2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(13)
「天智紀」(2)
天智称制の秘密(1)

(今回から『古代に真実を求めて・第1集』に所収されている山崎仁礼男さんの論文『造作の「天智称制」』を教科書とします。)

 『日本書紀』は讖緯(しんい)説によって編纂されている。讖緯説については過去に2度取り上げている。そこで取り上げたのは通説となっている明治時代の学者・那珂通世の説だった。復習しておこう。

 讖緯説はもともと中国でとなえられたもので、「辛酉(しんゆう)」という年は大革命(王朝の交代)の起こる年とされている。「辛酉革命」と呼ぼう。辛酉革命は、どういう訳か理由は分からないが、「甲子の年に令を革める」という「甲子革令」とセットになっている。

神武が即位した年が「辛酉」の年とされている。(もちろん『古事記』には即位年の記述はない。)

辛酉(かのとのとり)の春正月の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたちのひ)に、天皇、橿原宮に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。是歳を天皇の元年とす。

 ところで、干支は60年で一周する。これを「一元」と言い、21元を「一蔀(ほう)」と言う。つまり「一蔀」は60(年)×21=1260(年)である。

 那珂通世は蔀首が辛酉の年を起点とする一蔀(1260年)をサイクルとして革命が起こるとした。
「此ノ紀元ハ、人皇ノ世ノ始年ニシテ、古今第一ノ大革命ノ年ナレバ、通常ノ辛酉ノ年二ハ置キ難ク、必一蔀ノ首ナル辛酉ノ年ニ置カザルベカラズ。」

 推古9年(600年)が辛酉の年なので、ここから逆算して神武の即位は紀元前660年というわけである。しかし推古9年に王朝交代のような大革命はないのだから、ちょっと、いや相当おかしい。那珂は次のような弁明をしている。
「推古朝ハ、皇朝政教革新ノ時ニシテ、聖徳太子、大政ヲ執り給ヒ、始メテ暦日ヲ用ヒ、冠位ヲ制シ、憲法ヲ定メ、専ラ作者ノ聖ヲ以テ自ラ任ジ給ヘル折柄ナレバ、此朝ノ辛酉ヲ以テ第二蔀ノ首ト定メテ、神武紀元ヲ第一蔀ノ首二置カレタルハ、蓋此ノ皇太子ノ御所爲ナラン。」
 聖徳太子の偉業は革命並というわけだ。でもやっぱり変だ。

 さて、山崎さんの論文には『「日本書紀」の二段階編纂論』という副題が付けられている。この副題の意味するところはおおよそ次の通りである。

 讖緯説を取り入れた『日本書紀』の前に、讖緯説を考量していないものが一応完成していた。それをもとに讖緯説を取り入れて書き換えたものが現在の『日本書紀』であり、その結果600年ほど年紀が延ばされているという。山崎さんの論文はこの仮説の論証と言うことになる。(詳しいことは知りませんが、江戸時代の藤貞幹(とう ていかん)と言う人が、『日本書紀』が讖緯説によって編纂され、600年ほど年紀が延ばされていること見抜いていたそうです。)

 さて、山崎さんは通説となっている那珂通世の讖緯説に代わって、三善清行(847~918)の讖緯説を取り上げている。三善は一蔀プラス一元(1320年)を讖緯説の一サイクルとしている。

 三善清行はその「革命勘文」などにて、天智称制辛酉の年の即位を讖緯説の蔀首として「革命の期」と主張して、「上は神武より下は天智まで」「分銖(ほんのわずか)の違い無し」として、神武と天智とを明確にワン・セットで記しています。これら明らかに、天智辛酉の年即位から逆算して神武即位が決定されたことを想定させます。

 しかしながら、三善清行の一蔀プラス一元という周期には、どうも腑に落ちないものを感ずるのです。この点、一蔀は二十一元とする明治の学者の那珂道世の考えがよりスッキリとしていて周期の点では明解といえます。

 この場合、三善清行は「書紀」成立126年後の生まれで、奈良から京都に都は移ったとはいえ、律令体制下の実質同一王朝の人ですから、なんらかの根拠または確信があって、このように発言しているとみるべきでしょう。彼の「革命勘文」が以後の時代に大きな影響を与えており、これらの多くの改元の歴史のなかで、神武と推古とがセットであるという声は全く聞こえてこないのではないでしょうか。

(中略)

 以上によって、本稿は三善清行の説に従い、天智称制即位辛酉の年AD661年が「書紀」の識緯説の第二の蔀首であり、讖緯説導入の本当の起点であるという仮説のもと、論をすすめていきます。

 しかし、九州王朝の滅亡は663年の白村江の敗戦の後であって、王朝交替は辛酉の年(661年)より後に起きている。歴史はそうはたやすく讖緯説の予言の通りには動かない。ここに『日本書紀』の編纂者はある「造作」を施すことになる。旧王朝の滅亡と新大王の即位とを適当にズラすことによって、辛酉革命が予言の通り起きたとすればよい。山崎さんは「天智称制とはこのためのこしらえものであろう」と考える。そして、この仮説の正しいことを論証している。その論証は同時に『「日本書紀」の二段階編纂論』の論証でもある。次回はその論証を読んでいこう。
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