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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(111)

「天武紀・持統紀」(27)


飛鳥浄御原宮の謎(2)
発掘結果と『日本書紀』との整合性(1)


 飛鳥宮跡の発掘調査は1959年から行われている。2004年までの調査結果をまとめたⅢ-B期の遺構概略図は次のようである。

飛鳥浄御原

 この遺構の各部分について、それぞれの構築時期あるいは整備時期を定説は次のようにまとめている。すなわち、内郭部分は後飛鳥岡本宮であり、天武期にそれを踏襲して使用したとする。また外郭部分などは再整備の上使用したとしている。そして東南郭は天武が増設したものであり、それら総体を飛鳥浄御原宮と比定している。

 天武の造営とされる東南郭には他の宮殿とは際立って異なる点が1つある。次の図で明らかなように、一般には朝堂には南門があり、その門の南側はさまざまな儀礼が行われる広場になっている。唯一東南郭だけは西門である。既設の後岡本宮の南門前広場を共有するための変則的な設計と思われる。

宮殿規模1

飛鳥浄御原

 「天武紀」675(天武4)年の正月条に「西門(にしのみかど)の庭(おほば)に射(いく)ふ」という射礼記事(弓矢の技を競う行事)があるが、この記事は東南郭の考古学的事実と一致している。ちなみに、西門の庭での射礼記事は676(天武5)年・679(天武8)の正月条にも出てくる。

 それでは672(天武元)年是歳条はどうだろうか。

672(天武元)
 九月の・・・癸卯(みづのとのうのひ 15日)に嶋宮より岡本宮に移りたまふ。
 是歳、宮室を岡本宮の南に營(つく)る。即(その)冬に、遷りて居します。是を飛鳥浄御原宮と謂ふ。


 壬申の乱の戦後処理が終わったのが8月27日。9月15日に岡本宮に遷って、そこを宮殿として使用することにしたが、正殿だけは新築することにした。それが東南郭であり、これも「宮室を岡本宮の南に營る」という記録と合致する。東南郭の規模・構造を教科書②は次のようにまとめている。

「東南郭は内郭の南東方向にある。中央には9×5間の四面廂、大型の東西棟建物SB7701を中心に一院が構成される。建物南面の三ヵ所に階段を備える。東西約94メートル、南北約55メートルの規模で、内郭と同じように屋根のある板塀によって内外に分けられる複廊施設がめぐる。郭内は砂利敷き広場となる」。

 東南郭だけでもかなり大掛かりな工事だったことが分かる。東南郭の造営期間は、ぎりぎり長くとって、9月着工12月遷居で3ヶ月となる。新築したのが東南郭だけならあるいは可能だろうか。当時の技術レベルなどが不明なので、私には判断材料がない。建築の専門家に聞いてみたいところだが、ここでは東南郭が天武の新宮であるという確認で満足して、この問題は置いておこう。

 さて、以上のような飛鳥浄御原宮の比定を私は定説として扱ってきた。またこの定説は正しいと思っているが、実はまだ決着はついていないようだ。たとえば教科書②の著者今尾氏は論文の最後で次のように述べている。(引用文中の①・②・③はそれぞれ「①内郭東西仕切り施設・②東南郭南辺③外郭施設」を指している。)


 今のところ筆者は③外郭大溝の成立上限である「辛巳年」、すなわち681年(天武10)に引き付けて②の成立をとらえるのが妥当とする。そして東南郭南辺下層の石組溝を後飛鳥岡本宮にともなうものだとするとこれも天武元年の飛鳥浄御原宮に踏襲されたことになる。

 しかし、①の先行東西仕切り施設と先行基幹水路の石組溝に先に指摘したような関係性を認めるとするならば、内郭の成立こそが第Ⅲ期宮殿の成立であり、それは定説となりつつある後飛鳥岡本宮とみなすよりも、飛鳥浄御原宮として着手されたととらえるのが適当と考える。そして天武10年前後の東南郭の成立、外郭域の整備、基幹水路の再編などの事業へとつづくものと考える。

 この説に対しては天武元年是歳条の「宮室を岡本宮の南に營る」が飛鳥浄御原宮比定の最大の手がかりとする学者たちから異論が出ている。これに「天武紀」に出てくる大極殿・大安殿・内安殿・外安殿・向小殿・朝堂・前殿・御窟殿・後宮・西門・南門・新宮・旧宮などなどの多様な殿舎をどこに比定するかという問題も絡まって、諸説紛々という状態のようだ。

 議論が混迷していく大きな原因は盗用・改竄記事だらけの『日本書紀』の記録をすべて正しいとするところにある。『日本書紀』の記事は矛盾だらけなのだから、それを正しいとした前提での議論が紛糾するのは必然の成り行きだ。虚偽だらけの中から真実の記事だけをとり出すのは難しい。しかしそのための基準はある。考古学的な事実があれば、なによりもそれを優先しなければならない。と同時にもう一つ、論理的な整合性がなければならない。例えば『日本書紀』に現れる大極殿などは疑ってしかるべきだと私は思う。大極殿にしぼって検討してみよう。
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