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《真説古代史・近畿王朝草創期編》(147)

「天武紀・持統紀」(62)


筑紫君薩夜麻とは誰か(3)
みどりこの母の歌(2)
挽歌の主人公は女性か?


 まず、人麿は「大王」・「王」・「皇」という称号を厳密に使い分けていた。「吾王」は「わごおおきみ」ではなく、「わごきみ」と訓読すべきだ。以後は「定説」の「わごおおきみ」を「わごきみ」と訂正して進めることにする。

何しかも わご王(きみ)の 立たせば 玉藻のもころ 臥(こや)せば 川藻の如し 靡かひし 宜(よろ)しき君が 朝宮を 忘れ給ふや

 この部分を私なりに解釈すると次のようになる。

「それなのにどうしたことでしょう。我が君はお立ちになれば玉藻のように、臥せられれば川藻のように揺れておられた。その様子がとても愛らしかった貴方の朝宮をお忘れになったのでしょうか。」

 ところが、この部分を〈大系〉は次のように解釈している。

「それなのに何故、わが皇女は、お立ちになれば玉藻のように、お臥しになれば川藻のように互になびき合った、立派な背の君の朝宮をお忘れになるのであろうか。」

 「吾王」と「君」を別人とし、「靡かひし」を「互になびき合った」と解している。私の方が間違っているのだろうか。

 また、「吾王」を明日香皇女としている点もおかしい。『万葉集』には原文に「吾王」を使っている歌が9首あるが、「吾王」が皇女を指す例はほかにはない。

 実は、ここの「吾王」の「王」は原文改訂されている。このことは後ほど詳しく検討することになるが、まずは「吾王」を皇女の称号としている点を検討しよう。

 この挽歌の主人公が男性なのか女性なのかという問題は従来から論争されていたようだ。古田さんは「この長短歌について、研究史上、一種奇妙な〈対立〉が生じている」と言い、その〈対立〉を論じている斎藤茂吉の文章(『柿本人麿、評釈篇』巻之上)を引用している。

 さて、この歌の内容によると、御夫婦のなからひを咏じてゐるので、真淵は、忍坂部皇子をばこの皇女の夫君と想像し、この歌をば忍坂部皇子に獻じたのだらうと云った。

 併し、攷證も美夫君志も、
『これいかにもさる事ながら、みだりに改るを憚りて、しばらく本のまつにおきつ』 といひ、講義は、
『かくの如き態度を以て萬葉集を説き、それを基として時勢を論じ、文化を談ぜむとするは大膽とやいはむ。妄断とやいはむ。驚くべきことなりとす』 と云った。

(注)
「攷證」
 岸本由豆流著『萬葉集攷證』(江戸時代)
「美夫君志」
 木村正辞著『萬葉集美夫君志』(明治時代)
「講義」
 山田孝雄『万葉集講義』

 また、「忍坂部皇子」とは『日本書紀』や『続日本紀』では「忍壁または刑部」と表記されている皇子である。

 上の文章はとても分かりにくい。古田さんが整理をしているので、それを読んでみよう。

①賀茂真淵は、この歌を「男性」に当てた(献じた)歌と見なした。

②そこで、前の長短歌(194、195)の「前書き」に出てくる「忍坂部皇子」に当てた(献じた)歌であろう、と「想定」した。(「明日香皇女」の夫と〝想像″する。)

 これに対して、後の論者は「真淵の意図」には理解をしめしつつも、同意には躊躇(ちゆうちよ)している。

 けれども、山田孝雄は断固としてこの「真淵提案」を拒絶した。

 「吾王」・「君」という語から、素直に考えれば、この挽歌で詠われている人物は当然男性である。

 そして、
「み名に懸かせる 明日香河」(196)
「明日香川明日だに・・・わご王の御名忘れせぬ」(198)
と詠われているように、その人物の名は「明日香」でなければならない。「忍坂部皇子」であるわけがない。男性で「明日香」という名を持つ人物と言えば、私(たち)にはもうなんのためらいも必要としない。あの「明日香皇子」だ。

 『万葉集』編纂者は、ヤマト王権内では「明日香」という名を持つ人物は「明日香皇女」しかいないので、歌の内容との矛盾にもかかわらず、「明日香皇女、木缻(きのへ)の殯宮の時・・・」という題詞を付けて、ヤマト王権内の歌だと偽装したのだ。そして、従来の学者たちはその偽装にまんまとだまされてきた。まさに「妄断とやいはむ。驚くべきことなり」。
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