2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(133)

「天武紀・持統紀」(49)


人麿が「壬申の乱」を詠った?(2)
季節のちぐはぐさ


 「天武紀(上)」は壬申の乱の発端を次のように記録している。

672(天武元)年6月22日
 六月の辛酉(かのとのとり)の朔壬午(ついたちみづのえうまのひ)に、村國連男依(むらくにのむらじをより)・和珥部臣君手(わにべのおみきみて)・身毛君廣(むげつきみひろ)に詔して曰はく、「今聞く、近江朝庭(あふみのみかど)の臣等(やつこら)、朕(わ)が爲(ため)に害(そこな)はむことを謀(はか)る。是(ここ)を以て、汝等(いましたち)三人(みたり)、急(すみやかに)に美濃國に往(まか)りて、安八磨郡(あはちまのこほり)の湯沐令多臣品治(ゆのうながしおほのおみほむぢ)に告げて、機要(はかりことのぬみ)を宜(のたま)ひ示して、先(ま)づ當郡(そのこほり)の兵(いくさ)を發(おこ)せ。仍(なほ)、國司等(くにのみこともちた)に經(ふ)れて、諸軍(もろもろのいくさ)を差(さ)し發(おこ)して、急(すみやか)に不破道(ふはのみち)を塞(ふせ)け。朕(われ)、今發路(いでた)たむ」とのたまふ。

 乱の終結は約一ヶ月後の7月26日である。

乙卯(きのとのうのひ)に、將軍等、不破宮に向(まう)づ。因りて大友皇子の頭(かしら)を捧げて、營(いほり)の前に獻(たてまつ)りぬ。

 陰暦の6月22日から7月26日は、現在の暦(太陽暦)で言うと7月下旬から8月下旬に当たる。最も暑い盛りの夏だ。「壬申の乱」を戦った将兵たちは重い鎧冑で身を固め、灼熱の太陽の下で滝のような汗をしたたらせながら戦ったことだろう。ところがどうだ。199番歌には
「冬ごもり 春さり来れば」
「雪降る 冬の林に」
「大雪の 亂れて来れ」
「春鳥の さまよひぬれば」
と、冬から早春の季節を示す詩句がちりばめられている。ここで描かれている戦闘は「真冬から早春にかけて」の頃に行われていることになる。この歌は「壬申の乱」を詠ったものではない、と誰もが思うのではないだろうか。

 「壬申の乱」を知っている人で、この季節の矛盾に気付かぬ人はいないだろう。しかし、歌そのものより題詞を重要視する誤った研究方法を金科玉条としている学者たちは、あくまでも「壬申の乱」の歌として扱うことに苦慮する。〈大系〉の大意がその苦慮の結果を問わず語りに語っている。

「春先に野ごとにつけてある火が風と共になびいて行くようで
「雪の降る冬の林につむじ風が吹き巻いて押しわたって行くのかと思うほど
「大雪の乱れ降るようで
「春鳥のように泣いている」


 つまり「比喩という修辞」の表現だと、言い逃れている。

修辞
「ことばを適切に用い、もしくは修飾的な語句を巧みに用いて、表現すること。また、その技術。」
比喩
「物事の説明に、これと類似したものを借りて表現すること。たとえ。」

 真夏の戦いの表現に冬や早春の事象を用いる「比喩」とは聞いて呆れる。私は若い頃に少し詩を作ったことがある。私の詩作は素人のてなぐさみに過ぎないが、それでもこのような無茶苦茶な「修辞」・「比喩」はとても恥ずかしくて使えない。古田さんも次のように呆れている。

 「真夏の戦を歌うために、あえて真冬から早春めいた〝比喩″や〝修辞″を用いたのだ。」などと、弁舌をふるったとしても、わたしは黙って首を横に振るだけである。

 世界の詩歌の歴史の中に、そんな例があれば、出してみてほしい。あれば、ただ「奇矯を好む」凡愚詩人、二流、三流の詩人にすぎぬ。わたしは人麿を以て、そのような詩人とは思わない。

スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1574-da382c32
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック