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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(11)

大嘗祭とはなにか(10)

 大嘗祭問題の解明という所期の目的は達せられたと思う。今回は今までのまとめの意味で、吉本さんの論文「天皇および天皇制について」(『詩的乾坤』所収)から「天皇制の権威の本質」を論じている部分を転載して、「大嘗祭とはなにか」を終わることにする。

 まず、大嘗祭ついての吉本理論を古田多元史学の立場から概観しておこう。(筑紫に侵略した当初の「天国」の王たちも「倭王」と呼ぶことにする。なお以下の文章では吉本さん自身による概略説明を下敷きにした。)

 大嘗祭の本質の一つは、これが農耕祭儀の模写という意味をもっている点にある。神田から抜穂された穀物を食すという儀式は、穀物の豊饒をねがうという意味をもつとともに、穀物の生々する生命をわが身にふき込むという意味をもつ。

 そして重要なのは、このような農耕儀礼を倭王の世襲の式に行うことによって、たとえ現実的に何人もそれを認めないとしても、倭王は自らの祭儀の内部では、農耕民の支配者であるという威儀を保持しつづけてきたということである。

 もう一つの本質は、倭王が式殿の寝具にくるまって横たわるという行為が<性>的な祭儀行為であり、いわば象徴的に<性>行為の模倣を意味しているということである。この祭儀行為で倭王の<性>的な相手は、かれらが祖霊とかんがえているもの、またはその現世的な代理(巫女)である。農民ではこれは田神であるが、倭王では穀霊であるとともに宗教的な祖霊である。この宗教的な秘儀によって、倭王はいわば宗教的な権威を世襲することになる。

 筑紫を席巻した天国の勢力は、世襲的な祭儀の中枢のところで、あたかもじぶんたちが農耕社会の本来的な宗家であるかのような位相で土俗的な農耕祭儀を儀式化したのである。つまり大嘗祭の祭儀において、かれらは農耕祭儀を収奪し、それをきわめて抽象的なかたちで昇華させたといってよい。

 異族関係と支配被支配関係とを縫目がわからないほど完壁に消滅させ、即位の祭儀として収奪した仕方はあまりに見事なもので、歴史的な各時代はほとんどこの縫目をみつけだすことができなかった。そしてこのことが祭儀の司掌自体に、最高の<威力>をあたえてきた唯一の理由であるとおもえる。

 この見事な倭国の世襲祭儀を、倭国から中心権力を簒奪した近畿王朝はそれをそのまま踏襲した。権力の正当性を主張するためにはその世襲祭儀が不可欠だったのだ。あるいは、九州王朝の存在を抹殺したかった近畿王朝にとって、「天孫降臨」以来ずっと近畿王朝が中心権力だったという偽装を完璧にするためには、その祭儀は不可欠なものだったと言ってもよい。

 では九州王朝・近畿王朝の権威を持続せしめるために大嘗祭が果たした役割の核心はどこにあるのだろう。吉本さんはつぎのような比喩によってたいへんわかりやすく解説している。

 たとえば、わたしが<生涯ニワタツテ国家社会ノ万人ノタメニ奉仕スベシ>という家訓を代々継承していたとする。わたしはじっさいに生涯のある時期には<国家社会ノ万人ノタメニ奉仕>することがありうるかもしれない。また、その他の時期には事志と反して<国家社会ノ万人ノタメニ奉仕>することなどできず、じぶんとじぶんの家族のことをかんがえるのが手いっぱいであったとする。ところで、わたしはどんな時期であろうと、一日に一度は<国家社会ノ万人ノタメ>に祈祷しなければならないという宗教的な義務だけは負っていた。そして、じつさいに<国家社会ノ万人ノタメニ奉仕>できなかった時期にも、そのために祈祷するというしきたりだけは実行し、子の世代に世襲的に伝承した。

 ところで、わたしが生涯にわたってこういう祈鋳だけは怠らず、これを子の世代に世襲するという情熱を持続したとすれば、この情熱の根拠はなんであろうか?

 すぐにかんがえられることは、じぶんは<国家社会ノ万人ノタメ>をかんがえる資格をもっているという人間的な自負をわたしが抱いている場合である。しかし、こういう人間的な自負は、<国家社会ノ万人ノタメ>に何ごとかを実行しうる現実的な基盤がどこかにあり、また一方で<国家社会の万人>のほうで、わたしのそういう資格を承認しているところがなければ、すくなくとも人間的には持続することが不可能であるし、ましてやそれを世襲して子に伝えるだけの情熱をもちうるはずがないのである。

 そこで、わたしは、もしもそういう現実的な基盤もなく、また<国家社会ノ万人>がわたしのそういう資格を承認しないとすれば、家訓を放棄するより仕方がない。だが、<天皇(制)>は持続や世襲が不可能とおもわれることを、時代によってはまったく現実的な基盤のないところでも実行してきたのである。そしてこの人間的にはまったく不可能としかいいようのない情熱が<天皇(制)>の威力をささえてきたといっていい。

 かれらの情熱と威力の根源はなにか? その秘密のカギはなにか? それは依然として解明に価するというべきである。

 じっさいに<天皇(制)>が農耕社会の政治的な支配権をもたない時期にも<自分ハソノ主長ダカラ農耕民ノタメ、ソノ繁栄ヲ祈祷スル>というしきたりを各時代を通じて世襲しえたとすれば、この世襲には<幻想の根拠>または<無根拠の根拠>が、あるひとつの<威力>となって付随することは了解できないことはない。

 いま、<大多数>の感性が<ワレワレハオマエヲワレワレノ主長トシテ認メナイ>というように否認したときにも、<天皇(制)>が<ジブンハオマエタチノ主長ダカラ、オマエタチノタメニ祈祷スル>と応えそれを世襲したとすれば、この<天皇(制)>の存在の仕方には無気味な<威力>が具備されることはうたがいない。

 わたしの考察では、これが各時代を通じて底流してきた<天皇(制)>の究極的な<権威>の本質である。

 ところで、現実的になんの権力的な基盤もない時代でも、こういう<権威>を次の世代に世襲するまで持続してゆく<天皇(制)>の忍耐力をささえているのはなんであろうか? かれら自身の異族意識からくる恐怖をじぶんで和げるためであろうか、天皇の特異な人格によるのであるのか、それとも強制された義務であるのか?

 もちろん天皇なるものが、こういう馬鹿気た宗教的な秘儀をなんの根拠も支えもないところで生涯持続してゆくほど人間的に特異な人格ばかりであったということは考えにくい。また強制された義務であるということも、持続的な世襲のしきたりを守るためのさしておおきな根拠とはなりえないようにみえる。

 すると<天皇(制)>は、かれらが社会的に何ものでもないということ、その生活過程に社会をもたないということ、観念上の<非人間>であるということによって、このような祭儀の世襲を可能にしてきたというべきであるのかもしれない。そしてこの観念上の<非人間>をとりまいている環境は、特異なしきたりからできあがっていて、世襲力を構成的にささえたとみられる。

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 コメント
この記事へのコメント
バカ高30期卒業式における反逆
おまえの頭の悪さに・・・納得した。さすが・・・ばか高。今は
若松商業よりバカが多いらしいが。
2010/04/03(土) 08:01 | URL | 小弥信一郎 #mQop/nM.[ 編集]
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