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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(25)

番外編:「炭素14年代測定法」について

 前回引用した下山さん・田中さん・古田さんのどの文にも、年代比定の決め手として、「放射能測定」とか「放射性炭素年代測定法」とか「炭素年代」という言葉が用いられていた。正確には「炭素14年代測定法」という。「年輪年代法」とともに正確な年代測定ができる方法として研究が積み上げられてきた。ところがその結果が、従来用いられていた「土器型式にもとづく編年」と著しく異なるために、多くの考古学者がその測定法に拒否反応を示している。

 ところで、今までに度々取り上げてきたように、マスコミが報道する古代史関係の記事は「定説」という謬見を鵜呑みにしたものばかりである。27日付の東京新聞朝刊のコラム「メディア観望」に次のような記事があった。社会部の栗原淳という記者の署名入りの記事である。

石器捏造から10年

 2000年11月、「ゴッドハンド(神の手)」と呼ばれたアマチュア考古学者が旧石器発掘を捏造していたと毎日新聞がスクープした。石器を持参して地中に埋めるという単純な手口を見抜けなかった考古学界の信頼は地に落ちたが、新発見を連発する専門家のウソにだまされ続けたマスコミの報道姿勢も問われ た。あれから10年。教訓は生かされているか。

 ■科学の積極的導入

 捏造発覚以降、考古学界では、年代測定の信頼性を高めようと科学的分析が積極的に導入された。その一つが放射性炭素年代測定法だ。生物が体内に取り込んだ放射性炭素(C14)が減っていく性質を応用している。  箸墓古墳(奈良県)について「やっぱり卑弥呼の墓?死亡と築造の時期一致」とした朝日新聞の一年前のスクープも、この方法で国立歴史民俗博物飽(千葉県佐倉市)のグループが調べた結果だ。箸墓は全長280㍍あり、同時代の古墳の中で最大のもの。250年ごろに死んだ邪馬台国の女王、卑弥呼の墓とする説があった。

■箸墓=卑弥呼の墓?

 歴博グループは、古墳近くから出た土器に付着していたススから、その土器が使われ たのが240~250年だと絞り込んだ。記事は、中国の史書「魏志倭人伝」に書かれた邪馬台国の卑弥呼の墓と箸墓の後円部の大きさが近いことなども挙げていた。
 本紙も共同通信配信の記事で「箸墓古墳は『卑弥呼の墓』濃厚」と後を追い、「卑弥呼の墓の可能性が極めて高くなった」という研究者の話を載せた。「慎重な見方をする研 究者もいる」と一言触れてはいたが、邪馬台国の所在地論争に決着を付ける大発見、との印象を与える紙面だった。
 だが、この一年、放射性炭素年代測定法に対する疑問も出されている。学界では「年 代が古く出る傾向がある」「10年、20年単位の測定は無理」などの指摘が相次いだ。考古学者の山岸良二さんに聞くと、「学界では七対三の割合で測定結果に否定的」という。

 ■地道に疑いたい

 昨年の報道は冷静さを欠いていたということになる。上司に喜ばれ、読者に読まれる ニュースには自然と食指が動く。できるだけ速く大きな記事にしたいと思うが、そうした記者の生理に身を任せるだけで、継続的な検証を怠れば旧石器報道の二の舞いになってしまう。科学も絶対ではないことを痛感する。
 科学分析では、前提さえ間違いなければ正しい結論が得られるという。ススが付着した土器は古墳とは無関係で、たまたま近くに埋まっていただけなのかもしれない。一過性のニュース報道に踊ることなく、地道に疑っていきたい。

 昨年の6月、私は東京新聞が報じた「箸墓古墳は『卑弥呼の墓』濃厚」という記事を  「あいかわらず破廉恥な考古学会」 で取り上げて批判した。栗原記者はその報道を「冷静さを欠いていた」と批判的に振り返って、「地道に疑いたい」と自戒の念を表白している。その自戒の念やよし、と言いたいところだが、残念ながら論点がまったくずれている。

 「冷静さを欠いていた」のは放射性炭素年代測定法を安易に信用したためだと言っているが、そうではない。箸墓古墳の炭素14年代測定法による測定年代はたぶん正しかった。箸墓古墳を卑弥呼の墓に結びつけるような、全く成り立たないことがはっきりしている「定説」にしがみついている謬見が「冷静さを欠いていた」のだ。

 栗原記者も言うように炭素14年代測定法では、有意味であるように、測定の対象(サンプル)を慎重に選ばなければならない。さらに、測定に用いる機器も慎重に準備されなければならないし、測定の手順も正確を期さなければならない。そのような条件が整って行われた測定結果は信頼できる。その当否は、「学界では七対三の割合で測定結果に否定的」というように、多数決で決まるのではない。この七対三という割合は、自説に合わない結果は「否」とし、自説を損なわなければ「当」としている学会の頑迷な体質を示しているだけだ。そしてマスコミがその体質にピッタリとシンクロナイズしている。講演録「壬申の乱の大道」で、古田さんが次のようなエピソードを紹介している。

 対馬金田城山城跡自身の放射能測定も、7世紀から6世紀になるという記事が現地の新聞に出ました。しかし東京や近畿の新聞は無視した。やばいというか『日本書紀』と合わないから。それで朝日新聞の内倉さんが、水城の放射能測定がどうも『日本書紀』の言っているような7世紀後半ではない。放射能測定が6世紀前半から7世紀前半となる記事を書いて最後にデスクに止められてアウトにされた。そういう悔しがっている話を何回も聞きましたが。とにかくデスクとしては水城の成立年代が、『日本書紀』と合うと教育委員会を初め今まで全部書いてきたのに、合わないと言われる記事は都合が悪い。想像するに思ったのだろう。

 今や炭素14年代測定法は世界中で認められている国際標準である。日本の学会は笑いものになるだろう。測定にたずさわっている研究者たちに意見を聞いてみよう。(上の引用文に登場している内倉武久さんの『太宰府は日本の首都だった』からの引用です。)

(考古学者たちの不信感に対して)14Cの年代測定をしている研究者たちはいらだちを募らせている。財団法人九州環境管理協会(福岡市東区松香台)の高島良正理事長(九州大学理学部名誉教授)は、

「測定値のすべてが、遺跡の年代だとは言わない。厳密にいえば、同じ地層にあっても後の時代の物が混入することもあるし、地層より古い時期の物である可能性もある。しかし、確実にその地層や遺構と一致した資料であればまずまちがいのない年代をはじきだせる。測定の信頼性には100%近い自信をもっている。特に最近は機材の進歩もあり、正確な測定値をだせるようになった」

 山田治・京都産業大学教授は、

「世界の考古学会の99%が14C測定値を基本に年代判定をしている。われわれは、文献で年代がわかっている歴史時代の測定もたくさんやってきたが、結果はいずれも矛盾のない測定値が出ている。測定値の幅(十一)が大きくて使えない、という声が考古学研究者からでているが、誤差の範囲を少なくしようと思えば、不純物の除去と測定時間を長くすればある程度解決できる問題だ」

 最近は、古代史に没頭しているという北村泰一・九州大学理学部名誉教授も、

「研究者が学者生命をかけて作りあげた年代観を、かんたんに撤回するのは難しいことはわかる。しかし、いつまでも理化学的な年代測定に拒否反応を続けていては、世界に通用しない学問になってしまいます」

という。

 考古学研究者のなかには、自らの土器による年代判定に自信をもつあまり、「日本の放射性炭素の量が、何らかの理由で世界とは違うのではないか」と、疑問をぶつける人もいる。が、理化学の研究者は半分苦笑しながら、「そんなこと、絶対にありません」と口をそろえる。炭素は熱にも強く、熱が高くなればなるほど強固になる。摂氏2500度ほどでもっとも強くなり、酸にも強い。化学物質にも冒されにくい性質をもっているのだという。

 「研究者が学者生命をかけて作りあげた年代観」とはいわゆる「土器編年法」と呼ばれている時代区分で、それなりに精緻な研究が積み重ねられている。しかし如何せん、どんなに精緻であっても「土器編年法」は相対的時代区分であって、その方法では絶対時代を確定することはできない。この辺の事情についても年代測定にたずさわっている研究者の解説を聞いておこう。(「国立歴史民俗博物館編『弥生時代はどう変わるか:炭素14年代と新しい古代像を求めて』の広瀬和雄氏による序論から)

 日本考古学では、鏡のように、暦年代のわかっている中国文物を用いて弥生時代の実年代が推定されてきた。すなわち、前漢鏡が副葬された弥生時代中期後半の北部九州甕棺墓に、前一世紀前半ごろを上限とした年代を与え、そこから先行する甕棺型式に年代を案分させ、さらに甕棺のない時代の年代を上積みし、弥生時代早期を前5~4世紀ごろと推定してきた。もっとも、土器型式にもとづく編年研究では、その先後関係を明らかにできても、個々の土器型式の年代幅を決めることはできない。相対編年とよばれるゆえんである。

 さて炭素14年代法では、弥生土器型式の時間序列を逆転させるような年代や、各地の土器型式の平行関係を大幅に崩すような年代は、ほとんど測定されていない。精緻な土器型式にもとづいた編年体系ができていたからこそ、この測定法が威力を発揮したのもいまやよく知られている事実である。

 留意したいのは、年輪年代法[奈良国立文化財研究所編1990、光谷2000、光谷・大河内編2006など]と炭素14年代法という異なった方法の測定値がほぼ合致する事実である。

 理化学的年代測定の結果は、特に弥生時代・古墳時代の考古学界の年代観と大きく異なっている。内倉さんによると「現在の考古学、古代史学の定説、あるいは通説はほとんど崩壊することになる。大局的に言えば、唯一生き残れるのは古田説だけということになる」と述べている。考古学者・古代史学者たちが、土器編年法に固執ぜずに、炭素14年代測定法・年輪年代法などの理化学的年代法を謙虚に受け入れ、真に学問と呼ぶに値する理論を再構築していくことを願ってやまない。
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