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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(143)

「天武紀・持統紀」(58)


人麿が「壬申の乱」を詠った?(11)
「渡會の齋の宮」


(6)
渡會の齋の宮〈渡會乃齋宮〉
渡会「伊勢の渡会郡」。
斎の宮「斎宮のことではなく、天照大神をいつきまつった宮、すなわち伊勢神宮」。

 ここの頭注もおかしい。はっきりと「齋の宮」となっているのに「斎宮のことではなく・・・」と解説している。では「齋の宮」とはなにか。

 「垂仁紀」25年条に伊勢神宮が造営の記事がある。倭姫が「「風の伊勢國・・・に居らむと欲ふ」よいう天照大神のお告げを受ける。

故、大(おほみかみ)の教の随(まにま)に、其の祠(やしろ)を伊勢國に立てたまふ。因りて齋宮(いはいのみや)を五十鈴の川上に興(た)つ。

 天照大神を祭った宮、いわゆる「内宮」をここでは「其の祠」と言っている。その条の分注(一に云く)では「伊勢国の渡遇宮(わたらひのみや)」と呼んでいる。当然、「齋宮」は内宮のことではない。頭注は
「斎王の忌みこもる宮。イハヒノミヤともイツキノミヤとも訓める」。
と解説している。

 199番の「齋の宮」の部分を再提示する。

・・・渡會(わたらひ)の 齋(いつき)の宮ゆ 神風(かむかぜ)に い吹き惑(まと)はし 天雲(あまくも)を 日の目も見せず・・・

 「齋の宮から神風を吹かせて」と詠っている。「齋の宮=伊勢神宮」と考えなければ不都合なのだ。「「斎宮のことではなく・・・」と解説しなければならない理由がここにある。

 「齋の宮ゆ 神風に」は本来どう解すべきなのか。「神風」といえば、ヤマト王権一元論者を悩ましていた歌があった。次の「神武紀」挿入歌である。

神風の 伊勢の海の
大石にや い這ひ廻る 細螺の 細螺の
吾子よ 吾子よ
細螺の い這ひ廻り
撃ちてし止まむ 撃ちてし止まむ


 「神武紀」には神武が伊勢に行った記事が皆無なのだ。それで学者たちは悩んでいた。

 実は既に、「神風」は伊勢国の専売特許ではなく、この歌の「伊勢の海」は「伊勢国の海」ではないということを「『神武東侵』:生き返る挿入歌謡(2)」で論証している。繰り返しになるが、古田さんは「真実の白村江」でそれをより簡潔に再論しているので、それを引用しよう。
 この歌については、不審があった。

 もしこれが伊勢国(三重県)のことだとすれば、伊勢神宮ができたのはずっとあと、少なくとも「垂仁」(日本書紀)以後のこと、「神武歌謡」に現われて「神風の」と歌われるはずはない。

 その上、「神武天皇」には伊勢国へ立ち寄った形跡がないのである。

 いずれの点から見ても、「?」だった。これを「神武歌謡の後代成立の証拠」と言ってみても、解決にはならない。だとすれば、「垂仁紀」も読んだことのない「ウカツ者」の〝失敗作″ということになるではないか。他(日本書紀の製作者)を、そんなに「馬鹿」扱いにしても、よいものだろうか。

 ともあれ、「?」の歌だったのである。

 ところが、思わざるところに解決が現われた。それは九州の福岡県の糸島郡(前原市・二丈町)にあった。

 そこに「伊勢浦」があり、「大石」があり、そこには「神在」があった。「在(あり)」は接尾語だ。そして「神風」は〝神ヶ瀬″なのである。

 この伊勢浦の大石(地名)で、細蝶(しただみ)の採り方を「吾が子」に指示する〝母親の歌″だったのだ。

 ともあれ、「神風 ― 伊勢」の原産地は、ここ糸島郡近辺だった。

 もう一つ、「神風に い吹き惑はし 天雲を・・・」。この「天雲」からは、すぐに人麿の「雷山絶唱」(235番)が思い出される。

 皇(すめろぎ)は神にしませば天雲の雷(いかづち)の上にいほらせるかも

 この歌についてもすでに論じている。以下の記事を参照してください。

「地名奪還大作戦(20)」
「地名奪還大作戦(21)」
「地名奪還大作戦(22)」

 「天雲」をめぐって、「真実の白村江」では、古田さんは次のように述べている。

 これが、糸島郡(前原市)の雷山の「天の宮」「雲の宮」を背景に歌われていたことは、すでに前著で詳述したところだ。その「天雲の」が、ここでも使われている。

 この「人麿作歌」の「倭国」側(日本列島)の主舞台の一が、ここ糸島郡(前原市)にあったことを〝裏づけ″ているのではあるまいか。

 従来の「伊勢の国(三重県)」説は、大きな錯覚を侵してしまっていたようである。

 この「渡會(わたらひ)の齋(いつき)の宮」とは、他ならぬこの雷山の雷神社を指しているのではあるまいか。

 古田さんは「渡會」については何も触れていない。気にかかっている。

 この地名が雷山付近にもあったのだろうか。あるいは「めぐりあう」といったような意味の普通名詞だろうか。残念ながら私にはこれを解明する力はない。ちなみに、この語は199番で使われているだけで、『万葉集』にも『日本書紀』にも他の例はない。
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