2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(128)

「天武紀・持統紀」(44)


日並知皇子の謎(7)
「阿騎の大野」はどこか


 239番・240番の解読では「甘木」は福岡県朝倉郡にあることが明らかにされた。では朝倉郡に、「阿騎の大野」の「あき」があるのだろうか。この「あき」探しにおいても、古田さんの博覧強記ぶりに驚かされる。まず、太宰管内志(上)の筑前之二十の「夜須郡」の項を引用している。(古田さんによる訓み下し文)

〔軍記略〕に大蔵春實之裔代々、夜須軍秋月に居住して近邊を領す。故に秋月を以て號と為す、云云。

 ここに現れている「秋月」を次のように分析している。

 「あき」は〝わが柵(城)″の意。この点、大和の「吾城」と変らない。「つき」は〝津柵″。川の港津の要地をしめす。「水城(みづき)」「月の浦」(太宰府近辺)などの「つき」と同様だ。

 「き」が重複しているのは、「あき」が地名(大字)化してあと、これにさらに「つき」(小字)が付せられたものであろう。・・・(略)・・・自然地名だ。

 〔軍記略〕は、この地を領していた秋月氏はこの自然地名「秋月」を一族の号とした、と言っている。

 そして、その「秋月」という地名は、『大字「あき」+小字「つき」』に由来する。つまり「阿騎の大野」とは、九州の朝倉郡近辺の場合、「秋月盆地の周辺山野」を意味すると言う。では、ここの「阿騎の大野」はどのような土地なのだろうか。次に古田さん「筑隅記十一巻」から次の文を引用している。

 秋月は古處山の古城、秋月氏の根城なり。山高く、谷幽(かす)かにして翠嶺衆山に秀で、北面に八丁坂有り、西州往還道なり。凡そ国中第一之嶮路なり。

 當城は則ち秋月氏の本城なり。里城は荒平山を謂うなり。
 枝城は、當郡千手・彌長・上座郡麻氐良・長尾・針目・三日月・国見・米ノ山・下座郡茄町・嘉摩郡盆富・穂波郡笠木・豊前国己上十二箇所なり。


 「山高く、谷幽(かす)かにして翠嶺衆山に秀で」とあるが、35番・241番で使われている「眞木たつ 荒山」(真木〈樹木の美称〉のそそりたつ荒山)という詩句にぴったりの土地であり、身体・武技の鍛錬をかねた猟の場としても恰好の場所である。しかし、「国中第一之嶮路」でもあり、危険な場所もそこここにあったことだろう。古田さんは次のように締めくくっている。

 大和盆地の大宇陀郡の場合とは異なり、右にもうかがわれるような、嶮しい山谷に囲まれた平野部であるから、一歩をあやまれば、或は墜死の危険性も十分ありえよう。それが「甘木の王者の悲劇の死」をまねいたのではあるまいか。

 以上で前々回に取り出された三つの問題点が明らかにされた。「日並知皇子の謎」を進める上ではこれで十分と思われるが、新たな発見があるかも知れないので、古田さんの論考を最後まで読んでおくことにする。古田さんが問題にしているテーマ(詩句)を原文で示すと次の四点である。

④ 45番の「隠口乃泊瀬山者」
⑤ 48番の「月西渡」
⑥ 46番の「寐毛宿良目八方」
⑦ 47番の「黄葉」

 ちょっと横道へ。
 46番~49番の四つの反歌は漢詩の五言絶句や七音絶句の構成法と同じように「起承転結」を成していると言われている。その「起承転結」を説明するのによく使われる面白い例文がある。ほとんど忘れていたその例文が『皇子たちの鎮魂歌』に掲載されていた。

本町二丁目の 糸屋のむすめ
姉は十六 妹は十四
諸国大名は 弓矢で殺す
糸屋のむすめは 目で殺す

 これを読んでいて、一つ思い出したことがある。芥川龍之介が何編か詩を書いている。その中に私が若い頃に愛唱していた相聞歌の絶唱がある。その四行詩が「起承転結」の構成をなしていることに思い至った。

また立ちかえる水無月の
嘆きを誰(たれ)にかたるべき。
沙羅(さら)のみづ枝(え)に花さけば、
かなしき人の目ぞ見ゆる。

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