2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(159)

「天武紀・持統紀」(74)


筑紫君薩夜麻とは誰か(15)
(をち)を恋うる嬬(つま)の歌(8)
唐水軍の出立地(4)


 「送従弟蕃游淮南」の次の部分が「白村江の戦」を題材にしているということを確認した所で横道に入ったのだった。本道に戻ろう。

(1) むしろの帆もていささか罪を問い
卉(くず)の服きたるは盡く擒となる
帰り来たりて天子にまみえ
爵を拝して黄金を賜う


 ところで、上の部分はその直前の2行と密接に関連している。

(2)
島夷は九州の外
泉館は三山に深し


 この二つの部分にそれぞれに無関係の解釈をすることは文脈からみて不当であろう。古田さんの講演では(2)「島夷」と「九州」の検討から始まり、その結果から(1)の解明にと話が進んでいる。私は(1)の方の古田説にはすんなりと納得できた。(1)が「白村江の戦」以外の戦闘を題材にしているということが論理的に示されない限り、私にとってはこの詩の解釈は終わっている。もちろん「渤海・靺鞨国と紛争」説は破綻しているので、それを蒸し返すことは不当である。

 つまり私は、(1)が「白村江の戦」を題材にしているという解読が正しいのなら、(2)の解釈としては、王維は「島夷」を「倭人(国)」という意味で用いているし、「九州」で「唐」を表わしていると考えて、何の不都合もないと思った。しかし、この考えは古田さんが述べていることと食い違うし、どうもすっきりしない。そこで「禹貢」を読み始めたのだった。

 さて、「島夷」について古田さんは次のように述べている。

 まず「島夷」と「卉服」。『書経』の「尚書」には「島夷皮服」「島夷卉服」という言葉が登場し、私は大阪の朝日カルチュアの講演など何回も使ってきていますが、この「島夷」はもちろん「卉服」に見覚えがあった。皮服というのは動物の皮で作った服。卉服の「卉」は特定の植物だという解釈もあるが ― 入谷さんの読みは「くず」になっていますね ― 「百草」或は一般的には草の類を編んで作った服。そういう服を着て、島に住んでいる東夷、東方の蕃族。「東夷」にもいろいろある、島に住んでいるのも、半島(朝鮮半島)に住んでいるのもある。ここは島に住んでいる東夷。「東夷南蛮……」というように南なら蛮といいますものね。注釈にはいろいろ書いてありますが、後人の解釈だから、原文に即して解釈する必要がある。その島夷は卉服を着ている。『尚書』に「島夷卉服」というのだから、中国人にだって卉服や皮服を着る人がいてもよいが、マア島夷独特のものだったのだろう。

(中略)

 「島夷」という言葉だけで、中国から見て海外にあたることは自明です。

 「禹貢」を読んだ結果、「夷皮服」は「夷皮服」の「原文改訂」であることを知った。また、「禹貢九州」に現れる全ての「夷」は「九州」内の辺境民を示すとしか考えられない。私には「島夷卉服」だけから、(2)の「島夷」を「倭人(国)」とする論理には納得できない。私にとっては「島夷」が「中国から見て海外にあたることは自明」ではない。

 ここで、中国の正史(『新唐書』まで)の中での「島夷」の使われた方の変化を、つまり「島夷」が「中国から見て海外にあたることが自明」と言えるような使われ方があるのかどうかを調べて見ることにした。ついでに「東夷」についても。

 しかし、手元には乏しい資料しかないので手を拱いていた。「窮すれば通ず」。ネットはすごい。「漢籍電子文獻資料庫」というサイトと出会った。そこで検索(本文)したら、次のようであった。(私には正確な読下しはできないので原文のまま転載する。間違った判断をしていたら、ご教示ください。また、手元に『春秋左氏伝』があるので、それを加える。)

【正史に現れる「島夷」】

『春秋左氏伝』:なし

『史記』:1件
夏本紀第二段
 …右秉白旄」,詩云「建旐設旄」,皆此牛也。島夷卉服,


 「夏本紀」だから『書経』からの引用で、「禹貢」と同じ場所を示している。「島夷皮服」の方は引かれていないことに注意したい。

『漢書』『後漢書』『三国志』:なし

『魏書』:12件
太祖紀第二
天興六年
 …是年,島夷桓玄廢其主司馬宗而自立,僭稱大楚。...
天賜元年
 是歳,島夷劉裕起兵誅桓玄。

高祖紀第七上
太和三年
 是年,島夷蕭道成廢其主劉準而僭立,自號曰齊。

高祖紀第七下
太和十八年
 是月,島夷蕭鸞殺其主蕭昭業,立昭業弟昭文。

世宗紀第八
景明元年
 是冬,島夷蕭衍起兵東下,伐其主蕭寶卷。

列傳第八十四
 陽鳥攸居,厥土惟塗泥,厥田惟下下,所謂「島夷卉服」者也。周禮,職方氏掌天下之地,
列傳第八十五
 海夷馮跋 島夷劉裕島夷桓玄...
 島夷劉裕 子義符 義隆段...
 島夷劉裕,字輿,晉陵丹徒人也。
列傳第八十六
 島夷蕭道成 島夷蕭衍島夷蕭道成,..
 ...島夷蕭衍,字叔達,亦晉陵武進楚也。

 詳しくは立ち入らないが、「島夷」の後に付されている人名を調べると、全て「禹貢九州」の「揚州」あたりの地を指していることが分かる。

『隋書』:1件
列傳第二十五/ 崔仲方 ...夏癸、殷辛尚不能立,獨此島夷而稽天討!伏度朝廷自有宏謨,但芻蕘所見,...

 「崔仲方」は北魏荊州の刺史で、後に隋朝の大臣になった人物のようだ。上の記事は南朝最後の王朝・陳との戦いを取り上げていると思われる。

『舊唐書』:1件
卷三十六 志第十六/ 天文下
 ...故其分野自豫章東達會稽,南逾嶺徼,為越分。島夷蠻貊之人,聲教之所不洎,皆係于狗國。...


 「自豫章東達會稽」で明らかなように、ここの「島夷」も揚州地方を指している。

『新唐書』:2件
志第二十一/ 天文一
 ...南河寖遠,自豫章迄會稽,南逾嶺徼,為越分。島夷蠻貊之人,聲教所不曁曁,皆係于狗國云。...

列傳第二十七
 ...南方謂北為「索虜」,北方指南為「島夷」。其史於本國詳,佗國略,往往訾美失傳,...


 1件目は『舊唐書』とほとんど同じである。

 2件目は、私には意味が明確にたどれないが、冒頭の部分は「南の方では北を索虜と呼び、北の方では南を指して島夷としている」といった意味だろう。

 以上、正史に現れる「島夷」は一貫して「禹貢九州」の揚州あたりを指している。

 以上から、私は王維の詩の中の「島夷」は王維独自の使用例と考えるほかなかった。

 ところで、「島夷」でネット検索をしていたら、『「唐詩一万首」の中の日本』という記事に出会った。「唐詩一万首」という本を用いて、詩の中で使われている「蓬莱、九州、扶桑、日本、島夷、卉服、陽谷」を拾い出すというすごいことをやっている。読んでみたら「古田史学の会」の方だった。

 それによると唐詩の中の「島夷」は王維の外に2例あるという。その2例については
「残り二つの東夷は東夷行という、施肩吾という人の詩であり、海辺や采珠という文字も見えるが、詩の雰囲気が私には日本の感じがしないでいる。」
と述べている。「島夷」ではなく「東夷」となっているが、漢字変換ミスでないとすると、唐詩の中の「島夷」は王維の例だけと言うことになる。
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