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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(75)

「天智紀」(63)


近江遷都(21):なぜ近江に?(1)


 昨日(21日)の朝、まだ寝床の中で半分寝ぼけながらラジオを聞いていた。するといきなり驚くべきニュースが飛び込んできて、すっかりと目が覚めてしまった。今日(22日)すべてのマスコミが大きく取り上げている「厚労省偽造文書」事件だった。そのときとっさに、「ああこれは日本の古代史学会と同じ構図だな」と思った。

 最近、袴田事件をはじめさまざまな冤罪事件が明るみにでてきた。それらには共通した冤罪を生み出す構図があった。被疑者を逮捕すると、まず検察がその被疑者を犯人に仕立て上げるストーリーを作文する。その作文に合わない証拠や証言は隠したり改竄したりする。その上で被疑者がその作文を認めないと、脅迫まがいの恫喝までしてむりやり自白を強いる。これが日本の検察の起訴率99.9パーセントの内幕だ。

 古代史学会はどうか。はじめに『日本書紀』というストーリーが作文されている。そのストーリーを守るために、作文に合わない考古学的事実や中国・朝鮮の史書は無視するか、ときには改竄まがいの書き換えも辞さない。全員がなれ合いをしているように、似たような論文を積み重ねて「定説」という誤謬だらけの理論を強固に支え合っている。このような学者たちの論文を読むのはもううんざりなのだが、何か画期的な新説がそろそろ出てくるのではないかというほのかな期待と、またそこに盛り込まれている考古学的事実を知るという目的をもって読みつづけている。

 テーマ「近江遷都」もおおづめになった。「なぜ近江か?」。
 この問題の最近の「定説」に何か新味がありやしないだろうかと、比較的新しい本・大津市歴史博物館編『近江・大津になぜ都は営まれたのか』(2004年の「古都大津・シンポジウム」をまとめたもの)を読んでみた。井上満郎(京都産業大学教授)氏の基調報告「古代近江の宮都論」が「なぜ近江か?」という問題を扱っている。「渡来人と渡来文化をめぐって」という副題がついているので、目指す地点は同じように思われた。その論文の核心部分を読んでいこう。(今までに提示したものと重複するものもあるが、井上氏が資料として提示している文章をそのつど挿入していく。)

 さきほどの渡来系氏族の分布図や、また、天日槍に象徴されますような渡来人の居住・定着、渡来人のもたらした文化・文明の近江の国への移入、ということが非常に頻繁に、繰り返し行なわれているということが、史料から読み取ることができるかと思います。

 とりわけて、後で引用いたしました神崎郡や蒲生郡への定住等に見られます660年代の近江国への渡来人の渡来は、重要な意味をもつのではないか、と考えております。これは有名な白村江(はくそんこう)の戦い、東アジア世界全体を巻き込んだ戦争というと少し近代的ないい方になりますが、日本・百済連合軍と、唐・新羅連合軍との間で、西暦663年にこの戦いは行なわれておりますけれども、その663年を中心とする前後の東アジア世界の対立と抗争というものの結果、百済が滅亡し、その百済からの渡来人がやってきたのが、この例でございます。

 ここで「渡来系氏族の分布図」と言われているのは 「近江遷都(16)」 で提示した「図1」と同じものである。これまでの私(たち)の理解では、滋賀郡に集住していた新漢人(あらきのあたひと)が近江渡来人の主体であった。白村江の戦い後の百済からの亡命者は神前郡・蒲生郡に土地を与えられた。

(ところで、学会ではいつから白村江(はくすきのえ)を「はくそんこう」と訓じるようになったのだろうか。)

 これらの人々は、『日本書紀』の天智天皇10年(671)正月の条(資料1)にも明示されておりますけれども、日本の当時の政権と申しましょうか、朝廷に様々なかたちで、「官僚」として出仕をした。日本の側から言えば、百済の滅亡とともにやって来た多くの人たちを、日本の朝廷、日本の政治に利用したということになります。つまりは、卑近ないい方をすれば、亡命してきた百済人たちの知識や智恵や技術というものを当時の日本は必要としていた。それらの技術や文明や知識というものによって、日本は国の仕組みを整えていつたということになるのではないかと思います。

(資料1)
 671(天智10)年正月条は百済からの亡命者50数名を吏官として採用する記事である。

 是の月に、大錦下(だいきむげ)を以て、左平(さへい)余自信(よじしん)・沙宅紹明(さたくぜうみやう)〈法官大輔ぞ〉に授く。小錦下(せうきむげ)を以て、鬼室集斯(くゐしつしふし)〈學職頭ぞ〉に授く。大山下(だいせんげ)を以て、達率(だちそち)谷那晋首(こくなしんしゅ)〈兵法に閑(なら)へり〉・木素貴子(もくすくゐし)〈兵法に閑へり〉・憶禮福留(おくらいふくる)〈兵法に閑へり〉・答[火本]春初(たふほんしゆんそ)〈兵法に閑へり〉・[火本]日比子賛波羅金羅金須(ほんにちひしさんはらこむらこむす)〈薬を解(し)れり〉・鬼室集信(しふしん)〈薬を解れり〉に授く。小山上(せうせんじやう)を以て、達率徳頂上(とくちやうじやう)〈薬を解れり〉・吉大尚(きちだいじやう)〈薬を解れり〉・許率母(こそちも)〈五経に明(あきらか)なり〉・角牟(ろくふくむ)〈陰陽に閑へり〉に授く。小山下を以て、餘(あたし)の達率等、五十餘人に授く。童謡(わざうた)して云はく、
橘(たちはな)は 己(おの)が枝枝(えだえだ)生(な)れれども 玉(たま)に貫(ぬ)く時 (とき)同(おや)じ緒(を)に貫(ぬ)く


ちなみに、この童謡について、岩波の補注は次のように解説している。

「橘の実はそれぞれ異なった枝に生っているが、それを玉として緒に通すときは、同じ一つの緒に通すの意
 生れや身分・才能が異なっている者を、共に叙爵し、臣列にひとしく並べた政治を、ひそかにとがめて、やがて起る戦乱を諷した童謡。」

 これらの人々は、申し上げましたように、百済の滅亡とともに百済からやってきました人々が大半でございまして、これらの人々の日本への貢献がこの史料で知られますが、さらに、次の「神寵石(こうごいし)と古代山城(やまじろ)の分布図」も同様のことを知る資料として用意をしたものです。

山城・神籠石
(クリックすると大きくなります。)

九州から、正確には対馬(つしま)から、高安城(たかやすのき)(大阪・奈良の県境になりますけれども) に至りますまで、多くの山城が建設され、これらの山城(朝鮮式山城といういい方をしますが)の建設に、百済人たちが大きく貢献をしたことは史料の上からも明らかにすることができます。たとえば、『日本書紀』天智天皇4年(665)8月条(資料2)などのとおりです。これらの人たちの知識や技術というものを借りて、山城という「防衛施設」(さらに卑近ないい方になりますけれども)の、建設が可能になったということが考えられます。

(資料2)
665(天智4)年8月
 秋八月、達率(だちそち)答[火本]春初(たふほんしゆんそ)を遣して、城を長門の國に築かしむ。達率憶禮福留(おくらいふくる)・達率憶四比夫(しひふくぶ)を筑紫國に遣して、大野及び椽(き)、二城を築かしむ。

 ここは「定説」というストーリーにすっかりと取り込まれた記述になっている。『近江・大津になぜ都は営まれたのか』には書名と同じ表題の討論が記録されたいる。井上氏はその討論のコーディネーターを務めていて、冒頭部分の発言の中で次のよに述べている。


さきほどの基調報告で紹介しました「古代山城の分布図」のように、朝鮮半島からの日本への侵略というものを意識して、多くの山城が造られております。近代的ないい方になりますが、投下された労働力、投下された経費は、その当時とすれば莫大なものとなります。どこかの山城をご見学になった方はすぐにお分かりと思いますが、すごい山の上に巨石を積んで防御施設を造っております。現在発見されているのは20数遺跡ですけれども、それを造っているということは、やはり当時の政権が唐や新羅の侵略・攻撃に恐怖を感じていたと受けとれる有力な資料と考えられます。というよりも、そう理解する以外に、瀬戸内海沿いにあれだけ多くの山城が建設された、軍事施設が建設されたという理由は、解けないのではないかと思います。

 山城を実際に見学して「投下された労働力、投下された経費は、その当時とすれば莫大なものとなります」という認識を持っている。もし神籠石や山城が『日本書紀』の記録の通り天智が造営したものだとすると、その何十年も掛かりそうな厖大な労働力を必要とする工事が一年足らずの短期間のうちに完成したことになってしまう。 『「白村江の戦」の戦後処理(5)』 で紹介したように、九州歴史資料館による試算では「一年間でこの「水城」を完成させるには延110万人強の労働力が必要である」という。

 井上氏はこのような矛盾には一向に頓着しない。「定説」という膜に覆われて、もうすっかりと目が曇っている。また、それらの軍事施設の築造年は、近年の理化学的年代測定(年輪測定・炭素14放射能測定)では、5~6世紀初めとされていることもまったく無視している。そして「やはり当時の政権が唐や新羅の侵略・攻撃に恐怖を感じていたと受けとれる有力な資料と考えられます。というよりも、そう理解する以外に、瀬戸内海沿いにあれだけ多くの山城が建設された、軍事施設が建設されたという理由は、解けないのではないかと思います」と、無理なこじつけで満足してしまう。「古都大津・シンポジウム」に何人の学者が参加していたかは不明だが、この問題を質問した者が皆無だったことだけは確かだ。たいした学者集団だ。

 この問題はすでに何度も取り上げてきているので、もうこれ以上の突っ込みはやめよう。
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