2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(182)

「天武紀・持統紀」(97)


「大化改新」の真相(20)
「品部廃止の詔」をめぐって(7)


 「大化の改新」の一群の詔は本来どの時代のものだったのか、という問題は各詔の内容確認が終わってから取り上げることにする。

 何か参考になる論考はないかと、図書館へ行って「大化改新」を論じている本を何冊か調べてみたが、「品部廃止の詔」を取り上げている本はなかった。それなら自分で「品部廃止の詔」を詳しく解読してみようと思い立った。

 「品部廃止の詔」には大きく分けると三つの布告が含まれている。最初の序文のような文(〈大系〉は「礼の秩序をうたう」と書いている)を一つに数えると四段構成になっている。一段ずつ、解読をしてみよう。

第一段:序文
原(たずね)れば夫(そ)れ天地陰陽、四時(よつのとき)をして相亂れしめず。惟(おもひみ)れば此(これ)天地(あめつち)、萬物(よろづのもの)を生(な)す。萬物の内に、人是最も靈(くしひ)なり。最も靈なる間に、聖(ひじり)人主(きみ)たり。是を以て、聖主(ひじり)の天皇、天に則(のと)り御寓(あめのしたをしろしめ)して、人の所(ところ)獲(え)むことを思ほすこと、暫(しましく)も胸(こころ)に廢(す)てず。

 「天地陰陽」について〈大系〉の頭注は次のように書いている。

「天地陰陽は、古訓ではアメツチサムクアタタカニシテと訓むが、天地陰陽の意を、それが正しくとらえているか甚だ疑問であるから、ここでは訓を欠くことにした。」

 もっともな見解である。私はこれまで訓を忠実に転記してきたが、現代風に読んでも意味が変わらない熟語や漢字は現代風に読んでいる。わけの分からない古訓に付き合う必要はないと思う。「天地陰陽」は「てんちいんよう」と読みましょう。

 「靈」を「くしひ」と訓じているが、私には意味がさっぱり分からない。「冬の星座」という歌に「くすしき光よ」という歌詞があるが、たぶんこれと同じような意味だろう。念のため新修漢和大字典を引いてみた。こういう言葉があるんですね。ただし字典では「くしび」となっている。

【靈】
(イ)カミ。鬼【楚辭】―皇皇兮既降。
(ロ)タマ、タマシヒ。○萬有の精気【書経】惟人萬物之―。○人身の精気。【荘子】人於―府。まごころ、精誠。【楚辭】横大江兮揚―。○いのち、命數。【揚雄】竊國―
(ハ)ヨシ。善い。令に同じ。【詩經】―雨既零。
(ニ)サイハヒ。いつくしみ。【後漢書】寵―顯赫。
(ホ)くしびなもの、妙。【史紀】生而―。
(ヘ)天地人の三才。【班固】答三―之蕃祉

 そこで、次は広辞苑で「くしび」を引いてみた。

くしび【奇び・霊び】
霊妙でふしぎなこと。神秘的な力をもっていること。孝徳紀「万物の内に、人是最も―なり」

 なんと! 出典が「品部廃止の詔」になっている。ぐるっと回って元の位置、でした。ただ、思わぬ収穫があった。「序文」で表出されている思想の典拠を知りたいものと思っていたが、【書経】だった。「周書:泰誓上」の冒頭の記事で、次のようである。


惟れ十有三年、春,大いに孟津に會す。王曰く、嗟(ああ)、我が友邦の冢君(ちょうくん)越(およ)び我が事を御する庶士、明らかに誓いを聽け。惟れ天地は萬物の父母,惟れ人は萬物之靈。亶(まこと)に聰明なれば元后(げんこう)と作(な)り、元后は民の父母と作る。

 ちなみに、現代語訳では「冢君=大王」・「我が事を御する庶士=公務に携わる諸君」・「元后=元首」と訳している。

 次のは中国の「国―県」制度のことを勉強しようと「岩波講座・世界歴史4」を拾い読みしていて偶然に目にとまったもの。「皇帝と天子」の意味の変遷をたどった西嶋定生論文「皇帝支配の成立」の中にあった。

董仲舒著「春秋繁露」三代改製質文篇
天地・陰陽・四時・日月・星辰・山川・人倫に通じ、、天地に(ひと)しき者を皇帝と稱す。天、佑けて之を子す。號して天子と稱す。

「天、佑けて之を子す。號して天子と稱す」。これを「天子」思想と呼んでいるようだ。天命を受けて万民を養い育てるが天子であるという。「聖主(ひじり)の天皇、天に則(のと)り御寓(あめのしたをしろしめ)して、人の所(ところ)獲(え)むことを思ほすこと、暫(しましく)も胸(こころ)に廢(す)てず。」というくだりは、まさにこの「天子」思想に則ったものだ。

 ここで突如頭に浮かんだことがある。「あめのしたをしろしめす」と読まれる言葉は三種類あった。

 「治天下」…これは文字通り、「天下を治める」で分かりやすい。
「御宇」…「宇」は宇宙の宇。漢和大字典によると「宇」には「広く人物を蔽うもの」という意味があるので違和感はない。字典には【御】の項にチャンと「御宇」が取り上げられている。  この二つに対して「御寓」の「寓」の意味は

(イ)ヨス。たのむ。かこつける。寄託する。
(ロ)カリズマイ。カリヤ。「客―」

だけである。もちろん【御】の項に「御寓」などはない。なぜこれが「あめのしたをしろしめす」なのか、いぶかしく思っていた。これに関連して、次のようなことが頭に浮かんだのだった。

 「御寓」は「天から託されて統治する」という意で、「天子」思想の意味を含んでいる文言ではないだろうか。天子を名乗っていた九州王朝の大王にふさわしい。『「品部廃止の詔」をめぐって(3)』で『「御寓」という言葉も九州王朝特有の用語ではないか』と書いたが、ますますそのように思えてきた。

 次に「聖主の天皇」。これも『日本書紀』ではここだけで使われている言葉である。〈大系〉の頭注は次のような指摘をしている。

『天皇を聖とする類例は「大八洲所知天皇命」(続紀天平15年5月条、宣命)、「橿原乃日知之御世従」(万葉29)。』

 「大化改新」一連の詔には宣命体風の文言がいくつもある。これもその一つである。これも時代を繰り上げるべき詔であることが分かる。

 ちなみに、上の『続日本紀』の例では頭に「飛鳥浄見御原宮」が付く。つまり具体的には天武天皇を指している。
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