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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
532 「良心の自由」とは何か(26)
宗教批判の始まり(2)
2006年6月23日(金)


 「徹底的な批判を通して」「歴史的宗教の遺産」から抽出すべき真理の一つを 古田さんは「民主主義的、革命的精神をもった」宗教(第481回 参照)にあら われる「本源的自由」に求めている。そしてそれを「宗教のモルヒネ性」と呼ん でいる。

 今、その分析の概括をしますと次のようです。アへンと同根のケシから生ま れながら、モルヒネ的性状は人間への必須の薬物、魂の蘇生剤としての現実的 力を発揮します。そこでは神という絶対物を(フィクションとして)対置する ことによって、人間各自の平等性が抽出されます。そして、この、人間の完全 な平等性の認識が人間相互の自由、本源の自由を呼びさまし、あらゆる地上の 権力ともろもろのものへの恐れをうちくだきます。

 さらに、その人間相互の自由がさまたげるもののない愛を人間相互の間に産 出する― これらはいずれも人間存在の抽象ですが、抽象であるだけ、それだ け、「本質」でもあり、その抽象が現象と衝突し、矛盾し、現実への批判的化 合をはじめるような場合、当のモルヒネとしての機能が検出されるのです。

 それは、従来の歴史的宗教のような意味では「宗教」とは呼べませんが、「内 面の生きた思想」、「生の根拠」として「実践的倫理」を形成することにおいて は歴史的宗教にまさる力を有するはずです。

 「神のもとでの自由」から「本源的な自由」を抽出し、神が命じる「愛」を 人間の本源的自由を相互に尊重する人間の根源的倫理へと止揚していく可能 性を説いている。カントが倫理的(実践的)にのみ宗教を認めたのと同じ思想 的方向性がうかがえる。
 そういう人間達の倫理は、歪められた資本主義的現実の真只中から形づくられ て、真直ぐに未来の社会へ向かい、それを獲得しようとする強靭な倫理となるで しょう。それはあかあかと輝く太陽のもと、大地にしっかり立つ人間のいきいき した倫理です。

 ここでは古代的原始宗教(アニミズムなど)から民族的宗教へ、民族的宗教か ら世界的文化宗教(キリスト教、仏教、回教など)への諸転換に匹敵する転換が 生起するのです。今は、その前夜として、歴史的宗教の枯死が進行し、それをあ らわに証明する現象としての、倫理の荒廃、精神の退廃がはじまっているので す。

 そして、それが日本の現実において最もはやく、論理的に予感されているとい うのがこの(「信教の自由」の)批判的考察の帰結です。


 「愛」を説くだけでは人間の根源的自由は得られない。その「愛」は資本主義 社会の人間疎外と真正面から対決する戦闘的愛でなければならない。既成宗教が 致命的にだめな理由がここにある。資本主義社会の矛盾から目をそむけたままの 宗教はアヘンとしての宗教でしかない。

 最後に古田さんは日本における宗教批判(宗教の止揚)の課題を提出してこの論 考を終えている。

 ただ日本の場合、一つの実践的課題があります。それは日本における「信教 の自由」の唯一、最大の欠落(上からわく組みされた法の性格)条件に対応す る、唯一、最大の要請はこの批判、この信条と倫理をあくまで実践的に形成す ること ― 一言に言えばそれを徹底的に社会の「下から」の抵抗体として築き 上げることです。

 したがって、この帰結が日本で最も早く予感されたということは、必ずしも それが日本において最も早く実践的に形成されることを必然とはしません(前 記欠落を埋め、予感に停止することへの批判が実践化するという条件において、 その可能性はありますが、それはあくまで可能性です)。

 これに対し、実践的には他の国(たとえば中国)で最も早く形成されるとい う事態が生じることも、まことに十分の可能性をもつと、言わねばならないで しょう。


 日本の民主主義や自由が脆弱な理由も、『「下から」の抵抗体として築き 上げ』られたものではない点にある。いまその脆弱さが試練に立たされている。 しかしこれは民主主義と自由を真に自らのものとしていくチャンスでもある。 「日の丸・君が代の強制」にたいする闘いは、民主主義と自由を下から実践的に 確立していくための大きな闘いの一つである。特に処分にもひるむことなく闘って いる教師たちに改めて敬意を表したい。もちろんその闘いは「憲法改悪」 「教育基本法改悪」に対峙する闘いと不可分である。

 「信仰の自由」から「信仰からの自由」へと、自由が「神」という枠組みから 解き放たれたとき「信仰の自由」は「良心の自由」と呼ぶのがふさわしい。この とき「良心」とは「支配―被支配」という人間を貶める人間関係・社会関係を止 揚しようとする実践的倫理のことである。

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