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《真説古代史・近畿王朝草創期編》(82)

「天智紀」(70)


近江令と庚午年籍(5):庚午年籍はどのように扱われたのか


 ④~⑨は氏姓訂正や身分回復などで訴え出た者たちにそれを許可した記事である。その訴人たちの所属する国は次の通りである。
④木国(紀伊国)・⑤⑥阿波国・⑦⑧尾張国⑨讃岐国

 これらの訴えを検討するため担当官吏は庚午年籍を調べたことだろう。つまり各国の庚午年籍が存在したことが分かる。庚午の造籍はおそらく倭国のすべての分国で行われたと思われる。

 ところで、③の記事が不可解である。


 727(神亀4)年7月27日
筑紫諸国の庚午籍七百七十巻に官印を印した。

 当初、庚午年籍にはそれぞれの国の国印あるいは官印が押されていたはずだ。あるいは九州王朝の官印だったかも知れない。①の勅令に従って、ヤマト朝廷はそれらを提出させて新たに近畿王朝の官印(たぶん太政官印)を押して、太政官府の書庫など、しかるべき所に一括管理・保存したと思われる。

 ではなぜ、庚午年籍保存の勅命を下してから24年も経ってから、筑紫諸国の庚午年籍に官印を押す記事が記録されたのだろうか。 ヤマト朝廷は727年になってようやく筑紫諸国の庚午年籍を入手できたと考えるほかない。九州王朝の武装抵抗勢力は708年頃には掃討された( 「九州王朝関係書物は「禁書」として処分された。」 を参照してください)ようだが、非暴力抵抗勢力はなお残存していただろう。 「「天智紀」(54)」 の「追記」で述べたように滅亡した九州王朝の残映は100年後、あるいは300年後にも残っている。ヤマト朝廷はその残存抵抗勢力が隠し持っていた庚午年籍を、ようやく727年になって探り当て没収したのではないか。筑紫諸国の戸籍には一目で九州王朝の存在がわかる資料がてんこ盛りだったはずだ。これを奪い取ったことはヤマト朝廷にとって特筆すべき事件だったに違いない。

 庚午年籍が筑紫諸国のみならず、すべての国に返されることなく、ヤマト朝廷が一括管理したという私の仮説を検討してみよう。

 まず状況証拠。
 初期のヤマト朝廷は倭国の行政制度を示す「評」を必死に隠そうとしてきた。『日本書紀』や『万葉集』では「評」をすべて「郡」に書き換えている。以後の戸籍の基準とするとしても、「評」だらけの庚午年籍を公示するわけにはいかないだろう。

 次に『続日本紀』の記事④と⑥を検討してみよう。

④764(天平宝字8)年7月12日(恐ろしく長い記事なので、面倒な方は赤字だけにして、あとは読み飛ばしてください。宇治谷孟訳をもとに、必要に応じて書き換えています。)
 これより先に、従二位少志文室(ふむや)真人浄三(じょうさん)らが次のように奏上した。
「謹んで去年12月10日の勅をうけたまわりますと、つぎのようであります。

〈紀寺の奴(ぬ)益人(ますひと)らが次のように訴えている。
紀袁祁臣(きのおけのおみ)の娘である粳売(ぬかめ)は木国氷高評(ひたかのこり)の人、内原牟羅(むら)に嫁いで、身売(みめ)・狛売(こまめ)の二人の子を産みました。急の事情があって、私が取りはからい寺家に住まわせ、寺の工人らの食事を作っておりました。その後、庚寅編戸の年(持続4年)の戸籍作成のとき、三綱(寺院の統括に当たる僧職)が人数を調べた時、彼らを奴婢としてしまいました。こういうわけで長い間、これを訴えてきたのですが、はっきり正す手だてがなく、空しく多くの年を過ごして、今に至るまで滞っております。幸いに今の天子の朝廷が、天下を照らし治められる時代になりましたので、今まで心のふさがり晴れなかった思いを述べさせて頂きます。謹んでお願い申し上げることは、名を正して頂きたいということであります』。
 人が賤民となったり、良民となったりすることは、因果があってのことである。身分の浮き沈みには理由があり、その報いは必ず相応にあらわれる。所司はこの事情をよく承知して、仔細に浮沈の赴くところを推しはかって調べ、判断して報告せよ〉。

 そこで浄三らがつつしんでおごそかな勅の意を体し、古い記録の文をさがしましたところ、僧綱(そうごう)所にありました庚午年籍に、寺の賤民の名を記してある中に、奴の太者(たしや)と娘の糠売および糠売の子身売・狛売の名がありました。賤民のうち、両親のどちらかが奴稗であるため子どもが奴脾にされたものは、その理由が明らかにされているのに、大者と子はその理由が記されておりません。ある人が
〔戸令に『すべて戸籍は常に五比を保存し、古い年のものは順次廃棄せよ。但し近江大 津宮の庚午年籍は廃棄しない』とあります。これは庚午の年の年籍が氏姓の根本となるためで、後世、氏姓を偽り欺く者が真実を乱すことを防ぐためでしょう。従ってこれによれば、庚午の年の戸籍に賤民とあればやはり寺の賤民とすべきである〕
といい、またある人は
〔賞を行なうのに、功績が疑わしいときには重い方の賞に従い、刑に処する場合、罪が疑わしいときは軽い方の刑に処する、ということが古典に明記されています。どうしてこれを取らないでよいでしょうか。これによって改めて審議すれば、あるいは身分を上げて良民とすべきである〕
といいます。二つの説が対立しており、それぞれ長所を争っております。浄三らは愚かであって、どちらが正しいのか迷っております。軽はずみながら、自分たちの狭い意見を述べ、つつしんで天皇のご裁決を仰ぎたいと思います」。

 これに対する天皇の勅を承ったところ、「後の方の判断に拠れ」とのことであった。これにより益麻呂(益人)ら12人を賤民の身分から解放し、紀朝臣の姓を賜わった。
(まだ続くが、後は省略する)

 紀寺の訴えの件を「断して報告せよ」という勅命をうけた浄三(従二位だからかなりの高官)が、僧綱所に保管されている庚午年籍を調べたとう記事である。僧綱所というのは、岩波新古典文学大系『続日本紀』の脚注によると、僧尼統制機関で太政官奏により薬師寺に常設されていたという。庚午年籍の寺院関係の文書はそこに保管されていたというわけだ。それ相応の役職と理由をもった者にしか閲覧できなかったのではないか。

 なおテーマからは外れるが、この記事には注目すべき文言が二つある。一つは「庚寅編戸の年の戸籍作成」である。「持統紀」には戸籍記事が二つある。

689(持統3)年閏8月10日
諸国司に詔して曰はく、「今冬に、戸籍造る可し。・・・・・・」とのたまふ。

690(持統4)年9月1日
諸国司に詔して曰はく、「凡そ戸籍を造ることは、戸令に依れ」とのたまふ。

 もちろん九州王朝の事績の盗用記事である。庚午年籍のちょうど20年後に再び造籍が行われたことになる。岩波の補注は上の二つの記事を結びつけて、作り方が不統一だったので翌年「戸令に依れ」と指示した、と説明している。『続日本紀』では690年の干支「庚寅(こういん)」を用いて「庚寅年籍」と呼んでいる。『続日本紀』には庚寅年籍によって部姓を与える記事(和銅4年8月4日条)が1件あるが、上の記事のよれば、あくまでも庚午年籍が基準とされている。ちなみに、大宝律令以降の造籍は6年おきに行われている。

 もう一つは「木国氷高」。近畿王朝が必死に隠そうとしていた「評」がはからずも記録されてしまった。「上手の手から水が洩れる」ということわざがあるが、「下手の手からは必ず水が洩れる」と言おうか。そういえば、724(神亀元)年10月1日、聖武天皇も九州年号という水を漏らしていたっけ。「白鳳以来・朱雀以前、年代玄遠なり」と。

⑥ 773(宝亀4)年5月7日
 阿波国勝浦郡の郡領、長費人立(ながのあたいひとたつ)が次のように言上した。
「庚午の年に、長直の戸籍には皆〈費〉の字が使われました。このために前郡領の長直救夫が訴え出て、〈長直〉と改めて注記しました。ところが、天平宝字二年に、国司・従五位下の豊野真人篠原は、証拠となる記録はないとして、再び「長費」に戻しました」。
 太政官は判断して、庚午年の戸籍に従って決定した。
(以下略す)

 訴人は「庚午年籍では〈費〉は正しくは〈直〉と注記してもらったはずなのに、天平宝字2年の造籍では〈費〉に戻されてしまった」と訴えている。国司の豊野は「証拠となる記録はない」と言ってい訴えを却けている。一方、太政官は庚午年籍によって訴えを認めている。この記事からは、太政官は庚午年籍を閲覧できるのに対して、国司は「証拠となる記録」を確認するのに庚午年籍を使えなかったことを示している。つまり国司の手元には庚午年籍はなかった。

 なお、「古賀事務局長の洛中洛外日記」(第百十八話)で古賀さんは庚午年籍の保存はそれぞれの地域で行っていたと考えていて、次のような論拠を提出している。

 更に時代が下った承和6年(839)7月の時点でも、全国に「庚午年籍」の書写を命じていることから(『続日本後紀』)、9世紀においても、評制文書である「庚午年籍」が全国に存在していたことがうかがえます。

 私はこの庚午年籍書写の記事は、逆に、それまでは中央で保存管理していた証拠ではないかと考える。近畿王朝成立から1世紀以上もたった時代、近畿王朝の支配体制(律令制度)は盤石なものとなり、九州王朝の痕跡をあえて隠す必要もなくなっていた。そして庚午年籍はまだ戸籍の基準の役を担っていたが、もはや一括管理の必要もなくなった。各国毎に書写させて、各国にそれぞれの庚午年籍を保管させたのではないだろうか。もしかすると、書写の時に「評」をすべて「郡」に書き換えさせたかも知れない。
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