2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(155)

「天武紀・持統紀」(70)


筑紫君薩夜麻とは誰か(11)
(をち)を恋うる嬬(つま)の歌(4)
唐水軍の出立地(2)


 次は冒頭の4行を読んでみよう。

書を読み復た騎射し
剣を帯びて淮陰に游ぶ
淮陰の少年の輩は
千里遠く相尋ぬ


 意外にも、ここには韓信のことが暗示されている。史記列伝に淮陰候列伝(第32)がある。これは韓信の伝記である。「淮陰侯韓信は淮陰の人である。」と書き始められている。

 韓信は漢の天下統一に多大な功績があったが、韓信が謀反を企てていると密告するものがいて、高祖に捕らえられてしまう。そのときの経緯は次のようである。(筑摩の世界古典文学全集「史記列伝」の現代語訳を引用する。)


 漢の6年(前201年)、上書するものがいで、楚王韓信が謀反したと密告した。高祖は陳平(ちんぺい)の計略を用い、天子の巡遊視察に名を借りで諸侯を呼び集めることとした。南方には雲夢(うんぼう)の沼沢地があるが、諸侯のもとに使者をやって「陳(ちん)に集まれ。わしは雲夢の旅行に出るつもりだ」と告げさせたが、実際は韓信の不意をつくつもりだった。韓信は気がつかなかった。高祖がまもなく楚に着くころになっで、韓信は兵をあげでそむこうかと考え始めたが、自分に何も罪はないのであるから、お上(高祖)におめどおりすることにしたものの、逮捕される恐れがあった。

 韓信に進言するものがあって、「鐘離昧(しようりまつ 韓信のところに身を寄せていた項羽の将軍)の首を斬って、お上におめどおりなさいませ。お上はきっとお喜びになり、心配はないでしょう」といった。韓信は鍾離昧にあって相談した。鍾離昧は「漢が楚を攻撃して領地をとりあげないのは、わしがあなたのところにいるからですぞ。もしわしをつかまえてそれで漢に媚びようとするなら、わしは今日にも死にましよう。だがあなたもすぐつづいで滅ぼされますぞ」と言い、それから韓信をののしった、「あなたは篤実なおひとではない。」そのあげく首をはねで自殺した。

 韓信はその首をもって陳で高祖に拝謁した。お上(高祖)は韓信をしばり、後方の草におしこめろと護衛兵に命じた。

韓信
「やはり人の言ったとおりだった。『すばしこい兎が殺されたあと、良い猟犬は煮殺される。空飛ぶ鳥がとりつくされると、りっぱな弓はしまわれる。敵国が破滅したあと、謀臣は殺される。』天下がすでに平定された今、わしが煮殺されるのも当然だ。」
お上
「きみが謀反したと密告するものがいたのだ。」

 かくてかせをはめられて、韓信は雒陽(らくよう)までつれて来られた。〔高祖 は〕韓信の罪をゆるして淮陰(わいいん)侯とした。

 この中に出てくる印象的な地名「雲夢(うんぼう)」は、「日は雲夢の林に落つ」と、王維の詩にも使われている。これもこの詩が韓信を暗示していることを示す語句である。

 雲夢はいまは湖北省孝感市雲夢県と呼ばれている。雲夢―淮南―淮陰を結ぶとほぼ直線で、淮南が中間点にあたっている。

 さて、この時の逮捕は「警告」と言う意味合いだったようで、韓信は殺されなかった。ところが後に、韓信は今度は本当に謀反を企て、高祖の皇后・呂后(りょこう)に殺されてしまう。

 漢の10年(前197年)、陳豨(ちんき 鉅鹿(きょろく)の太守で韓信と謀反の相談をしていた)ははたして反乱を起した。お上は自分で兵をひきいて出陣した。韓信は病気で従軍せず、内密に陳豨のもとに人をやり、「かまわず兵をあげなさい。わたしは今からきみを助けますぞ」といわせた。

 韓信はそこで、家臣といっしょに夜中に勅命だといつわって諸官庁の囚人労務者を釈放し、かれらをつれて呂后と皇太子(のちの恵帝)を襲撃しょうと、計画した。配置もすでにきまり、陳豨からの情報を待った。

〔そのとき〕韓信の家令で、韓信に対して過失があったものがいて、韓信は捕えて、かれを殺そうとした。家令の弟は大事件ですと上奏し、韓信の謀反の計画をありのまま呂后に密告した。呂后は〔かれ一人を〕召し出そうかと思ったが、もしかするとうまくいかないのを気づかって、首相の蕭何(しようか)と相談したすえ、人に命じてお上の所から来た使者だと称し、陳豨はすでに殺された、と報告させた。諸侯や臣下たちは、みな祝賀を述べた。首相は韓信をあざむいていった、
「病気ではあろうが、何とか無理にも参内して祝賀を申されたい。」
 韓信が参内すると、呂后は護衛兵に韓信をしばらせ、長楽宮の鍾室(しょうしつ)でかれの首を斬った。韓信は斬られるときに、
「わしは蒯通(かいつう)の策に従わず、女子どもにだまされたのが残念じゃ。天命であろうか」
といった。かくて韓信の三族は全員処刑された。


 冒頭の4行には明らかに、ここまで読んだものが「韓信を思いだす」仕掛けが仕組まれている。これが最終4行につながる。

 その4行は「新豊で酒盛をして青門へ帰ってきたら、夕日の空に舞う淋しい鳥がいた」と詠っている。「空しく天の際(はて)の禽をのこす」の「禽」とは、大功がありながら一族もろとも滅んでしまった韓信を指している。

 ところが、その「禽」が指し示す人物がもう一人暗示的に歌い込まれている。
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