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《真説古代史・近畿王朝草創期編》(126)

「天武紀・持統紀」(42)


日並知皇子の謎(5)
35~39番歌の問題点


 「草壁皇子の嫡子ではない〝56歳″の文武帝」はガセネタだったが、『倭王たちの七世紀』から、一つ教えてもらった事がある。

 私は、必要に応じて拾い読みをするだけで、『日本書紀』も『続日本紀』も『万葉集』も、通して読んだことはない。だから重要な記事を見逃している可能性は大きい。今度、『倭王たちの七世紀』を読んでいて、文武天皇の治世は垂廉政治であったという私の仮説を立証する有力な証拠記事が『続日本紀』にあることに気付いた。707(慶雲4)年7月条の元明天皇即位の詔の中に次のようなくだりがある。

「閞(か)けまくも威(かしこ)き藤原宮御宇倭根子天皇(ふぢはらのみやにあめのしたしらしめししやまとねこのすめらみこと)の丁酉八月(ひのととりのはづき)に、此の食國(をすくに)天下(あめのした)の業(わざ)を日並知皇太子(ひなめしのみこのみこと)の嫡子(むかひめばらのみこ)、今御宇(いまあめのしたしろしめし)つる天皇に授け賜ひて並び坐して、此の天下を治め賜ひむかひめばらのみこ諧(ととの)へ賜ひき。

 はっきりと「二人並んで天下を治めた」と書いている。懐風藻などから算出された文武天皇の即位(697年)時の年齢15歳を疑う理由はない。すると、軽皇子の誕生年は682年ということになる。草壁皇子は689(持統3)年に死去しているが、このとき軽皇子は7歳だったことになる。

 さて、ここでいよいよ『万葉集』45番~49番を取り上げることになる。この一連の歌には、「輕皇子の安騎の野に宿りましし時、柿本朝臣人麿の作る歌」という題詞をそのまま認めると、題詞と歌の内容とが合わない点がいくつかある。

 まず、45番の冒頭の句「やすみしし わご大王 高照らす 日の皇子」がおかしい。「やすみしし わご大王」という決まり文句については、何度か取り上げてきた。「大王」はある地域の支配者(『日本書紀』では天皇と表記している)を指す言葉である。ここでは、題詞が正しいとすれば、軽皇子の父・草壁皇子を指している。しかし、草壁は皇太子にはなったが、大王位に即くことなく689(持統3)年に没している。ちなみに、草壁皇子に天皇名が追贈されたのは70年ほども後の758年(天平宝字2)年のことである。

 また、「日の皇子」は「次の天皇位の後継予定者」つまり皇太子を示す呼称ではない。「日之皇子」とは「太陽の子孫」、つまり、「八方を統治する大王」の尊位にあることを示す呼称である。要するに「天子」を意味する。たとえ草壁が大王であったとしても、一国の大王に「日の皇子」という呼称は合わない。

  従来はこれをどのように解していたのだろうか。前に掲載した岩波大系の大意と、新たに小学館の『日本古典文学全集』版の現代語訳を並べてみる。

(岩波大系 〈大系〉と略す)
「わが皇子、日の御子は神であるままに神として行動なさるとて、立派な都をあとにして、・・・」
(小学館全集 〈全集〉と略す)
「(やすみしし)わが大王の (高照らす) 日のの皇子軽皇子は であるままに らしくふるまわれるべく 天皇のいらっしゃる 都をあとにして・・・」

 〈大系〉では「大王」を無視して「わが皇子、日の御子」と始めている。「大王」に困っているようだ。〈全集〉では「大王」を表面に出しているので、この大王は天皇とは違うことを示すために、「太敷かす京」の「太敷かす」を「天皇のいらっしゃる」と意訳して、「天皇」を登場させる苦心をしている。そして、どちらも「日の皇子=軽皇子」と解しているけれど、いまだ15歳に達していない軽皇子が「神であるままに神として行動なさる(らしくふるまわれる)」などというとんでもない阿諛追従の表現を、誰もおかしいと思わなかったのだろうか。「大王=草壁皇子」・「日の皇子=軽皇子」という解釈が無理なのだ。

 この問題は59番にも波及する。

日雙斯 皇子命乃 馬副而 御獦立師斯 時者來向

 岩波大系では「日雙斯」を「日並」と書き換えて訓じ、「日(天皇)と並んで天の下をしろしめす意という。草壁皇子のこと」と説明している。「「日(天皇)と並んで天の下をしろしめす意」というのなら、「日並」はもともと普通名詞ということになる。どうして草壁だけに「日並」を用いて、他の皇太子には用いないのだろうか。

 〈大系〉は59番歌を
「亡くなられた草壁皇太子が、馬を並べて御狩にお出かけになった時刻が今や迫って来る」
と解釈している。ちなみに、〈全集〉の現代語訳は
「日並の 皇子の尊が 馬を並べて 狩りに出られた 同じその時刻になった」
となっている。

 では、草壁皇子と馬を並べて狩りに出かけたのは誰なのだろうか。どちらもそれを明示していないが、題詞を額面通り受け取って、この一連の歌を「阿騎の野で一夜を過ごすことになった軽皇子が今は亡き父・草壁皇子を偲んでいる。その軽皇子の心を読み取って、人麿が詠った草壁皇子への追悼歌」といった解釈を採っているようだから、たぶん〈大系〉の〈全集〉も、その人物は軽皇子と想定していることだろう。すると、これもおかしなことになる。

 この狩りが行われたのは689年以前だから、軽皇子は7歳以下子供である。この幼い子供が馬にのって、父親と狩りに出かけるなんて? まれにはそのような早熟な子供がいるかも知れないが、私には信じられない。それに、軽皇子は25歳で亡くなっている。もともとあまり丈夫な子ではなかったと思われる。

 ちょっと本筋から離れる。誰も指摘している人はいないようだが、文武天皇の死にも不可解なことがある。「文武紀」には病気になったとかいうような死の前触れを告げる記事が皆無で、いきなり死亡が記録される。しかし、「元明紀」の冒頭には707(慶雲3)年11月に病に陥って譲位の意志を示したと書かれている。慶雲3年11月前後の記事を調べたが、そんな様子はまったくなく、普通に政務は遂行されている。垂廉政治であったとしても、天皇が譲位の意志を示すほどの病なのに「正史」に記録されないとは? これも今のところは「言ってみただけ」。

 本道に戻る。

 次は「馬副」の「副」の意味。古田さんは、人麿が文字使用に厳格だったことを指摘した上で、次のような問題提起をしている。

 これは「主」に対する「副」であり、「馬並(な)めて」ではなく、「馬副(そ)えて」と読むべきだと言う。いずれにしてもこの歌には登場人物が2人いる。古田さんの解釈が正しいとすると、草壁皇子は「副」である。すると「主」は誰になるのか。子供の軽皇子であるわけがない。天武か持統と言うことになる。しかし、この場合もおかしなことになる。

 もし「正」が天武だとしたら、この時点では天武も亡き人なのだから、草壁の父である天武を表面に出して歌わないのは変だ。「主」が持統とすると、女性大王が狩りに興ずるということになり、しっくりしない。もちろん狩りに興ずるような男勝りの女性は大いにあり得るけれど、史料に見る限り、持統がそのような女性とは思えない。

 次にもう一つ、古田さんはこの歌の作歌場所「阿騎の大野」にも疑問点があると言う。これは古田さんでなければ気付かないだろうと思われるような指摘である。

「阿騎の大野」の比定では従来説には異論はなく、皆一致しているようだ。古田さんは三例あげている。

「奈良県宇陀郡大宇陀町のあたり。」(岩波、日本文学古典大系本)

「奈良県宇陀郡大字大宇陀町一帯の平地。神武紀にも狩猟の歌が見え、狩場として知られた所。天武紀にも「吾城」(あき)の名が見える。」(中西進、講談社文庫)

「安騎野は大和国宇陀郡にして延喜式に宇陀郡阿紀神社あり。その阿紀神社は今松山町付近の迫間村にあり。その邊の野を安騎野といひしなるべし。日本紀天武天皇元年紀に『即日到菟田吾城』と見ゆ。『宿』は旅宿の義なり。」(山田孝雄 万葉集講義)

 つまり、「宇陀(菟田)」が大字、「阿騎(安騎、吾城)」が小字で、今の奈良県宇陀郡大字大宇陀町がそれに当たるというのが「定説」である。これに対する古田さんの疑問とは次のようである。  巻2の「(日並)皇子尊の宮の舎人ら慟(かな)しび傷(いた)みて作る歌廿三首」の中の一首では、「安騎の大野」ではなく「宇陁乃大野」(原文)となっている。

けころもを春冬設(ま)けて幸(いでま)しし宇陀の大野に思ほえむかも (191、巻2)

 普通に考えれば、「大野」を「大字」につけて表記しても「小字」につけて表記しても違いはない、ということになるだろう。しかし、狩りの場所はかなり広い原野あろう。小字で示されるような範囲内で行われるとは考えがたい。「阿騎」は「大字」なのではないか。つまり古田さんは、「安騎の大野」の「あき」は、定説が比定している小字の「あき」でなく、別に大字の「あき」があるのではないか、という疑問を提出している。

 ここまでに出てきた問題を整理すると

 「大王」・「日の皇子」とは誰か

 「日雙斯」とはどういう意味か。

 「阿騎の大野」はどこか。
となる。

 問題点①はこの一連の歌の内容が題詞と合わないことを如実に示している。歌の方が第一次史料だから、今までと同じように、題詞を白紙に戻して、歌の内容に沿って検討することになる。
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