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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(124)

「天武紀・持統紀」(40)


日並知皇子の謎(3)
文武天皇の謎(2)


 文武天皇が15歳という若さで践祚したという記録を、小松崎さんは「史実」ではないと考えている。

 (軽王子は)「正史」(『続日本紀』)によれば、言うまでもなく草壁皇子の子(持統女帝の孫)ということになっている。15歳で即位、10年間在位した帝である。

 しかし、『続日本紀」の記録をていねいに読めばわかるが、その治績はおよそ〝年少帝″のそれではない。

 そして、ちなみに、文武天皇の国風諡号は「天之真宗豊祖父天皇(あまのまむねとよおほぢのすめらみこと)」という。この諡号の中の「祖父」については、「若くして長老の風格がある」などと説明されたりしているが、これが、25歳で夭逝した天皇の諡号なのである。その取ってつけたような〝説明″ともども、やっぱり、異様なものを感じないだろうか。

 その諡号の意味を考えてみると、「天之……天孫系の」「真宗……〝マムネ″(〝マ″は「本物」、〝ムネ″は、胸・棟、「筋の通った最高の」)」という意になる。つまり、『皇統の本物の嫡流である天皇』ということになるという。

 なぜ、これほどまで「正統性」や「(皇統の)本物の嫡流」をアピールする必要があるのか。

 むろん、その「必要」に応じてのことであろう。

 まさに、再三この稿で問うている問題とつながってくる。

 前著(『神話の旅人』で、李寧熙(イヨンヒ)氏の仮説を紹介したが、小林恵子(やすこ)氏の分析(『白村江の戦いと壬申の乱』現代思潮社など)からも、私も、「草壁皇子の嫡子ではない〝56歳″の文武帝」のほうが、よりふさわしいと思っている。

 文武天皇は実は草壁皇子の嫡子ではなく、正当性のない人物で、年は56歳だったと主張している。面白い仮説とは思う。それにしても、「56歳」という年齢はどこから出てきたのだろう。ぜひその論拠を知りたいと思う。小松崎氏がこの説のよりどころとしている「李寧熙氏の仮説」や「小林恵子氏の分析」がどういう論証をしているのかについては何も書いていない。自分で調べることにした。

 李寧熙氏は、「もう一つの万葉集」という著書で、万葉集は古代韓国語(前回出てきた「吏読」)で書かれているという説を唱えている人。もちろん私はこの人もその著書も初耳。ネット検索して見たら、この人の万葉歌解読の一例を知ることができた。それを読んで、「こりゃだめだ」と思った。対象歌は7番「額田王の歌」である。

(原文)
金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百磯所念
(訓読文)
秋の野のみ草刈り葺(ふ)き宿れりし宇治の京(みやこ)の假廬(かりいほ)し思ほゆ

 これを李寧熙氏は次のように訓じている。

新羅よ 刀研いで注ぎ 締め苦しむなかれ お上の都は 刀が 来るから来襲に備えよ

 「美草苅葺」の訓読が「刀研いで注ぎ」となる理屈は次のようだ。

『「美」は朝鮮語音読で「ミ」、「草」は「セ」で「ミセ」は「ムセ」に通じ「鋳物の鉄」を意味する。「苅」は日本語訓読で「カリ」。これは朝鮮語「カルダ」(磨く)の語幹「カル」。「葺」は日本語訓読で「フキ」。これは朝鮮語「ブッキ(注ぐ)」を表す。』

 そして歌全体の意味を次のように解説しているそうだ。

『これは百済人である舒明天皇が、新羅の攻撃に備えよと百済に警告するために、額田王に作らせた歌であった。』

 まじめに論じるのがバカバカしくなるようなこういう珍説があるのを私は知らなかった。一つの過ちから全体を否定する愚は避けなければならないが、この場合は「一事が万事」としてよいだろう。「李寧熙氏の仮説」とやらを調べるはやめた。

 「小林恵子氏の分析」の方はどうか。『白村江の戦いと壬申の乱』と書名が書かれている。検索したら私が利用している図書館の蔵書の中にその本があった。さっそく図書館に行って、拾い読みをしてみた。文武天皇に就いての記述は全くない。内容は表題の通り、「天武紀」までが対象だった。ちなみに、巻末にたくさんの参考資料を掲げているが、その中には九州王朝に関わる本は皆無だった。この人も古田史学をまったく無視した学者だった。

 (『白村江の戦いと壬申の乱』現代思潮社など)の「など」は「他の本も」という含みを持たせた表記だろうか。私はこの「など」にだまされたようだ。いま、図書館から帰ってきてこれを書いているのだが、念のため改めて今度は著者名で蔵書検索をしてみた。小林恵子氏には『倭王たちの七世紀』という著書もある。もしかするとこの本に「小林恵子氏の分析」があるのかもしれない。明日また図書館に行ってみようと思う。(その結果は次回に報告することにします。中途半端ですが今回はこのままアップロードしておきます。)
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この記事へのコメント
初めまして
李寧煕氏の説をブログで紹介している者ですが、私は歴史にまったく無知なので、どのあたりがおかしいと思われたのか、もう少し詳しく説明してくださるとありがたいです。
2011/01/30(日) 18:18 | URL | Shin #RwH1dyjc[ 編集]
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