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《真説古代史・近畿王朝草創期編》(56)

「天智紀」(44)


近江遷都(2):「斉明紀」の北方遠征(1)


 遠山氏は斉明は「巨大な事業を二つも起こしていた」偉大な大王と持ち上げているが、残念ながらこの二つの事業「北方遠征・百済救援」は二つながら、他王朝の事業からの盗用である。(百済救援が九州王朝からの盗用記事であることはすでに論じた。)そうだとすると、斉明が大王として行ったことは皆無に等しい。『藤氏家伝』に

「皇祖母尊(すめみおやのみこと 斉明)、俯(ふ)して物願(よのなかのねがひ)に従ひて再び宝暦(ほうれき)に応(あた)り、悉く庶務(まつりごと)を皇太子(ひつぎのみこ 天智)に委(ゆだ)ねたまひき。皇太子事毎に諮(はか)り決め、然して後に施し行ひたまひき」

とある。これが斉明の実像に近いのではないか。

 さて今回のテーマは「北方遠征とはなにか」だが、なんと「斉明紀」には北方遠征(岩波では「蝦夷征討」と呼んでいる)関連記事が10条ある。それぞれの条の年月日と記事内容を列挙すると次のようである。

(1)
 655(斉明元)年7月11日(饗宴・官位授与記事)
(2)
 655(斉明元年)是歳(帰属・朝貢記事)
(3)
 658(斉明4)年4月(蝦夷討伐記事)
(4)
 658(斉明4)年七月4日(朝貢・饗宴記事)
(5)
 658(斉明4)年是歳(粛慎討伐記事)
(6)
 659(斉明5)年3月17日(饗宴記事)
(7)
 659(斉明5)年是月(蝦夷討伐記事)
(8)
 659(斉明5)年7月3日(唐への朝貢記事)
(9)
 660(斉明6)年3月(粛慎討伐記事)
(10)
 660(斉明6)年5月是月(蝦夷人献上記事)

 ここで 『「天智紀」(15):「太宰府」について(1)』 で紹介した「太安萬侶が苦悩のすえ残した日本書紀の法則」を思い出して欲しい。法則1は次のようだった。

法則1
 是歳条、是月条は近畿王朝以外の別王朝の別時代の記事である。

 年月日が詳細に書かれている記事も含めて、全て盗用記事だろう。660(斉明6)年7月16日条の唐や朝鮮半島との外交記事の分注に
〈高麗の沙門道顕の日本世記に曰く……伊吉連博徳(いきのむらじはかとこ)書に云はく‥…〉
とある。「斉明紀」で用いられた原典は主に「日本世記」と「博徳書」だったようだが、北方遠征記事の原典は別にあるように思われる。上の10条のうち「討伐」記事を検討しよう。

(3)
 658(斉明4)年4月(蝦夷討伐記事)
夏四月に、阿陪臣(あへのおみ)〈名を闕(もら)せり。〉船師(ふないくさ)一百八十艘を率て、蝦夷(えみし)を伐つ。齶田(あぎた)・渟代(ぬしろ)、二郡(ふたつのこほり)の蝦夷、望(おせ)り怖ぢて降(したが)はむと乞ふ。是に、軍を勒(ととの)へて、船を齶田浦に陳(つら)ぬ。齶田の蝦夷恩荷(おが)、進みて誓ひて曰さく、「官軍(みいくさ)の爲の故に弓矢を持たらず。但し奴等(やっこら)、性(ひととなり)肉(しし)を食(ら)ふが故に持たり。若し官軍の爲にとして、弓矢を儲(ま)けたらば、齶田浦の知なむ。清き白(あきらか)なる心を將(も)ちて、朝(みかど)に仕官(つかへまつ)らむ」とまうす。仍りて恩荷に授くるに、小乙上を以てして、渟代・津軽、二郡の郡領(こほりのみやっこ)に定む。遂に有間濱に、渡嶋(わたりしま)の蝦夷等を召し聚(つど)へて、大きに饗(あへ)たまひて歸(かへしつかは)す。

 岩波はこの「阿部臣」は「阿部比羅夫」だと頭注に書いている。次の(5)に阿部比羅夫が出てくるので、強引にそれと同一人物と決めつけている。これはおかしい。同じ655年の記事なのに『日本書紀』編纂者は一方をはっきりと〈名を闕せり。〉と言っている。当然、阿部比羅夫とは異なる人物と考えるべきだろう。

 ここで『日本書紀』編纂法則の4
 名をもらせりは敗戦国九州王朝の人物であり、名は解っている。

(5)
 658(斉明4)年是歳(粛慎討伐記事)
是歳、越国守阿部引田臣比羅夫、肅愼を討ちて、生羆(しくま)二つ、羆皮七十枚献(たてまつ)る。

(「羆」は「ひぐま」なんですね。「ひぐま」で漢字変換すると一発です。恥ずかしながら、私、この漢字知らなかった。)

 定説では蝦夷討伐記事は「政府記録」と安倍氏の「家記」の二つの原史料を用いて書かれたと想定している。そして(3)は「家記」、(5)は「政府記録」による記事だと言っている。さらに「家記」が〈名を闕せり〉と、名前を明らかにしない理由を、坂本太郎氏(日本書紀と蝦夷)の説として、次のように説明している。(岩波の補注より引用)

「(3)・(7)・(9)が氏族伝承的な性格の記事である点などから、その原史料は持統五年八月十三日条にいわゆる墓記の撰進と関係があろうと考え、これを「阿倍氏の家記」と推定し、またこの家記が阿倍氏出の将軍の名を「引田臣」とも「比羅夫」とも記さなかったのは、家記(墓記)撰進前後の阿倍氏を代表していたのが布勢臣御主人であって、同じ阿倍氏でも引田臣系と布勢臣系との間に対立があったためである。」

 つまり「名を闕せり」と分注は初めから原史料(安倍氏の家記)に書かれていたとしている。この説はおかしい。『日本書紀』には「名を闕せり」は全部で40例ある。この論者は他の例を一体どう説明するのだろうか。「名を闕せり」も含めて、全ての分注は『日本書紀』編纂者によるものと考えるべきだろう。

(7)
 659(斉明5)年3月(蝦夷討伐記事)
是の月に、阿倍臣〈名を闕せり。〉を遺して、船師一百八十艘を率て、蝦夷国を討つ。阿倍臣、飽田(あぎた)・渟代(ぬしろ)、二郡の蝦夷二百四十一人、其の虜三十一人、津軽郡の蝦夷一百十二人、其の虜四人、膽振鉏(いふりさへ)の蝦夷二十人を一所に簡(えら)び集めて、大きに饗(あへ)たまひ祿(もの)賜ふ。即ち船一隻と、五色の綵帛(しみのきぬ)とを以て、彼の地のを祭る。肉入籠(ししりこ)に至る。時に、問菟(とひう)の蝦夷膽鹿嶋(いかしま)・菟種名(うほな)、二人進みて曰はく、「後方羊蹄(しりへし)を以て、政所(まつりごとどころ)とすべし」といふ。〈政所は、蓋(けだ)し蝦夷の郡(こほり)か。〉膽鹿嶋等が語(こと)に隨ひて、遂に郡領(こほりのみやっこ)を置きて歸る。道奥(みちのく)と越との國司に位各二階、郡領と主政(まつりごとひと)とに各一階授く。〈或本に云はく、阿倍引田臣比羅夫、肅愼と戰ひて歸れり。虜四十九人獻るといふ。〉

 ここでは『日本書紀』編纂者が〈名を闕せ〉る阿倍臣を阿倍比羅夫ではないかと匂わせている。

 「あぎた」を(3)では「齶田」と表記し、(7)では「飽田」と表記している。ここで『日本書紀』編纂の法則2が思い出される。

法則2
 固有名詞や代名詞の一部省略、一部添加はしても改定は絶対にしない。元史料のまま書く。表記の違う名は、別文献である。

 私(たち)の立場でも、どうやら原典は一種類ではないようだ。いずれ明らかになるだろう。

(9)
 660(斉明6)年3月(粛慎討伐記事)
 三月に、阿倍臣〈名を闕せり。〉を遣して、船師二百艘を率て、肅愼国を伐たしむ。阿倍臣、陸奥(みちのく)の蝦夷を以て、己が船に乗せて、大河(おおかは)の側(ほとり)に到る。是に、渡島の蝦夷一千余、海の畔に屯聚(いは)みて、河に向ひて營(いほり)す。營の中の二人、進みて急に叫びて曰はく、「肅愼の船師多(さは)に來りて、我等を殺さむとするが故に、願(こ)ふ、河を濟(わた)りて仕官(つか)へまつらむと欲ふ」といふ。阿倍臣、船を遣して、両箇の蝦夷を喚(め)し至らしめて、賊(あた)の隠所(かくれどころ)と其の船数とを問ふ。両箇(ふたつ)の蝦夷、便ち隠所を指して曰はく、「船二十余艘なり」といふ。即ち使を遣して喚す。而るを來肯(まうきか)へず。阿倍臣、乃ち綵帛(しみのきぬ)・兵(つはもの)・鉄等を海の畔に積みて、貧(ほし)め嗜(つの)ましむ。肅愼、乃ち船師を陳(つら)ねて、羽を木に繋けて、挙げて旗とせり。棹を齋(ひとし)めて近つき來て、浅き処に停りぬ。一船の裏(うち)より、二の老翁を出して、廻り行かしめて、熟(つらつら)積む所の綵帛等の物を視しむ。便ち単衫(ひとえきぬ)に換へ着て、各布一端(ひとむら)を提げて、船に乗りて還去(かへ)りぬ。俄(しばらく)ありて老翁更(また)來て、換衫(かえきぬ)を脱き置き、幷(あはせ)て提げたる布を置きて、船に乗りて退(まか)りぬ。阿倍臣、數船(あまたのふね)を遣して喚さしむ。來肯(まうきか)へずして、弊賂辨(へろべ)島に復りぬ。食頃(しばらく)ありて和(あまな)はむと乞(まう)す。遂に聴(ゆる)し肯(か)へず。〈弊賂辨は、渡島の別なり。〉己が柵に拠りて戰ふ。時に、能登臣馬身龍(むまたつ)、敵の為に殺されぬ。猶戰ひて未だ倦(う)まざる間に、賊破れて己が妻子(めこ)を殺す。

 遠征軍と粛慎が物々交換を行っている。岩波の頭注によれば、無事交換が成立すると和解が成ったことになる。粛慎は一度は和解をしようとしたがそれを中止して戦闘に入ったという記事だ。

 次回はこれらの記事をさらに詳しく検討してみよう。
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