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《真説古代史・近畿王朝草創期編》(168)

「天武紀・持統紀」(83)


「大化改新」の真相(6)
「東国国司発遣の詔」をめぐって(1)




 『「大化改新」の真相(1)』で、私は次のような疑問を書き留めた。

 九州王朝の権力がヤマト王権に収奪されていくこの時期に、九州王朝はどうして数々の改革を必要としたのだろうか。まだ権力を掌握し続けることができると考え、改革の断行をもって起死回生のチャンスにしようとしたのだろうか。
 701(大宝元)年に大宝律令を制定して名実ともにヤマト王権が近畿王朝となる過程として、改革を必要としたのは、むしろ、権力掌握をしつつあったヤマト王権の方ではないのだろうか。

 やっとこの問題に取りかかる時が来た。大化の諸詔勅を発布したのは九州王朝だろうか。それともヤマト王権だろうか。

 それぞれの立場に立って読んでみた。ざっと読んだだけではどちらの解釈も可能に思える。しかし、少し詳しく読んでみると気になる文言がいくつか出てくる。それを検討すると、上の問題の答は「ヤマト王権」となるようだ。

 「井の中」の「大化改新」否定論者は「改新の詔」の発布者に天智や天武を比定している。これを私は、詔勅を出せるのは天子(近畿王朝の場合は天皇)だけであり、天智にも天武にもその資格はない、と批判した。

 諸詔勅をあるべき位置に置くと、ヤマト王権では持統の時代である。では持統には資格があるのか。ある。『「日本書紀」はなぜ「持統紀」で終わるのか。』で検討したように、ヤマト王権では始めて大嘗祭を執り行ったのは持統である。691(持統5)年11月1日のことであった。つまりそのときから持統は文字通り「天皇」と呼ぶことのできる資格を得た。従って、695(大化元 持統9)年と696(大化2 持統10)年の詔が持統のものという可能性が大きい。

 持統が大嘗祭を執り行うことができたのはヤマト王権の圧力に屈した九州王朝の妥協があったからだろう。これは権力移譲の合意を示していると考えられる。ろちろん、九州王朝内にはこれに反対する勢力があり、後々まで抵抗したことはすでに『「白村江の戦」の戦後処理(3)』で触れた。

 この時(691年)から大宝律令制定(701年)までは10年間は権力移譲のための準備期間だった。このような観点から、諸詔勅内の気になる文言の検討をしてみよう。まず「東国国司の発遣の詔」の冒頭部分を、今度は読下し文で読んでみる。(煩雑になるので、年代はすべて50年戻したものだけを表示する。)

695(大化元 持統9)年8月5日
東國等(あづまのくにぐに)の國司(くにのみこともち)を拝(め)す。仍りて國司等(たち)に詔して曰はく、「天神(あなつかみ)の奉(う)け寄(よさ)せたまひし随(まま)に、方(まさ)に今始めて萬國(くにぐに)を修めむとす。…」

 「国司を拝す」と言うのだから、国司はすでに東国などに派遣されていたことになる。690(持統4)年7月条に次のような記事がある。

(1日)
 公卿(まへつきみ)・百寮(つかさつかさ)の人等(ひとども)、始めて新しき朝服(みかどころも)着る。
(3日)
 幣(みてぐら)を天(あまつかみ)地祇(くにつかみ)に班(あかちまだ)したまふ。
(5日)
 皇子高市(みこたけち)を以て、太政大臣(おほまつりごとのおほまへつきみ)とす。正廣參(しやうくわうさむ)を以て、丹比嶋眞人(たぢひのしまのまひと)に授けて、右大臣(みぎのおほきまへつきみ)とす。幷(あはせ)て八省(やつのすぶるつかさ)・百寮、皆(みな)遷任(ま)けたまふ。
(6日)
 大宰(おほみこともち)・國司(くにのみこともち)、皆(みな)遷任(ま)けたまふ。
(7日)  詔すらく、「公卿百寮をして、凡そ位有る者、今より以後(のち)、家の内にして朝服を着て、未だ門(みかど)開けざらむ以前(さき)に參上(まうこ)しめよ」とのたまふ。蓋(けだ)し昔者(いにしへ)は宮門(みかど)に到(まう)でて朝服を着しか。 (9日)
 詔して曰はく、「凡そ朝堂(みかど)の座(くらゐ)の上にして、親王(みこ)を見むときには常の如くせよ。大臣(まへつきみ)と王(おほきみ)とには、起(た)ちて堂(まつりごとどの)の前に立て。二(ふたしな)の王(おほきみ)より以上(かみつかた)には、座より下りて跪け」とのたまふ。
(14日)
 詔して曰はく、「朝堂の座の上にして、大臣を見むときには、坐を動きで跪け」とのたまふ。
 是の日に、絁(ふとぎぬ)・絲・綿・布(ねの)を以て、七寺(ななつのてら)の安居(あんご)の沙門(ほふし)、三千三百六十三に奉施(おくりまだ)したまふ。別(こと)に皇太子(ひつぎのみこ)の爲に、三寺の安居の沙門、三百二十九に奉施したまふ。
(18日)
 使者(つかひ)を遣(つかは)して、廣瀬大忌と龍田風とを祭らしむ。


 持統はこの年の1月1日に即位している。その7ヶ月後に人事や政治上のしきたりを一新した。まったく新しい政権が発足するかのようなあわただしい動きが見られる。権力移譲の合意はこの年の1月~7月の間に行われたのではないだろうか。

 このあと、10月29日には高市皇子が藤原宮地を視察している。藤原京の造営が始まる。そして、4年後の694(持統8)年12月6日に持統は藤原宮に遷宮する。その翌年に「東国国司の発遣の詔」発せられたことになる。

 ところで、690(持統4)年7月6日には大宰・国司が「遷任」されとなっているが、このときの人選は九州王朝が選任していた大宰・国司がそのまま再登用されたようだ。695(大化2 持統10)年には「朝集使の報告」をもとに「東国国司賞罰」詔が出されているが、そこに出てくる国司の名前を見てそう判断した。この詔はすごーく長い。〈大系〉の補注が概略をまとめており、その国司名が表になっているので、それを見てみよう。(〈大系〉の表には欠けてる名があるので補充した。)

(A)は「東国国司発遣の詔」
 大化2年の「東国国司賞罰の詔」は二つで一組になっている。
(B)3月2日の詔
(C)3月19日の詔

 〈大系〉の補注はこの三つの詔を一括して、「東国国司への詔」と呼んでいる。

 (A)は、東国の八道にそれぞれ国司を任命し、その任務を説き、任地における権限を規定したもの。
 (B)は、その後、半年の後に任務を果して帰京した国司に対する論功行賞で、八道中、六長官はよく任務を遂行したが、他の二人は権限を守らなかったことを宣したもの。

 これに対し、国司の一行及び、上京した国造らが不服を申したてたが、
(C)は朝廷がこれをとりあげて、六長官中にも、なお二人は権限に背いたことを明らかにするとともに、在地人数名を含む行賞を行なったもの。ただし、罪をうけた国司らも、すべて大赦によって許されている。

 八道の国司は詔(A)によって、長官・次官及び判官からなり、それぞれ従者をもつ。また、任命された国司の名は詔(C)によって次の如くであることがわかる。

(「長官/次官/その他」の順)
Ⅰ 穂積臣咋/富制臣・巨勢臣紫檀/
Ⅱ 巨勢臣徳禰/朴井連・押坂連/臺直須弥
Ⅲ 紀臣麻利耆挓/三輪君大口・河辺臣百依/河辺臣磯泊・丹比深目・百舌鳥長兄・葛城福草・難波癬亀・犬養五十君・伊岐史麻呂・丹比大眼
Ⅳ 阿曇連/勝部臣百依/河辺臣磐管・同湯麻呂
Ⅴ 大市連/中臣徳・涯田臣/
Ⅵ 小緑臣/忌部木葉・中臣連正月/
Ⅶ 丹波臣/羽田臣・田口臣/
Ⅷ 平群臣//

 31名の名が出てくるが、富制臣など名無しのごんべえが10名いて、それにはすべて〈名を闕(もら)せり〉という分注が付いている。〈名を闕せり〉は全部で40例あるそうだが、なんとその四分の一がここに集中している。私(たち)の知見では〈名を闕せり〉と言い訳されている人物は九州王朝関係の者である。

 また、名がある者のうち巨勢臣紫檀・犬養五十君を除いた19名はここ以外には出てこない。〈大系〉は「他に見えず」というような頭注を付けている。私はこれも九州王朝関係の人物ではないかと考えている。

 ところで巨勢臣紫檀と犬養五十君に問題がある。〈岩波〉の頭注によると、巨勢臣紫檀は「辛檀努」という表記で「天武紀」に登場(死亡記事)し、『続日本紀』に「志丹」という表記で出てくる。養老元年正月18日の巨勢朝臣麻呂の死亡記事で、麻呂は「飛鳥朝京職直大参志丹之子也」と記録されている。また、犬養五十君は壬申の乱の近江方の将として「天武紀」に登場するが戦闘中に斬られている。つまりこの二人は、696(大化2 持統10)年を「東国国司賞罰の詔」が出された年とすると、このときには死んでいるのだ。このことが「井の中」の「大化改新」否定説論者も「東国国司への詔」を後代(天武時代)に繰り上げない理由になっている。

 このことをどう解釈したらよいのだろうか。私の「大化改新50年繰り下げ」説が正しいのなら、大化改新を50年後に繰り下げた作為を隠蔽し、それを信憑化するための『日本書紀』編纂者による作為的挿入であるとしか考えられない。穿ちすぎだろうか。もしこの考えが不当なら、私の「大化改新50年繰り下げ」説がダメだということになる。これからどのような展開になるか予測ができないが、その全体像の中でこの解釈の正否が決まるだろう。ともかく先に進んでみよう。
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