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《真説古代史・近畿王朝草創期編》(64)

「天智紀」(52)


近江遷都(10):斉明の死


 7世記までの古代史では、九州王朝の史書をぐちゃぐちゃに切り貼りした偽史書『日本書紀』しか残されていないので、文献面ではどんな仮説でも成り立つような状況にある。実際、一つの事項をめぐって実に多くの仮説が競合している。複数の仮説の中から生き残る仮説を決定するのは、中国・朝鮮の史書と考古学的遺物との整合性である。その整合性に耐えられるのは古田古代史だけであると、私は確信している。

 ところで、筑紫に到着した斉明の居処は、磐瀬行宮→朝倉橘広庭宮と変わるが、その宮跡はともに不明である。つまり考古学的遺物がない。もし宮跡がわかれば、そこからの出土物によって、筑紫にやってきたヤマト王権の主要人物たちの筑紫における動向がある程度は解明されよう。しかし、それは無いものねだり、今は欠陥文献と想像力に頼るほかない。というわけで、以下は私の貧しい想像力が生み出した私独自の仮説です。

 さて、磐瀬行宮の大体の位置は、 「x皇子とは誰か(5)」 で明らかにした。福岡市と春日市のちょうど中間点あたり。朝倉宮は福岡県朝倉郡のどこかと言うことになろう。朝倉市あたりとすると、磐瀬行宮から東南におそそ30㎞ほどの地点になる(「定説」は「朝倉町山田」と比定している)。だいぶ奥まったところに移っている。

 「天智紀」が記録している新羅征討隊27000人を率いた将軍は次の6人である。

前将軍
①上毛野君稚子(かみつけのきみわかこ)
②間人連大蓋(はしひとのむらじおほふた)
中将軍
③巨勢神前臣訳語(こせのかみさきのおみをさ)
④三輪君根麻呂
後将軍
⑤阿倍引田臣比邏夫
⑥大宅臣鎌柄(おほやけのおみかまつか)

 ここには全体を統率する最高司令官の記録がない。隋・唐の高句麗征討では必ず皇帝も従軍していて総指揮を執っている。倭王武の上表文に「昔より祖禰(そでい)躬(みずか)ら甲冑(かっちゅう)を擐(つらぬ)き、・・・」とあるように、国家間の戦闘では王が総司令官を務めるしきたりは九州王朝も例外ではない。新羅征討の最高司令官はとうぜん筑紫の君・薩夜麻だ。『日本書紀』編纂者はこの名をカットしている(しかし後の方で馬脚を現している。いずれ詳しく取り上げる予定です)。

 では6人の将軍たちはどこの部族の王たちだろうか。①は分かりやすい。上野国王だ。⑤が越国王であることすでに「北方遠征」で確認している。他の4人については不明だが、九州王朝の総力を挙げての遠征だったことが伺える。この征討隊にヤマト軍が入っていない理由として「斉明の死」を挙げるひともいる。しかし私(たち)の立場では斉明は死んではいないのだから、理由は別になければならない。

 ところで斉明が朝倉宮に遷ったときの記事に奇妙な記録がある。

天皇、朝倉橘廣庭宮(あさくらのたちばなのひろにはのみや)に遷りて居(おはし)ます。是の時に、朝倉社の木を斮(き)り除(はら)ひて、此の宮を作る故に、忿りて殿を壊つ。亦、中に鬼火見(あらは)れぬ。是に由りて、大舎人及び諸の近侍、病みで死(まか)れる者衆(おほ)し。

 この噂を広め、斉明の病に罹ったことにしたのではないか。あるいは、原因はもちろん祟りなどではないが、本当に病に罹ったのかも知れない。斉明の死亡記事がとても唐突なのだ。多くの場合、「天皇病疾したまふ」(「孝徳紀)とか「天皇、寢疾不豫(みやまひ)したまふ」(「天智紀」)とか、死の予兆を示す記事がある。斉明紀にはそれがなくいきなり死亡記事だ。しかもその死亡記事の次の条にのも怪異説話を記録している。

皇太子、天皇の喪を奉徙(いまつ)りて、還りて磐瀬宮に至る。是の夕に、朝倉山の上に、鬼有りて、大笠を著て、喪の儀(よそほい)を臨み視る。衆皆嗟怯(あやし)ぶ。

 これは斉明が朝倉社のの祟りで死んだことを匂わしているものと思われる。つまり斉明の死が尋常ではなかったことを示しているのではないだろうか。とっぴょうしもない説と一笑に付されそうだけど、斉明は毒殺された?

 ここに来るまで考えもしなかった考えが出てきてしまって、自分でも驚いている。どうやら 「詩をどうぞ:安西均作「実朝」・「頬白城記」」 で引用した次の文と私が進めている議論が、頭のどこかでドッキングしたようだ。

「安西氏は661年のチクシにおける異常な事態を、長詩「老女帝毒殺顛末」に記している(『安西均詩集』五月書房版)。」

 これを読んだときには「チクシにおける異常な事態」とは何なのか分からなかったが、もしかするとそれは朝倉社のの祟りのことではなかっただろうか、と思い至ったのだった。

 斉明は毒殺された。 誰に? 中大兄に。どうして?

 とんでもないことになって来ちゃった。どうしよう!?
 仕方がない。と、あわてて予定していた表題「中大兄はどこに?」を「斉明の死」と書き変えました。
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