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《真説古代史・近畿王朝草創期編》(132)

「天武紀・持統紀」(48)


人麿が「壬申の乱」を詠った?(1)
『万葉集』199番~202番


 『万葉集』中、最も長い歌は「高市皇子尊城上殯宮之時、柿本朝臣人麿作歌一首并短哥歌」という題詞が付けられた長歌(199)である。つまり高市皇子への挽歌である。万葉集を代表する名歌と称されている。この題詞でも「尊」という称号を付けて、高市皇子を皇太子扱いにしている。

 さて、この歌には戦闘場面が歌い込まれているが、「定説」はその戦闘は「壬申の乱」であるとして疑わない。「壬申の乱」を論ずる学者たちは、「壬申の乱」の「生き証人」のように扱い、必ずといってよいほどこの歌を取り上げ利用している。

 この「定説」を疑う学者はかつて皆無であったが、それに古田さんが「否!」を突きつけている。古田さんの論考(『壬申大乱』第2章「真実の白村江」の第2説)を取り上げよう。まずは、その一連の歌(199~202)の訓読文を読んでおこう。(例によって、古田さんが問題にして取り上げている詩句を赤字で示した。)

高市皇子尊の城上の殯宮(たけちのみこのみこときのへあらきのみや)の時、柿本朝臣人麿の作る歌一首 并に短歌
(199)
かけまくも ゆゆしきかも 一に云ふ、ゆゆしけれども 言はまくも あやに畏(かしこ)き 明日香(あすか)の 真神(まかみ)の原に ひさかたの 天つ御門(みかど)を かしこくも 定めたまひて 神(かむ)さぶと 磐隠(いはがく)ります やすみしし わご大君の きこしめす 背面(そとも)の國の 真木(まき)立つ 不破山(ふはやま)越えて 高麗剱 (こまつるぎ) <和蹔(わざみ)が原の 行宮(かりみや)に天降(あも)り座(いま)して 天の下 治め給ひ 一に云ふ、掃(はら)ひ給ひて 食(を)す國(くに)を 定めたまふと 鶏(とり)が鳴く 吾妻(あづま)の國の 御軍士(みいくさ)を 召し給ひて ちはやぶる 人を和(やは)せと 服従(まつろ)はぬ 國を治(をさ)めと 一に云ふ、掃へと 皇子(みこ)ながら 任(ま)け給へば 大御身(おほみみ)に 太刀(たち)取り帯(お)ばし 大御手(おほみて)に 弓取り持たし 御軍士を あどもひたまひ 齋(ととの)ふる 鼓(つづみ)の音は 雷(いかづち)の 聲(おと)と聞くまで 吹き響(な)せる 小角(くだ)の音も 一に云ふ、笛の音は 敵(あた)見たる 虎か吼(ほ)ゆると 諸人(もろひと)の おびゆるまでに 一に云ふ、聞き惑ふまで 捧げたる 幡(はた)の靡(なびき)は 冬ごもり 春さり来れば 野(の)ごとに 着(つ)きてある火の 一に云ふ、冬ごもり春野焼く火の 風の共(むた) 靡(なび)くがごとく 取り持てる 弓弭(ゆはず)の騒(さわき) み雪降る 冬の林に 一に云ふ、木綿の林 飃風(つむじ)かも い巻き渡ると 思ふまで聞(き)きの恐(かしこ)く 一に云ふ、諸人の見惑ふまでに 引き放つ 矢の繁(しげ)けく 大雪の 亂れて来(きた)れ 一に云ふ、霰なすそちより来れば服従(まつろ)はず 立ち向ひしも 露霜(つゆしも)の 消(け)なば消(け)ぬべく 行く鳥の あらそふ間(はし)に 一に云ふ、朝霜の消なば消とふにうつせみと爭ふはしに 渡會(わたらひ)の 齋(いつき)の宮ゆ 神風(かむかぜ)に い吹き惑(まと)はし 天雲(あまくも)を 日の目も見せず 常闇(とこやみ)に 覆(おほ)ひ給ひて 定めてし 瑞穂(みづほ)の國を 神(かむ)ながら 太敷きまして やすみしし わご大王(おほきみ)の 天の下 申し給へば 萬代(よろづよ)に 然(しか)しもあらむと 一に云ふ、かくもあらむと 木綿花(ゆふはな)の 榮ゆる時に わご大王 皇子(みこ)の御門(みかど)を 一に云ふ、さす竹の皇子の御門を 神宮(かむみや)に 装(よそ)ひまつりて 使はしし 御門の人も 白栲(しろたへ)の 麻衣(あさごろも)着(き) 埴安(はにやす)の 御門の原に 茜(あかね)さす 日のことごと 鹿(しし)じもの い匍(は)ひ伏しつつ ぬばたまの 夕(ゆふべ)になれば 大殿(おほとの)を ふり放(さ)け見つつ 鶉(うづら)なす い匍ひもとほり 侍(さもら)へど 侍(さもら)ひ得ねば 春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに 憶(おも)ひも いまだ盡きねば 言(こと)さへく 百濟(くだら)の原ゆ 神葬(かむはぶ)り 葬(はぶ)りいまして 麻裳(あさも)よし 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 高くまつりて 神ながら 鎭(しづ)まりましぬ 然れども わご大王の 萬代と 思ほしめして 作らしし 香具山(かぐやま)の宮 萬代(よろづよ)に 過ぎむと思へや 天の如 ふり放(さ)け見つつ 玉襷(たまだすき) かけて偲(しの)はむ 恐(かしこ)かれども

短歌二首
(200)
ひさかたの天(あめ)知らしぬる君ゆゑに日月も知らず戀ひ渡るかも
(201)
埴安(はにやす)の池の堤(つつみ)の隠沼(こもりぬ)の行方(ゆくへ)を知らに舎人(とねり)はまとふ

或る書の反歌一首
(202)
哭澤(なきさは)の神社(もり)に神酒(みわ)すゑ禱祈(いの)れどもわご王(おほきみ)は高日知らしぬ
右一首、類聚歌林(るいじゆかりん)に曰はく、檜隈女王(ひのくまのおほきみ)の、泣澤神社を怨むる歌といへり。

日本紀を案(かむが)ふるに云はく、十年丙申の秋七月辛丑の朔の庚戌、後皇子尊(のちのみこのみこと)薨(かむあが)りましぬといへり。


 「定説」論者たちの研究の集大成という意味で、〈大系〉の「大意」も読んでおこう。

(199)
 心にかけて思うことも慎しむべく、口に言うこともまことに恐れ多い、明日香の真神の原に、天つ御門をお定めになって、今は神らしく振舞われるとて磐隠れておいでになるわが天武天皇が、お治めになる北の国の不破山を越えて、わざみが原の行宮に天降りなされて、天下を平らかになさり、国をお定めになろうと、東の国の兵士をお召しになり、乱暴をする人を和らげよ、服従しない国を治めよと、皇子の御身でいらせられる高市皇子に、お任せになったので、皇子は、大御身に太刀をおはきになり、御手に弓を取り持たれて、兵士を呼びたて整えられ、隊伍をととのえる鼓の音は雷の音と聞えるほどで、吹きたてる小角の音も、敵に向った虎が吼えるのかと人々のおびえるほどであり、捧げ持った旗のなびくさまは、春先に野ごとにつけてある火が風と共になびいて行くようで、取り持っている弓弭の鳴り響くさまは、雪の降る冬の林につむじ風が吹き巻いて押しわたって行くのかと思うほど聞くも恐ろしく、引き放つ矢の繁く多いことは大雪の乱れ降るようで、従わずに立ち向った敵軍も、死ぬなら死ねと命をかけて争うその時に、伊勢の神宮から神風を吹かせて敵をまどわし、天雲で日の目も見せず世界を常闇におおいかくされて、平定されたこの瑞穂の国を、神そのままに天皇がお治めになって、わが高市皇子が天下の政治を取り行われたので、万代までそのように続くだろうと思われ、天下は大いに栄えている時に、突然、皇子の御門を喪の神宮にお装い申上げ、皇子のお使いになった人々も麻の喪服を着て、埴安の御門の原に、昼は日のくれるまで、鹿のように匍い伏しつづけ、夕方になると大殿を振り仰いで見やりつづけ、鶉のように匍いまわり、伺候していても、その甲斐がないので、春鳥のように泣いていると、嘆きもいまだ過ぎ去らないのに、思いも未だ尽きないにもかかわらず、百済の原を御葬列が通って行き、城上の宮を永久の宮と高くお祭りして、皇子は神としてそこに鎮まってしまわれた。しかしながら、わが高市皇子が、万代までとお思いになってお作りになった香具山の宮が、万代の後までも、亡びるだろうなどと思われようか。無窮の大空のように仰ぎ見やりながら心にかけてお偲び申し上げよう。恐れ多いことであるけれども。

(200)
 今は、死去されて天をお治めになるようになってしまった高市皇子であるのに月日の流れ去るのも知らず、いつまでも恋い慕いつづけるわれわれである。

(201)
 高市皇子の御殿のあった埴安の地の池の堤の隠り沼の水の行方の知れないように、舎人は行方も分らずに途方にくれている。

(202)
 哭沢の神社に神酒を供えて皇子がこの世に止まられるように祈ったけれども、高市皇子は天に昇って高い天を治められるようになってしまった。
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