣壹・浄大貳・浄廣貳・浄大参・浄廣参・浄大肆・浄廣肆)
  ↓
四品

《諸王・諸臣〈内官〉》
(正人壹・正廣壹・正大貳・正廣貳・正大參・正廣参・正大肆・正廣肆)
  ↓
正一位・従一位・正二位・従二位・正三位・従三位

(直大壹・直廣壹・直大貳・直廣貳・直大参・直廣参・直大肆・直廣肆)
  ↓
正四位上・正四位下・従四位上・従四位下
正五位上・正五位下・従五位上・従五位下

(勤大壹・勤廣壹・勤大貳・勤廣貳・勤大参・勤廣参・勤大肆・勤廣肆)
  ↓
正六位上・正六位下・従六位上・従六位下

(務人壹・務廣壹・務大貳・務廣貳・務大參・務廣参・務大肆・務廣肆)
  ↓
正七位上・正七位下・従七位上・従七位下

(追人壹・追廣壹・追大貳・追廣貳・追大參・追廣参・追大肆・追廣肆)
  ↓
正八位上・正八位下・従八位上・従八位下

(進人壹・進廣壹・進大貳・進廣貳・進大參・進廣参・進大肆・進廣肆)
  ↓
大初位上・大初位下・少初位上・少初位下

《諸臣外位》
(直大参・直廣参・直大肆・直廣肆)
  ↓
外正五位上・外正五位下・外従五位上・外従五位下

(勤大壹・勤廣壹・勤大貳・勤廣貳・勤大参・勤廣参・勤大肆・勤廣肆)
  ↓
外正六位上・外正六位下・外従六位上・外従六位下

(務人壹・務廣壹・務大貳・務廣貳・務大參・務廣参・務大肆・務廣肆)
  ↓
外正七位上・外正七位下・外従七位上・外従七位下

(追人壹・追廣壹・追大貳・追廣貳・追大參・追廣参・追大肆・追廣肆)
  ↓
外正八位上・外正八位下・外従八位上・外従八位下

(進人壹・進廣壹・進大貳・進廣貳・進大參・進廣参・進大肆・進廣肆)
  ↓
外大初位上・外大初位下・外少初位上・外少初位下

《勲位》
勲一等―正三位・勲二等―従三位・勲三等―正四位下・勲四等―従四位下・勲五等―正五位下・勲六等―従五位下・勲七等―正六位下・勲八等―従六位下・勲九等―正七位下・勲十等―従七位下・勲十一等―正八位下・勲十二等―従八位下
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この記事へのコメント
天武14年の冠位改定ですが、岩波書紀の注釈は「ただし明位の実例は存しない」としています。
そうかもしれませんが逆に「明位の授冠は当然あったが書紀では都合が悪いのでカットされた」とは考えられませんか。
大宝元年の近畿天皇家の制で明位は「親王」、諸王が「浄冠」ですから、天武14年(九州年号朱雀2年)で草壁皇子以下皆「浄冠」である近畿天皇家は「諸王」であり、「冠位を制定した王朝」の「親王」はいなかった。
即ちこの時点では未だ九州王朝が名目上の権力を握っていた、明位は九州王朝の親王に与えられたが書紀編集時点で削除されたと。「与えもしない冠位を造った」のか「冠位はちゃんと与えられたが書紀から削除された」、どちらが合理的な考えでしょうか。
ちなみに天武は八色の姓で「臣下」の最上位の「真人」を名乗っています。
2011/06/23(木) 19:10 | URL | ブログに期待する一市民 #-[ 編集]
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