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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
詩をどうぞ
 あるいは「近江遷都」番外編


安西均作「老女帝毒殺顛末」


 「老女帝毒殺顛末」をぜひ読みたいものと、その作品を収めているという五月書房版『安西均詩集』を探し求めた。いつも利用している区立図書館にはないので、他の区立図書館も調べた。どこにもない。都立図書館ならあるだろうと調べたが、ない。国立図書館を調べた。そこにやっとあった。でもこの暑いさなか、国立図書館までのこのこ出かけて行くのはおっくうだ。

 最後の頼みはネット。Amazonに3冊出品されていた。さっそく古書森羅さんのものを注文。しっかりとした丁寧な包装ですぐに送ってくれた。現物を見て、国立図書館以外に置かれていないことに納得。なんと1000部限定本なのだった。出版年は1975年だった。なお、安西さんは1994年に亡くなられている。享年74歳だった。合掌。

 さて、まず「後記」から「老女帝毒殺顛末」について述べている部分を転載しよう。

「老女帝毒殺顚末」は、本文および脚註ともに、このたび加筆をおこなった。この作品では、かならずしも女帝を毒殺した犯人を明記する必要はないし、暗示にとどめておいてもさしつかえないわけだが、その暗示の表現にあいまいさが残っている。したがって、西征行の不安な雰囲気描写にしかとどまらなかったことが、大きな欠点の一つであろう。

また、わたくしの創作した部分(*符のない部分)の語彙や語法にも少なからぬ誤りがありはしないかとおそれる。日本書紀のテキストとしては、黒板勝美の訓読(岩波文庫版)と、武田祐吉校註本(日本古典全書版)とを持っていて、拙作の引用には後者を用いた。岩波の日本文学大系版が出たのは、その後だった。

 手元にある岩波大系版の奥付を調べたら、初版は昭和42(1967)年だった。つまり「老女帝毒殺顛末」はそれ以前に書かれたことになる。古田さんの『失われた九州王朝』が出版されたのは1973年だから、「老女帝毒殺顛末」を書かれた頃、安西さんは古田さんの「九州王朝」説をご存じなかった。しかしその詩は「日本書紀私補」という形式で書かれているので、「九州王朝」説を取り入れたとしても、その内容に大きな変化はないと考えてよいだろう。とうぜん私は、『日本書紀』を読むときと同じように、九州王朝を念頭において読んだ。

 では「老女帝毒殺顛末」を紹介しよう。ただし『日本書紀』からの転載部分(*符のついている部分)は「*符」を付す代わりに青字で示すことにした。従って、黒字部分が安西さんによる創作あるいは他の条からの追加行である。また脚注のうち短いものは本文中に〈 〉で付すことにした。その他の脚注は私が必要と考えたものだけを詩の最後に付すことにした。さらにまた、「ふりがな」についても現代文と同じ読みや重出のものは省いた。

老女帝毒殺顚末
   日本書紀私補・附脚註

七年の春正月(むつき)、
丁酉(ひのととり)を朔(ついたち)
 とする壬寅(みづのえとら)
 の日〈6日〉、
御船、西に征きて、
始めて海つ路(みち)に就きき。
難波の潟に蘆いまだ芽ぐまず。
稲見の海に御船泊(は)てて、
 〈稲見=印南〉
宴(うたげ)したまふ。
中大兄皇子、口號(くつうた)
 して曰(のたま)はく、
  香具山は 畝火雄々しと
  耳梨と 相あらそひき
  神代より 斯くにあるらし
  古昔(いにしへ)も 然(しか)
   にあれこそ
  うつせみも 嬬(つま)を
  あらそふらしき
    反歌
  香具山と耳梨山とあひし時
  立ちて見に来し印南(いなみ)
   国原〈『万葉集』13・14番〉
重ねて口號して曰はく、
 わたつみの 豊旗雲に
  入日見し今夜の
  月夜(つくよ)さやに照りこそ
    〈『万葉集』15番〉
 
癸卯(みづのとう)の日〈7日〉、
風甚(いた)く吹きつのりて、
流失(ながれう)せし軍船
 (いくさぶね)三艘。
或(あるひと)は曰(い)ふ
風に隠れて逃亡(にげはて)
 しか、と。

甲辰(きのえたつ)の日〈8日〉、
御船、大伯(おほく)の海に
 到りき。
時に大田姫皇女
 (おほたひめのひめみこ)
 〈大海人の妃〉、女(ひめみこ)
 を産みたまひき。
仍(よ)りて是の女に
 名(なづ)けて
大伯皇女と曰(まを)す。
天皇(すめらみこと)、
 御膝(みひざ)に手抱(ただ)
 きて愛(いつくし)みたまふ。
倭姫王(やまとひめのおほきみ)
 〈中大兄の正妃〉、抱きて
 愛みたまふ。
鸕野讃良皇女〈後の持統〉
 (うののさららのひめみこ)も、
 愛みたまひき。
中大兄皇子、「女ならば
数ならず」と曰ひき。〈注1〉
中臣鎌足、
寿言(よごと)奏(まを)しき。

丙午(ひのえうま)の日、〈10日〉
夜陰(よのやみ)にまぎれて
船を反(かへ)すものあり。
追ひて捕へ、ことごとく斬る。
首謀者(おもだちたるもの)を
 検(ただ)し、
 髪に綱(つなゆひ)、
艫(とも)に繋(つな)ぎて曳く。
大海人皇子(おほあまのみこ)、
 曰はく、
何故(なにすれ)ぞ逃亡(に)げむ
 とはしつる、と。
駿河の国壮(をとこ)、
畏れかしこみて答へて曰(まを)
 すらく、
「僕(やっこ)、軍(いくさ)に
 徴役(めしいだ)さるる前は、
勅(みことのり)をかがふりて
 船(みふね)造りしが、
巳に訖(をは)りて、挽きて
績麻(をみ)の郊(の)に
 至れる時、
その船、夜中に故無くして、
艫舶(へとも)相ひ
 反(かへ)れり。
衆(ひとびと)、終(つひ)に
 敗れむことを知りき」。
また科野(しなの)の国の壮、
「先年(さきつとし)、天皇、
諸(もろもろ)の軍の器(つはもの)
 を備へたまふに、
蠅(はへ)、群れて西に向ひて、
巨坂(おほさか)を飛び踰(こ)ゆ。
大きさ十圍許(とをだきばかり)、
高さ蒼天(おほぞら)に至れり。
或(あるひと)は、救の軍の
 敗績(やぶ)れむ怪(しるまし)
 といふことを知りき」。

庚戌(かのえいぬ)の日〈14日〉、
御船、伊豫の熟田津の石湯の
行宮(かりみや)に泊てき。
天皇、額田王(ぬかたのおほきみ)
 をして歌を献らしめたまふ。
皇太子(ひつぎのみこ)の妃(みめ)、
 すなはち作歌(みうたよみ)
 したまはく、
  熟田津に船乗りせむと
  月待てば潮もかなひぬ
  今は漕ぎ出でな
と歌ひたまひき。
この御歌の意(こころ)は、
  難波の津を出でしより
  このかた、夜天(よぞら)に
   懸(かか)る月も
  繊(ほそ)くして、潮(うしほ)は
   浅く
  御船の船足いと重かりしが、
  天然の摂理(ことはり)は誤つ
   ことなく、
  御軍を推進(おしやら)むとす。
  見よ、
  今夜は清明(さやけき)十四夜
   なれば、
  月も円(まどか)に潮満てり。
  いざ 舟子(かこ)よ 
   兵(つはもの)よ
  志気(こころ)ふるひて
   漕ぎ出だせ。
と曰(のたま)へるなり。
故(かれ)、御船、早春
 (はやきはる)の潮の香を
 截(き)りて進みき。

三月(やよひ)、
丙中(ひのえさる)を朔とする
 乙巳(きのとみ)の日〈10日〉、
企救(きく)の浜に泊てき。〈注2〉
頃日(このひごろ)、毒ある
 海つ魚(うを)を啖(くら)ひて
 死す兵多(あまた)ありき。

丁末(ひのとひつじ)の日〈12日〉、
岡の水門(みなと)に泊てき。
          〈注3〉
この夜(よひ)、船中(ふねのなか)
 に宴したまひき。
宴半(なか)ばにして、皇太子、
大海人皇子の妃(みめ)に
 淫(たは)け、〈注4〉
「妃が齢は十六(とをあまりむつ)
  か、睦(むつ)みたや」と
歌ひいでたまひき。
大海人皇子、突差(つと)、
御酒盞(みさかづき)を海に投げ
 棄(う)て、
立去りたまひき。〈注5〉
鸕野讃良皇女、
 夫君(いろせのみこ)の袖(みそで)
  を執りて宥(なだ)めたまひき。

庚申(かのえさる)の日〈25日〉、
御船、還りて〈注6〉
娜の大津に至り、
磐瀬の行宮に居(ま)しましき。
天皇、此(ここ)を改め名(なづ)
 けて
長津と宣(の)りたまひき。

五月(さつき)、
乙未(きのとひつじ)を朔とする
 癸卯(みづのとう)の日〈9日〉、
天皇、
朝倉の橘の広庭の宮に
遷り居しましき。
この時、朝倉の社(やしろ)の木を
斮(き)り除(はら)ひて
 此の宮を作りき。
故、神忿(いか)りて殿(おほとの)
 を壊(こぼ)てり。
また宮中(みやぬち)に鬼火
 見(あらわ)れき。
是に由りて、
大舎人(おほとねり)と
 諸(もろもろ) の近侍
 (さもらひびと)と、
病み死ぬる者衆(おほ)かりき。

甲寅(きのえとら)の日〈20日〉、
皇太子、長津に往(ゆ)きまして
軍(いくさ)の器(つはもの)の
 備へを
 検視(あらため)たまふ。
その夜更(よふけ)、再度
 (またしても)、
天皇の座所(おはしますところ)
 の近くにありて、
おびただしく鬼火跳び飛びき。
諸(もろびと)、逃げまどふ中に、
怪(け)しき装(よそほひ)の者
 一人ありき。
中臣鎌足、是を揃へて訊(ただ)
 すに、
大海人皇子に仕ふる雑士(ざふし)、
と曰しき。ただちに、
大海人皇子の属(ま)します
 館(たて)に
率(ゐ)て往く。皇子、すなはち
壮を一瞥(ひとめみる)や、
御劔(みたち)を放ちて斬り
 捨(う)てたまひき。

六月(みなづき)、
伊勢王(いせのおほきみ)、
 薨(みまか)りき。〈注7〉
是の朝、猿沢の池のほとりに、
          〈注8〉
一壮(ひとりのをとこ)ありて、
 童謡(わざうた)を唄へり。
そは大倭(やまと)の国にて、
民の謡へる童謡なりき。〈注9〉
壮、歌ひ終りて、
池に身を投げき。
池を捜させしに、死屍(なきがら)
 失(う)せたり。
衆(ひとびと)、恐れて
 私(ひそか)に語るらく、
「神、軍を戒めたまひて、
かかる怪(しるまし)顕(あらは)
 せり」
 と曰へり。

秋七月(ふみづき)、
甲午(きのえうま)を朔とする
 丁巳(ひのとみ)の日〈24日〉、
天皇、
朝倉の宮に崩(かむあが)り
 たまひき。
是の日、皇太子、大海人皇子、
ともに長津に往きて、
軍器を検視たまひき。〈注10〉
天皇、鸕野讃良皇女と
猿沢の池のほとりを
 逍遙(たもとほり)、
土人(むらびと)が献りし橘の
香(かぐ)の木(こ)の実を
 賞味(を)したまひき。〈注11〉
宮に還りたまふや、
遽(にはか)に苦しみ悶えたまふ。
皇女、近侍(さもらひびと)を
 退(そ)けて
看病(みとり)したまへるも、
刻(とき)を移さず崩りたまひき。
一舎人(あるとねり)ありて曰ふ、
 「皇女、橘の実を食したまは
  ざりき」。
其の舎人、誰人(いづれのもの)
 によりてか、
暁をまたず、
脾(わきばら)を刺されて死に
 ゐたりき。

八月(はつき)、甲子(きのえね)
 の朔の日〈1日〉、
皇太子、天皇の喪(みも)に
 従(ゐまつ)りて、
遷りて磐瀬の宮に至りたまひき。
この夕、
朝倉の山の上に鬼ありて、
大笠を著けて
喪の儀(よそほひ)を臨み視き。
衆皆(ひとびと)、
 嗟怪(あやし)みき。

冬十月(かむなづき)、
癸亥(みづのとゐ)を朔とする
 己巳(つちのとみ)の日〈7日〉、
天皇の喪、帰りて海に
 就(ゆ)きき。


〈注〉(〈 〉内は私の補足)

(1)
 実力者でもある実弟に、男子が生まれなかったことをひそかに喜んでいるのである。
 中大兄皇子にしてみれば、後継者としたいわが子の大友皇子(のちの弘文天皇)は、この時まだ十三歳にしかすぎない。

(2)
 今の福岡県北九州市小倉区の海岸。

(3)
 今の福岡県遠賀郡芦屋町の海岸。

(4)
 名未詳。大田姫皇女や鸕野讃良皇女でないことは明らかである。なぜなら、この二妃とも中大兄皇子の娘たちであり、実父が淫けかかるはずはない。

(5)
 これに似た事件が、後年にも生じた。中大兄皇子は都を近江の国に遷した翌年(668年)正月に、正式に即位した。ある日群臣を召して、琵琶湖にのぞむ高殿で酒宴を催した。その席でどうしたことか、大海人皇子が長槍をとって、広間の敷板を刺し貫いた。天皇はその無礼を怒り、捕えて殺そうとしたのを、中臣鎌足が割って入り、事なきをえた。『大織冠伝』にある挿話だ。

(6)
 さきの熟田津からここまで二カ月半も経ている。備中国風土記逸文によると、熟田津に到るまでの途中で兵二万を徴用したという記事がみえる。これから想像して、熟田津での滞在はかなり長期で、徴兵に手間どっていたのであろう。「御船、還りて」とは、熟田津は寄り道であったが本来の航路に戻って、という意味である。〈私は筑紫着をわざと遅らせていたと解釈した。〉

(7)
 伊勢王は伝未詳。しかも死因不明だが、なんとなく不吉な死だったことが想像される。〈私は伊勢王を筑紫傀儡政権の長と考えた。私も伊勢王とその弟王の相次く死を「なんだか尋常でなさそうだ」と書いた。〉

(8)
 現在、朝倉の宮址といっても、何一つ遺構はない。ただ「猿沢の池」という地名は残っている。「天子の森」などは後代の仮託であろう。

(9)
 「わらべうた」ではない。政治などに対する諷刺の歌。「わざ」は、隠された意味、ということだが、よく児童に歌わせたので「童謡」と書く。
 駿河の男、信濃の男らが報告したように、出兵の当初から不吉な異変があちこちに起こるとともに、奇怪な諷刺歌が流行した。そのわざうたは、今日の学界でも完全に解説されていない謎の難訓歌であるが、ほぼ出兵の不成功を諷刺したもののようだ。
 本編では省略するが、そのわざうたを朝倉の宮でもひそかに歌う者がいたのであろう。
〈ちなみに、安西さんが省略した「わざうた」次のようである。まったくのチンプンカンプン歌だ。〉
「まひらくつのくれつれをのへたをらふくのりかりがみわたとのりかみをのへたをらふくのりかりが甲子とわよとみをのへたをらふくのりかりが」

(10)
 中大兄と大海人と、兄弟の皇子がつれだって、長津に軍備点検に出かけた。その留守に、生母の斉明天皇が急死するという、思いがけない事件がおこつたのである。〈「中大兄と大海人が兄弟」ということに、私は疑念を持っているので私の記事ではまだ大海人を登場させていない。安西さんは老女帝毒殺の張本人は大海人と暗示している。〉

(11)
 タチバナは食用ミカンの古名。今日、ニホンタチバナなどとよぶ、食用に適さない品種とは別のもの。
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