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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(60)

「天智紀」(48)


近江遷都(6):「斉明紀」の北方遠征(5)「蝦夷国」の範囲


 中国側(唐)はなぜ「蝦」という字を選んだのだろうか。前回、「(東夷の)さらにはるかなる彼方」という意味で、「叚」を選び、それを卑語「蝦」に転換した、と考えた。しかし「はるか」という意味をもつ漢字は「叚」だけではないだろう。例えば「遥」とか「悠」などがある(まだあるかもしれないが、私にはこれしか思い浮かばなかった)。それらの中から「叚」を選んだのにはそれなりの理由があったはずだ。漢字のもう一面の要素、「音」で選んだと考えるしかあるまい。唐が聞き知った蝦夷国の民族名が「叚」と類似していたのだ。

 それでは「叚」または「蝦」はどのような「音」を持っているだろうか。漢和辞典(漢語林)を調べてみた。「叚」は「漢音カ、呉音ケ」、「蝦」は「漢音カ、呉音ゲ」。ところが古田さんは「蝦」の音を「カイ」として論を進めている。古代中国音には「カイ」があったのだろうか。ちなみに「漢語林」の「叚」には「はるか」という意味もなかった。古田さんは『諸橋大漢和辞典』をよく用いている(あるいは別に出典があるかも知れない)。私には調べる手立てがないので、ここは古田さんを信じて先へ進もう。

 蝦夷が「カイ」またはそれと類似の「音」で呼ばれたことがあるのだろうか。ここで古田さんは、民俗学者・荻原真子(おぎはらしんこ)氏の論文「アムール下流域の『クイ』に由来する氏族について」を取り上げている。
(上記論文の冒頭部分)
「アイヌに対して、アムール川下流、サハリン地域の住民のうち、トゥングース・満州系諸族はKui、ニヴヒはkuyiをもって呼称としている」

 このあと、氏は、「クイ」と呼ばれたアイヌ人たちが、黒竜江の中・下流流域に移り住んでいたこと、さらに、アイヌの神話・習俗がウリチ族などの習俗の中に、深刻な影響をとどめている状況を、手がたい手法で叙述しておられる。

 この指摘のもつ意味の重大さ、それは、この一両年、にわかにクローズアップされた。なぜなら、約二万年前、北海道の十勝石(黒曜石)が、この黒竜江中・下流流域に分布している。その事実が確認されたからである。

 もとより、荻原さんの分析と、この分布事実とが、果して正確な対応をなすか否か。未知だ。未知だけれど、注目せざるをえぬ。未来の課題。そのように見なすことは、おそらく許されるであろう。

 ともあれ、今の問題。それは、あの粛慎氏、黒水靺鞨(まっかつ)が、日本列島近辺のアイヌ族を「クイ」と呼んでいたこと、その可能性がきわめて高いことだ。

 その黒水靺鞨が、唐代「靺鞨」と呼ばれていたこと、「唐~靺鞨」間に遣使・交流のあったこと、『旧唐書』靺鞨伝の詳細に語るところ。とすれば、この両国間に、この「クイ」族の存在が“情報交換”された可能性も、十分ありうるのではあるまいか。

 荻原氏は、この「クイ」の名が文献上に現われるのは、「元明朝以降」として、慎重な筆致を保っておられるけれど、もし、この、

「クイ → 蝦夷」

の関係が成り立つとすれば、「唐朝」にさかのぼる事例となろう。

 ともあれ、この場合も、もちろん「断案」となすことはできないけれど、問題解決のため、見のがしえぬヒントが、ここに隠されているのではあるまいか。

(すでにのべたように、『日本書紀』では「渡嶋の蝦夷」と呼ばれているのが、このアイヌ族のようである。従って「蝦夷」と「アイヌ」とは、全同〈百パーセント同じ〉ではないけれど、反面、無関係ではない)。

 上の引用文に「「黒水靺鞨」という国名が出てきている。この国名に私は初めて出会った。調べてみた。

 靺鞨は一時期「渤海靺鞨」と「黒水靺鞨」とに分かれて共存していた。「黒水」というのは黒竜江のことで、「黒水靺鞨」は黒竜江をふくむ広大な地帯を領土とした国で、「渤海靺鞨」は、その西(現在の中国の東北地方の西半部)を領域としあた国である。

 さて、それでは唐によって「蝦夷」と表記された国はどのようは領域を占めていたのだろうか。『日本書紀』・『続日本紀』は北方の国の呼称として「蝦夷」と「陸奥」を併用している。この二つの呼称をどのように使い分けているのか。古田さんは、まず多賀城碑の解読から説き起こしている。多賀城碑の最初の里程記載部分は次のようである。


 │    去 京一千五百里
 │多賀城 去 蝦夷国界一百廿里
 │    去 常陸国界四百十二里
 │    去 下野国界二百七十四里
 │    去 靺鞨国界三千里
西│……
 │……



 この里程記述を従来の「定説」は
『「蝦夷国」を、岩手県以北とし、宮城県以南を「陸奥国」とする』
と読み取った。つまり、岩手県と宮城県の県境の近辺が「蝦夷国界」と見なしている。

 これに対して、古田さんは
『蝦夷の西の国界は、宮城県と福島県との県境付近』
と解読している。(論証は省きます。興味のある方は 「『真実の東北王朝』第一章 多賀城碑探求」 をご覧下さい。)

 「定説」の成り立たないことを、古田さんは『続日本紀』の記録を用いて、次のように論述している。

 だが、もしこのような「政治地図」(「定説」のこと)が真実(リアル)だとしたなら、当然、「蝦夷」には、少なくとも、二種類あることとなろう。

(A)蝦夷国の蝦夷
(B)陸奥国の蝦夷(陸奥の蝦夷)

 ところが、『続日本紀』の中の「蝦夷」(蝦狄・夷・夷狄の類をふくむ)の事例、74例(数え方で若干変動あり)を調べてみても、(B)の事例は数多いものの、(A)の事例は、絶無なのである。

 すなわち、『続日本紀』には、およそ「蝦夷国」という概念など、皆目“認め”られていないのだ。

 さらに、右の(B)に加えて、

(C)出羽国の蝦夷
   (B)からの「分国」。
    和銅5年〈712〉5月23日以降)
(D)越後の蝦狄(蝦夷)
(E)渡嶋の蝦夷(北海道の蝦夷)

といった類の表記が存在するけれど、(A)の表記は出現しないのである。

 では、「蝦夷国」とは、何か。どこか。いうまでもない。「蝦夷の(居する)国」のことだ。すなわち、右の(B)・(C)・(D)・(E)の合計、それが「蝦夷国」なのである。

 簡単な理路だ。だからこそ、多賀城碑には、「陸奥国」はもとより、「出羽国」も、「越後国」も「渡嶋」も、共に出現していないのである。

 では、「陸奥」とは何か。右の「全蝦夷国」中、近い(認識の早かった)「越後」と、遠い(認識の遅かった)「渡嶋」(北海道)を除いた領域、それを指す言葉だったのである。

 やがてその「全陸奥国」の中から、「出羽国」が“分離”させられた。

712(和銅5)年9月23日
是(ここ)に於て、始めて出羽国を置く。

 「陸奥」とは、本来は、「道の奥」。すなわち、東山道・東海道という「道」の果てる、その奥を指した。“西側の目”、“近畿天皇家側の目”に立った、漠たる表現だ。いわば、「西の目から見た、フロンティア」だったのである。

 古田さんは、「蝦夷の西の国界は、宮城県と福島県との県境付近」という多賀城碑の古田解読の正しさを傍証する話を記録している。実に面白い話なので紹介しておこう。

 先日、不思議な話を聞いた。昨年(平成元年)の11月12日、それは神戸での講演の翌日、久しぶりで山村光寿斉さんに会った。菊邑検校(きくむらけんぎょう)から、「筑紫舞(ちくしまい)」を伝授された方である。検校は筑紫のくぐつから、これを伝えた、という。わたしはこれを“九州王朝の舞楽”と解した(『よみがえる九州王朝』角川選書、参照)。

 現在、西山村さんは博多(福岡市東区)に住んでおられるけれど、月に一回・神戸(生田神社)へ来て、若い方々に教えておられる。中には、神戸から博多へ「留学」する娘さんも現われた様子。うれしいことだ(最近、西山村」を「筑紫」に“改姓”される、との話をお聞きした)。

 さて、その光寿斉さんの話。もちろん、菊邑検校から「直(じき)伝」の話だ。

「福島県から向こうを、外(と)つ国と言います」

 これは、筑紫舞の伝授のさい、「外(と)つ国」という言葉が出た。それについて、少女だった光寿斉さんが、無邪気に質問した、それに対する答えだった、という。

「福島県は、入りますのん」
と、少女。
「いいえ、入りません。それから、先です」
と、検校。

 この応答を聞き、わたしは、頭がぶんなぐられたような、衝撃をおぼえた。なぜか。 ― お分かりであろう。わたしの“多賀城碑に対する分析” ― 「蝦夷の西の国界は、宮城県と福島県との県境付近」、それと、ズバリ一致していたからである。

 この応答をお聞きした場所も、明記しておこう。神戸市中央区の虎連房。今、市民の古代の書記局長をしておられる高山秀雄さん。その友人の経営しておられる、ユニークな店だった。一緒にいたのは、宮崎学さん。他に三木カヨ子さん、丸山晋司さんなど。いずれも、“証人”である。

 そして念のため。光寿斉さんが、わたしの多賀城碑解読を御存知だった可能性は、ほぼない。そのとき、すぐ、わたしは、「自分の最近の研究と一致している」旨、緊張しつつのべた。もちろん、一切の解説抜きで。だが、光寿斉さんは、平然としたもの。
「へえ、そうですか。わたしは、何や知りまへんけど、検校はん、そな、言わはりましたよ」
とのこと。

 もちろん、だから、どう、というものではないけれど、“不可思議の思い”にとらえられた、わたしの見聞として、しるしておきたい。

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