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524 「良心の自由」とは何か(18)
伊藤博文の留学
2006年6月14日(水)

 1882年(明治15)、ドイツに留学した伊藤博文はシュタインに師事した。伊藤はそこで何を 学んだのか。
 伊藤はシュタイン氏に面会した翌々日(8月11日)、岩倉具視あての書信を したため、シュタイン氏の講義により、「英米仏ノ自由過激論者ノ著述」を過 信すべからずとの「道理」を教授され、「心私ニ死處ヲ得ル(ヽヽヽヽヽ) ノ心地」と異常な歓喜の情を述べました。

 さらに8月27日づけの参議山田顕義に与えた書翰では、「仏国革命の悪風に 感染してはいけない」「かの教唆煽動家の口車に乗らないこと」を教えられ、 大いに「前日の非を覚った」と告げています。

 何も伊藤が「前日」「教唆煽動」の「自由過激論者」だったわけではないの で、彼がいかに中江兆民の在野民権論者に悩まされ、やがて(この年から日本 各地で)激発する自由党左派の暴動に恐怖していたかが察せられます。

 伊藤は「教唆煽動」の「自由過激論者」封じ込めの秘法をシュタイン氏か ら授けられ、意気揚々とロンドンにわたったのが1883年の3月初めですが、そ の日の14日(伊藤の二ヵ月のロンドン滞在中)、ヨーロッパの生んだ最大の 「教唆煽動」の「自由過激論者」マルクスは同じロンドンの一角で絶命しま した。

 老教授シュタイン氏が壮年の伊藤に「教唆煽動家の口車に乗るな」と教える時、 氏の脳裏には、かつて同じ道を共に歩んだマルクス、共産党宣言を発してヨーロ ッパの社会運動に激震を加えたマルクスのことが念頭にあったのは確実と言えま しょう。


 では、伊藤はシュタインからどのような「秘法」を授けられたのか。

「神道ハ御国ニテ国体ヲ維持スルニ必要ナルヲ以テ之ヲ宗教二代用シテ自ラ宗 教ノ外二立テ、国家精神ノ帰嚮スル所ヲ指示シ、儒仏及西洋諸教等ハ人民自由 ノ思想二任セ、法律ノ範囲内二於テ之ヲ保護シ教義上固ヨリ之二干渉スベカラ ズ、而シテ国家ノ監理スベキ者三アリ、宗教ハ内政二関セズ、裁判二関セズ、 外交二関セザル等是レナリ。」 (海江田信義「須多因氏講義」)

 この講義録を初めて読んだとき、私は「靖国神社」問題の核心がすっかり分 かったと思った。
 古田さんはこの講義録を引用して次のように論述している。

 19世紀末、ドイツ国家学者シュタイン氏が伊藤博文に与えたこの訓戒は恐ろし いほどその後のわが国の(明治・大正・昭和にわたる)進路と運命を規定してい ます。氏は自らの国家学の構想、自らの研究の帰結を東方の未開・後進国の国家 構想に正確に適用したものと思われます。

 自らはその実質を知らず、おそらくは低級・野蛮の宗教として軽侮していると 思われる「神道」を近代日本の「国家精神」にせよとズバリと指示しているとこ ろに、氏の冷たい理性が見事にあらわれています。

 しかし、こういう提言の背後には、ヨーロッパ近代国家が、「信教の自由」を 表面となえつつも、その内実、国家理性として「キリスト教精神」を裏打ちして いるという、氏の国家学上の見識が横たわっていたはずです。

 その「キリスト教精神」とはこの論述で明らかにされたように、「国教化」さ れたヨーロッパ単性社会の(異端・異教排除後の)キリスト教です。しかもそれ が「新教」「旧教」という具体的宗教を超越している限りで、一種の「非宗教」 の神として、国家の法の背後に厳然と君臨していることを氏の研究は見抜いてい るようです(個々の宗教(=宗派)から離れた「神」は「信教の自由」の 上に(ヽヽ)立つ自明の存在なのです)。

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