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《真説古代史・近畿王朝草創期編》(163)

「天武紀・持統紀」(78)


「大化改新」の真相(1)
「改新の詔」


 「大化改新」については、かって『偽装「大化の改新」』という表題で取り上げている。

偽装「大化の改新」(1)
偽装「大化の改新」(2)
偽装「大化の改新」(3)
偽装「大化の改新」(4)

 このときは、『日本書紀』編纂者はなぜ50年も遡って年号「大化」と「大化改新」の事績を盗用する必要があったのか、という問題をテーマとして取り上げた。今回は年号「大化」と「大化改新」を本来の位置に戻して「大化改新」の中身を検討したい。「孝徳紀」の「大化改新」関連記事を本来あるべき位置に戻してみる。

大化1年―695(持統9)年
「東国国司の発遣」
「鐘匱の設置」
「男女の法」
大化2年―696(持統10)年
「改新の詔」
「鐘匱の反応」
「朝集使の報告」
「皇太子の奏上」
「薄葬令」
「旧俗の廃止」
「品部の廃止」
大化3年―697(文武1)年
大化4年―698(文武2)年
大化5年―699(文武3)年
(「大化」は704年まで9年間続く。)

 以上のような改革が断行されている。

 上の年表を見て、私は次のような疑問を持った。
 九州王朝の権力がヤマト王権に収奪されていくこの時期に、九州王朝はどうして数々の改革を必要としたのだろうか。まだ権力を掌握し続けることができると考え、改革の断行をもって起死回生のチャンスにしようとしたのだろうか。

 701(大宝元)年に大宝律令を制定して名実ともにヤマト王権が近畿王朝となる過程として、改革を必要としたのは、むしろ、権力掌握をしつつあったヤマト王権の方ではないのだろうか。

 この問題を検討するためには、まず「大化改新」とは何たっだのかを知る必要がある。白状すると、私は「大化改新」をまともに読んだことがない。そこから始めようと思う。ただし、上の表で分かるように「大化改新」は多岐にわたっている。とりあえずは国制に関する事項だけにしぼってすすめることにする。

 まず、ヤマト一元主義者たちの「大化改新」研究の様相を見てみよう。資料としては、いままで何度か利用してきた
(1)
井上光貞氏の論文「大化の改新と東アジア」(岩波講座・日本歴史2」所収)
が私の手元にある。これは1975年頃の著述でかなり古い。できるだけ新しいものも読んでみたいと思い、図書館から次の2册を借りて来た。これらを参考書として利用する。

(2)
門脇禎二著『「大化改新」史論・下巻』
(3)
谷口雅一著『「大化改新」・隠された真相』

 (3)の著者・谷口氏はNHKのディレクターで主に歴史番組を担当している。上の著者名と同じ題名の番組を制作した(2007年2月2日放送)。その制作に当たって集めた資料をもとに著わしたのが(3)である。巻末に参考資料としてかなりの数の著書があげられているが、もちろん古田さんの著書は見事に除外している。制作に当たってはいろいろな学者たちに直接相談し、助言・意見を伺っているという。中でも(2)の著者・門脇氏(2007年に逝去されている)が最も重要な助言者だったようだ。そういうわけで、(3)にはヤマト一元主義者たちの研究現況がよくまとめられている。そういう意味で大変参考になる好著である。

 既に検討したように、近江令・飛鳥浄御原令・庚午年籍などの言葉は『日本書紀』にはなく、これらは後世に作られたものであった。これらの事項には名前だけで実態ない。その実態がないものをめぐって、ヤマト一元主義の学者たちは、微に入り細に入り、無駄な論争を繰り広げ、厖大な論文を積み上げてきている。まるで、井の中の蛙が井の中で一生懸命に空中楼閣を築いている様である。とはいえ、彼らはさまざまな文献に通じていて、その文献渉猟は私(たち)にも参考になる。

 大化改新の場合も同様の様相を呈している。『日本書紀』には「大化改新」という言葉はない。「大化改新」という言葉が使われはじめたののは1887(明治20)年頃からである。(3)から引用する。

 あえて「大化改新」という造語まで使用して、その意義を強調した論者が、杉浦重剛(じゅうごう)ほか三名による共著『日本通鑑』(明治20年出版)であった。ここでは「大化改新」を改新の詔から始まり、大化五年八月の八省百官の設置までと規定している。そして、この大化年間の一連の諸改革によって、豪族専権の積弊が一掃され、中央集権の制度が整えられ、皇室が永遠に栄える策が打ち立てられたと積極的に評価している。まさに今に通じる大政治改革=「大化改新」の構図は、ここに始まったといえよう。その後、雨後の竹の子のように、「大化改新」論が発表される。

 つまり明治維新に重ねて、天皇制国家の支配強化ための道具として、「大化改新」を積極的に取り上げたのだった。もちろん大日本帝国の敗戦後は、「大化改新」も解放されて、それまでの議論は批判的に継承された。しかし残念ながら学者たち自身がヤマト一元主義から解放されていなかった。

 さて、まず大化改新の中心史料である「改新の詔」を読んでみよう。内容は多岐にわたる。各項目は主文と「令」的な副文からなる。各項目毎に段落を付け、副文には小見出しを付けた。また「改新の詔」をはじめ、関係記事はそれぞれ長文なので読下し文はわずらわしい。宇治谷孟氏の現代語訳を下敷きに用い、必要があれば原文を参照することにする。

改新の詔

 2年春1月1日、賀正の礼が終って、改新の詔を発せられた。

「その第一。
 昔の天皇たちの立てられた子代(こしろ)の民・各地の屯倉(みやけ)と臣・連・伴造・国造・村の首長の支配する部民・豪族の経営する各所の土地を廃止する。そして食封(へひと 給与される戸口)を大夫(まえつきみ)(四位・五位)より以上にそれぞれに応じて賜わる。以下は布帛(きね)を官人(つかさびと)・百姓(おおみたから)にそれぞれに賜わることとする。そもそも大夫は人民を直接治めるものである。よくその政治に力を尽せば人民は信頼する。故に大夫の封禄(ぼうろく)を重くすることは、人民のためにすることなのである。

その第二。
 京師(みやこ 都城)を創設し、畿内の国司・郡司・関塞(せきそこ 重要な所の守塁)・斥候(うかみ)・防人(さきもり)・駅馬(はいま)・伝馬(つたわりうま)を置き、鈴契(すずしるし)(駅馬・伝馬を利用する際に使用)を造り地方の土地の区画を定める。
(2のA)
 京では坊(まち)ごとに長(おさ)一人を置き、四つの坊に令(うながし)一人を置き、戸口(へひと)を管理し、正しくないことをする者を監督せよ。その坊令(まちのうながし)には、坊の中で行ないが正しく、しっかりして時務に堪える者をあてよ。里坊(さとまち)の長(おさ)には、里坊の人民で清く正しくつよい者をあてよ。もしその里坊に適当な人がなければ、近くの里坊から選んでも差支(さしつか)えない。
(2のB)
 およそ畿内とは、東は名墾(なばり)の横河(よこかわ)よりこちら、南は紀伊の背山(せのやま)よりこちら、西は明石の櫛淵(くしふち)よりこちら、北は近江の楽浪(さざなみ)の逢坂山(おうさかやま)よりこちらを指す。
(2のC)
 郡(こおり)は四十里あるものを大郡とし、三十里以下四里以上を中郡、三里を小郡とする。郡司(こおりつかさ)には国造の中で、性質が清廉で時務に堪える者をえらんで、大領(おおみやっこ)・少領(すけのみやっこ)とし、聡明でつよく、書算に巧(たく)みな者を主 政(まつりごとひと)・主帳(ふびと)とせよ。
(2のD)
 駅馬・伝馬を支給されるのは、駅鈴・伝符に記された規定の数に従う。
(2のE)
 諸国と関には鈴契(すすしるし)を支給される。これは長官(かみ)が管理するが、長官が無ければ次官(すけ)が行なう。

その第三。
 初めて戸籍・計帳・班田収授の法をつくる。
(3のA)
 五十戸を里とし、里ごとに里長を一人置く。戸口(へひと)を管理し農桑(のうそう)を割当て、法に違反する者を取り締まり、賦役(ふえき)を督励することをつかさどれ。もし山や谷が険しく、人稀(まれ)なところでは、ついでの良い所に設けよ。
(3のB)
 田は長さ三十歩、広さ十二歩を段とする。十段を町とする。段ごとに租稲(たちからのいね)二束二把、一町につき租稲二十二束とする。

その第四。
 従来の賦役(えつき)はやめて田の調を行なう。
(4のA)
 絹・絁(ふとぎぬ 目の荒い絹)・糸・綿は土地の事情によっていずれかを選べ。田は一町に絹一丈、四町に一匹、一匹の長さは四丈、広さ二尺半、絁は二丈、二町で一匹。長さ広さは絹と同じ。布は四丈、長さ広さは絹・絁と同じ。一町で一端、別に戸ごとの調をとる。一戸に粗布(あらぬの)一丈二尺、
(4のB)
 調の副物(そわりつもの)の塩・贄(にえ)(土産品)は土地の事情によりいずれかを選べ。
(4のC)
 官馬(つかさうま)は中級のものであれば、百戸につき一匹、良馬(よきうま)なら二百戸に一匹、その馬の代りに布なら一戸に一丈二尺、
(4のD)
 武器は各自、刀・甲(よろい)・弓・矢・幡(はた)・鼓(つづみ)を出せ。
(4のE)
 仕丁(つかえのよぼろ)はもとの三十戸ごとに一人であったのを改めて、五十戸ごとに一人をとり、各官司に割当てる。五十戸で仕丁一人の食糧を負え一戸に庸布(ちからしろぬの)一丈二尺、庸米五斗を出させる。
(4のF)
 釆女(うねめ)は郡の少領(すけのみやっこ)以上の者の姉妹や子女で、容貌端正の者を奉れ。従丁一人、従女二人を従わせる。百戸で采女一人の食糧を負担せよ。そのための庸布・庸米は皆仕丁に准ずる」と。


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