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《真説古代史・近畿王朝草創期編》(164)

「天武紀・持統紀」(79)


「大化改新」の真相(2)
「大化の詔」をめぐる真偽論争


 「大化の詔」の「その第二」では主文で「郡司」の設置を述べ、(2のC)で「郡」制度を定めている。これがあるため、「郡評論争」に決着がついてから、にわかに「大化の詔」の真偽論争が活発になった。しかし、未だに決着はついていない。(1)から引用する。

 『書紀』が翌646(大化2)年正月条にかかげる「大化改新の詔」の評価については、
①基本的には当時のもののままであるとする説、
②主文は原詔にもとづくが、副文(「凡」ではじまる令文的記載)には令文による何らかの変改が加えられているとみる説、
③詔は全体として当時のものでなく、書紀編者による述作とみる説(大化改新虚構論)
に一応大別することができよう。しかし筆者は第二説をとるものである。

 なぜなら第一説に関していえば、詔の第二・四条にみえる郡、郡大少領等の名称が大宝令後の用字であって、それ以前は評系統であったことは藤原宮木簡によっで立証されたところであり、第三条の町段歩の田積法が、浄御原令、または大宝令以後でそれ以前はシロ制であったことも明らかにされているからである。

 また第三説については、論の構成上、後述の天智甲子年の改革の理解が問題となるが、それとは別にまた、この詔のえがく青写真が、その前後の、当時のものとみなすべき諸詔と内容上の連関をもつことも、個々に指摘するごとく明らかである。したがって、詔の内容はこの時期のものとして唐突ではなく、原詔の存在を否定しがたいのである。

 もっとも②説をとる場合にも、さらに種々の考え方があるが、筆者は
(a)主文は原詔にもとづいて編者が構文したもの、副文のうち、
(b)大宝令文と内容上一致するものはその転 載、
(c)内容上異質のものは原詔の規定を他の副文と同じく令文的な形態にととのえたもの、とみなすものである。

 ③説に対する批判部分が分かりにくいが、③説は後に取り上げる予定である。いまは論争のおおよその様子が分かればよいとしよう。

 井上氏は「郡評論争」の当事者でかつ勝者であるから、当然①に組するわけにはいかない。いまだに①を主張する学者もいるらしいが、これらの学者は「郡」を「評」に書き換えれば後はそのまま信じられるとしているようだ。実に頑迷な人たちだ。参考資料(2)の著者・山脇氏は③を主張している。

 谷口氏が(3)の「はじめに」で高校の教科書(山川出版社「詳説日本史」)を引用している。

 七世紀半ばに唐(とう)が高句麗(こうくり)に侵攻をはじめると、緊張のなかで周辺諸国は中央集権の確立と国内統一の必要にせまられた。倭では、蘇我入鹿が厩戸王(うまやとおう)(聖徳太子)の子の山背大兄王を滅ぼして権力集中をはかったが、中大兄皇子は蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)や中臣鎌足の協力を得て、王族中心の中央集権をめざし、645(大化元)年に蘇我蝦夷(そがのえみし)・入鹿を滅ぼした(乙巳(いっし)の変(へん))。そして王族の軽皇子(かるのみこ)が即位して孝徳(こうとく)天皇となり、中大兄皇子を皇太子とする(中略)新政権が成立し、政治改革を進めた。

 646(大化2)年正月には、「改新の詔」(みことのり)で豪族の田荘(たどころ)・部曲(かきべ)を廃止して、公地公民制への移行をめざす政策が示された。全国的な人民・田地の調査、統一的税制の施行がめざされるなか、地方行政組織の「(こおり)」が各地に設置され、中央の官制も整備されて大規模な難波宮(なにわのみや)が営まれた。王権や中大兄皇子の権力が急速に拡大するなかで、中央集権化が進められた。こうした孝徳天皇時代の諸改革は、大化改新(たいかのかいしん)といわれる。

 ①の立場での記事である。「評」と括弧の中に入れて特別な意味を付与している。そして頭注で②説があることを告げている。

(頭注)
「『日本書紀』が伝える詔の文章には後の大宝令(たいほうりょう)などによる潤色があり、この段階でどのような具体的改革がめざされたかについては意見が分かれる。」

 ③説は教科書も無視をしている。それはそうだろう。③説を取り上げたとたんに教科書は崩壊してしまう。

 谷口氏が作成したNHKスペシャル「大化改新 隠された真相~飛鳥発掘調査報告~」にはたいへんな反響があったようだ。たぶん蘇我氏の扱い(一方的な悪者扱いから脱している)が教科書とは異なっていたからだろう。「乙巳の変」の新解釈に重点があって、この番組では「改新の詔」の真偽論争は取り上げていないと思われる。谷口氏は次のように書いている。

 『日本書紀』の蘇我氏、とりわけ蝦夷・入鹿に対する記述は、あまりに一面的で偏ったものではないか。むしろ、蘇我氏こそ大陸情勢に最も精通した開明的豪族だったのではないか。飛鳥での発掘成果は、天皇家との対立ではなく、共存を目指していたことを物語っているのではないか。「大化改新」は、蘇我氏を貶めるための物語にすぎず、その内実は、反動的クーデターだったのではないか……

(中略)

 放送番組は、いわゆる通説とは正反対の内容だったために、視聴者から多大な反響をいただいた。「古代史の見方がまったく変わって面白かった」「歴史は勝者によって書かれるものだと改めて者えさせられた」など、全体的に肯定的な意見が多かったが、中には「教科書の記述とは違う異説をことさらにとりあげていいのか」という批判的意見もいただいた。「大化改新」は今も人々の興味を駆り立ててやまないテーマなのだと実感しつつも、それ以上に、この反響の大きさ自体が、古代史の新しい見方・考え方に対する人々の飢渇の表明のようにも思えた。
 「「教科書の記述とは違う異説をことさらにとりあげていいのか」という類の批判にはあきれる。情けないことに、このような権威・権力への阿諛追従(むしろ屈従と言うべきか)むき出しの思考停止精神が絶えることがない。こういう精神がこの国の民主主義を未熟にしている。

 ちょっと余分なことを書いてしまった。戻ろう。
 本書は、テレビ番組では、構成上そして映像メディアの特性上、割愛せざるをえなかった内容を盛り込み、かつ、番組放映後にいただいたさまざまな意見をできるだけ念頭に置きながら、新たに書き下ろしたものである。番組に興味をそそられた方にはいっそうの興味を抱いていただきたいし、批判的だった方には、活字でこそできる論証を重ねたつもりなので、少しでも理解を深めてもらいたいと願っている。

 異説を異説として面白がるために、本書を書いたのではない。口はばったいことをいうようだが、読者がこの書を通じて、歴史とは固定した過去の事実ではなく、「今」を生きる私たちによって不断に改められていくものだということを感じとっていただければと願っている。手あかにまみれた史料にも、これまで知らなかった意外な事実を読み取ることができる。それは、史料と向き合う私たちの姿勢次第だと思う。この心構えさえ失わなければ、歴史はいつでも新しく再生することを待っているとさえいえるだろう。それだけではなく、「歴史の真実はどこにあるのか」という根源的な問いにまで、私たちを連れていってくれるかもしれない。

 正論を述べている。しかし、学会という井の中の言説だけに縛られた姿勢では、『「歴史の真実はどこにあるのか」という根源的な問い』には永久に達しない。
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